act.7

 コーヒールームは駅の二階にある。手すりぞいに下を見下ろすと、路上を走るトラムのルートが複雑で美しい交錯の模様を描いているのが見えた。
 駅二階の中央は、車が通り抜けるコンコースになっている。空気清浄の機能を持つ植物がずらりと通路沿いに植えられ、歩行者用の広場では人々があちこちのベンチに座りこんで話をしている。マーキュリーボードにのって走りこんでこようとした若者が通行人の一人に殴り倒されてころがり、大声でわめきはじめたが、警備員がたちまち連れ去った。
 コンコースと広場とは、腰高の防壁で仕切られている。それが途切れる車寄せへエースが近づくと、黒いバンが目の前へ停止した。
 前の扉がひらいた。エースは頭をかがめて乗りこむ。車が自動操縦で走り出すと、パネルへ手をのばして目的地を変更した。
 隣りの席から、ホドランド・ヴァルザナールがエースを見ている。無精ひげが散る口元になつっこい笑みをうかべた。
「用心するこたぁないさ。誰もいない。あんたをどうこうしに来たわけじゃないよ」
「俺の首にイルヴェンの賞金札がかかってないから、か?」
 エースは冷ややかに答える。ホドランドが感心した表情になった。
「俺が賞金屋に登録したのを知ってるんだな。さすが、早い。キリング・ムーンにもう接触しただけのことはある」
 エースは前を見たまま、何も答えなかった。メビウスの情報を額面通りに取るなら、ホドランドを含めた4人の連邦軍人が賞金ハンターとしての登録をしている。昨夜、彼にランチャーとガス弾を打ちこんでキリング・ムーンを追っていったのがその中の2人なら、ホドランドが報告をうけているのは当然だ。
 かわりに静かな口調でたずねた。
「何の用だ?」
「おいおい、そりゃねェだろ。あんたの葬式にまで出て棺にクレマチスを入れてやった人間に向かって──」
「何の用だ、ホドランド?」
 エースの声は強いものではなかったが、聞くものの心臓をひやりとつかむような冷たさがあった。ホドランドは一瞬だまる。ふてたように、
「久しぶりとか何とかねェのかよ」
「そうだな、久しぶりだな。元気そうで何よりだ。それで何の用だ?」
「‥‥キリング・ムーン。見ただろ?」
「まあな」
「手を出すな、エース」
 エースはチラッとホドランドを見た。エースのきびしい顔には、古いなじみに再会したなつかしさも、自分の死の偽装がはがされた後ろめたさもなかった。ただ、鋼鉄のようなひえた意志だけが、深く青い瞳に満ちていた。
「‘回収’しに来たか。うまくいかずに気の毒だったな」
 ホドランドの目の奥にたじろぎが走った。
「何のことを──」
「かまわんさ、ヴァルザナール。お前、休暇中なんだろ? 休みとって小金稼ぎに友達三人つれてわざわざ連邦に非加盟のこのイルヴェンまできて、ちょっとコネつかって賞金ハンターのAクラスに登録して、キリング・ムーンを追ってるんだろ? 次は何だ? 弁当作って虫取りキャンプに行くか、友達といっしょに? 仲がいいな」
「‥‥‥」
 ホドランドはにらむようにエースを見つめていたが、エースはニコリともせずに見つめ返した。ホドランドの、頬骨が高く浮いた頬の