act.12

 丸い天蓋に無数に開けられた小さな窓から、銀の光が糸のようにさしこんでくる。あれはギミック。窓ではなく、それを模した照明だったが、その光は甘くゆったりとした明るさでホールを満たした。流れるベルトウェイに立った人々は左右へ分かれながら流れ、中央のプラットフォームへ近づいていく。その顔は光の色を受けて奇妙に白っぽく、あいまいな目的をもったまなざしを宙に漂わせ、時おり鳴るチャイムのやわらかな音を聞いていた。
 長いプラットフォームへたどりつくとベルトから降り、中央にある長いカウンターに歩み寄り、掌紋の認証をそれぞれの窓口ですませ、シュートから吐きだされる荷を受け取る。それから逆側のベルトへ乗って、また緩慢な速度でここを去っていくのだった。
 耳元にやわらかな声がした時、セイン・ワートブルはなぜかおどろかなかった。
「やぁ、セイン。愛用のラブドールでも送ってもらった?」
「‥‥Maj」
 ちらっと肩ごしに向けた視線の先で、シルバーグレイのロングコートに身をつつんだサーペントがにこやかに笑っている。月光を模した銀色の光の下で、青年はいまいましいほど上品に見えた。
「何か用か。取引のネタなら買う」
「いや。一つ聞きたいことがあるんだ」
 いかにも親しげに身をよせ、記者の瞳をのぞきこむようにしながら、サーペントはたずねた/
「あなたが会った "A. アルカラザディア" って、アルノ. アルカラザディアのこと?」
「──手帳のデータを盗んだな」
「まぁね。つぎはぎだし、シークレット領域にはほとんど入れなかったけど。いいガードワーム入れてるね」
 データ盗難への予防策として、不法なコピーや読み取りに対抗するガードワーム。それが発動したため、ワートブルの手帳のデータは虫食いだらけになっている。
 修復した部分から読み取った、三年前の取材記録──アポイトメントの記録。"A. アルカラザディアと" 。
 A. アルカラザディアは、エースの名だ。エースがエリギデル・フィールドでの現場指揮を取っていた以上、セイン・ワートブルがエースを取材するのは自然な流れだったが、エースは「セイン・ワートブルには会ったことがない」と言った。サーペントが手帳のデータを見る前に一度、見てから一度。あれは嘘ではあるまい。
 エースはセイン・ワートブルに会ったことがない。つまり、あの「A. アルカラザディア」はエースではない──
 サーペントはもう一人だけ、A. アルカラザディアを知っていた。キルヴァス. A. アルカラザディア。アルノ。エースの、弟。
 セイン・ワートブルはちらと列の先頭へ視線をやった。のろのろと押しだされる人の流れが機械的に処理されていく。身元を確認し、荷物のデータを照合し、受け取りの認証をして、向こう側へ立ち去っていく。
「そうだ。キルヴァス. A. アルカラザディア」
「兄貴の方にもアポ取ろうとしたけど、会えなかった」
「そんなことまで手帳に入ってたか?」
 質問と言うより、疑念がワートブルの面をかすめた。そんなことまで手帳に入っていないのは、お互いよくわかっている。サーペントはすぐには問いに答えず、高さのある天井を見上げた。細い糸を束ねたような銀の光が揺れている。充分な明るさはあるが、どこか深い水の底から見上げるような濡れた光だった。
 ふいに、サーペントはひどく息苦しくなる。頭を振った。何かを叩き潰してしまいたい。
「エリギデル・フィールドにいた人間──兄の方に、あんたが会いたがるのはあたりまえだ。でも会えなかった。かわりに、あんたは弟に会いに行った」
 当時、弟は17歳。学生だった彼は、当然エリギデルには関係がない。何の関わりもない人間に、セイン・ワートブルは会いに行った。
 サーペントはそっとたずねた。
「何故だ?」
「情報には値段がつきものだ、Maj」
「幽霊の正体を知らんだろ。どうだ?」
 その言葉はワートブルを一瞬考えこませたが、彼は小さく首を振った。
「君の言っていることが真実かどうか、俺には判断する方法がない。君が何者か、何が目的か、それすらも知らん」
「残念。あんたを脅すのは気がすすまないんだけど」
「──君の正体と引き換えなら考えてもいい」
 列がすすみ、セイン・ワートブルは前へ出ると、白いリノリウムのプラットフォームにのぼった。壁に30近いシュートダクトがならび、長いカウンターの上に荷物が吐きだされてくる。上に赤いライトのともったシュートの前へ歩み寄ってワートブルが掌紋認証を行い、片手に持つ程度の包みを受け取る。サーペントはゆっくりとプラットフォームに沿った通路を歩いていたが、コートのポケットからCOMの端末をひっぱりだして振りひらき、画面にちらりと目をはしらせた。
 ワートブルは受け取った荷物を小脇にかかえて、エントランスへ向かうベルトに乗ると、後ろへ乗ったサーペントへたずねた。
「何か楽しいことがあったのか?」
 サーペントは微笑をうかべていた。目の上にかかる髪を指の背で払う。
「思いのほか、いい値段がついたんで。ほんもののステーキでも食おうかなと思って」
「‥‥オークションか?」
 はじめて彼らが彼らが出会ったのも、サーペントがキリング・ムーンの犯行写真をオークションに出し、ワートブルが落札したのがきっかけだ。ワートブルはそれを思い出したようだった。
「そう。すまないが、用ができた。脅したりすかしたりするヒマはなさそうだね。一つだけ。弟のDNAを採った?」
 さらりとたずねた。
 二人はゲートをくぐって外のクロスターミナルへ出る。光の色が変わった。目の前を、マーキュリーボードに乗った少年が駆け抜けてゆくのを眺めやりながら、ワートブルがぼそっと言った。
「唾液のサンプルを。本人に無断で。だが照合も照会もできなかった」
「ふむ」
「俺も一つ聞きたい。──何を売った、オークションで?」
 陽の光を見上げて目を細め、サーペントは銀のサングラスを取りだしてかけた。にっ、と歯並びを見せつけるように笑う。
「子供」
「‥‥」
 記者の顔に隠しようのない厭悪の色がひろがるのを愉しげに眺めて、ひらりと身を翻す。アッシュシルバーのコートにつつんだ身を大股にはこびながら、すばやく人ごみにとけた。騒がしく左右へ行き交う人々の流れをひょいひょいとかわし、トラムターミナルへの最短距離を抜けていく。花屋の前を通りかかると、濃厚なフレグランスが一瞬たちこめて、霧散した。これも「広告」の一種。調合された香りのノートの奥に、あからさまな誘惑を嗅ぎ取る。人の根本的な衝動を呼びさまそうとするような甘い合成香。
 嗅覚は最も原始的な感覚であり、もっともダイレクトに大脳皮質にとびこむ刺激だ。人の本能へ直に訴えかける。かつてそれを "DNAへの刺激" とすらまで豪語した調香師もいた。
 ──DNA──
 サーペントは目を細める。ワートブルは、戦争の証言者としてだけエースに会いたがっていたのではなかったのだ。エースはそれを知っていたか? 気付いていたなら、弟へも警告を発したにちがいない。だが、上官殺しの罪状で独禁房へ入れられ、財産を奪われて、彼にはその時、気付く余裕がなかったのかもしれなかった。
 その頃のエースを、サーペントは知らない。彼らが会ったのは、もっとずっと昔の話だ。それから数度、片手で数えられるほどの短い接触を経て、最後にたどりついた邂逅はどちらにとっても致命的だった。
 相棒のことを、サーペントはぼんやりと考える。彼が子供をサーペントに託し、誰かを殺しに行ったのだろうとは見当がついていた。殺してくるかどうかはわからない。彼は、「甘い」。容赦のない部分を持ちながら、他人に平然と優しくする。あの子供を救ったように。そこがサーペントには理解できない。何の意味もなく何の利益もなく、時には目的すら持たないまま、ただ人を救おうとする。そんな部分を合わせ持って、平気で人を殺せるということが。
 弟は、彼に似ているだろうか? キルヴァス. A. アルカラザディア──七つ違いの、エースの弟。数度しか会ったことがないと、エースは言った。それでも彼は、普通の家族が抱くような親密な愛情を、弟に対して抱いているようだった。弟の進路を聞き、アドバイスをおくり、成績を聞いて一喜一憂していたらしい。
 DNAの片割れ。ただそれだけの存在に、何の意味がある? サーペントが一度たずねた時、エースは小さく笑ってこたえた。「DNAはきっかけであって、本質ではない」。
 彼が本気でそう言ったのは疑う余地がなかったが、しかし今回に限っては「DNA」こそが本質だったのだ。セイン・ワートブルはエースと接触しようとこころみ、それが不可能だと悟ると弟の方からDNAを採取した。
 DNAの片割れ。サーペントは人の間を抜けながら、一瞬目をとじる。エースと弟は、母親──卵子提供者がちがう。そして、彼らに精子を提供した男のことを、エースは「父親」と言おうとはしない。優性プロジェクトに沿って「ノイズ」を取り除きながら練り上げられていった優秀な遺伝子ドナー。それが彼らの生物学的な「父親」であり、社会的な保証人でもあった。
 ──DNA。
 その男がDNAを提供した相手は、人間だけではなかったのだ‥‥


 ──月齢11の夜にサヴァノスストリートで拾った子猫。肩と舌に傷アリ。投薬済。ファクトリー産。落とし主、連絡乞。


 落札マークのついた取引履歴をCOMの画面に見ながら、エースは吐息をつく。出品者のアカウントは見知らぬもので、写真は本当の子猫のものだ。写真の中には "for moonstrucker" という電子メッセージが埋め込まれ、アカウント名をキィにして解析するとその文字が浮かび上がってくる。
 蛇が子猫を売りに出すか、と考えて、思わず苦い笑みが口元をかすめた。月齢11。サヴァノス。あの子供を拾った場所だ。
 サーペントが子守に満足するとは思っていなかったが、それにしてもオークションに出品するとは。本気で子供を売りにかかったか? もしそうなら、あの相棒についての考えをいくつかあらためねばなるまい。
 ──まったく、あいつは。
 胸の深いところに熱が動いた。怒りに似ているが、もっと複雑な痛みだった。
(いつまで人をためしつづける?)
 サーペントは人をためし、人の限界をためしつづける。エースに限らず、自分に関わる者すべてを。サーペントの一番近くにいるのがエースである以上、もっとも被害をこうむるのがエースであるのも当然の成り行きであった。
 だがエースの怒りは、彼をためすような相棒の悪意に対して向けられたものではなかった。自分に関わる者を傷つけ、挑発し、追いつめるのはサーペントの性質であって、サーペント自身にはどうにもならないことだ──彼にやめる意志があるかどうかはともかく、あったとしても彼に選択の余地などないことを、エースはよく知っていた。おそらく、サーペント自身よりも深く。
 彼はためさずにはいられないのだ。追いつめて、たしかめずにはいられない。自分をとりまく世界を。それ以外に方法を持たない。赤ん坊が自分の手でつかんだもののすべてを歯で確かめずにはいられないように、サーペントは攻撃的な悪意をぶつけて世界をたしかめる。
 相棒の性質をそうとわかっていても、エースは強い怒りと痛みがうずくのを感じた。他人をためしながら自分をためし、他人を追いつめながら自分を追いつめている。深いところで己を傷つけつづけていることに、サーペントは気付いているだろうか? 気付いていても歯牙にもかけまい。傷つける相手が一人ふえたところで、彼が何かをためらうはずはない。それが、自分自身であろうと。
 痛みに一瞬息がつまる。会いたかった。一人でいることには慣れているし、耐えられる。だがサーペントを一人にしておくことにこれ以上耐えられる気がしなかった。
 だが、会えないのもわかっていた。ゲームをはじめた以上、こんな半端なところで会ったとしても、事態は悪くなるだけだ。エースはキリング・ムーンをあきらめることはできないし、サーペントは一度はじめたゲームをやめることはない。このゲームが終わるまで、彼らはそれぞれプレイヤーとして対峙しつづけるしかない。
 狩りが終わるまで。


 ──月齢29の夜まであと9日。円盤のように満ちた月は、ゆるやかに削がれはじめている。
 キリング・ムーンまで、あと9日。

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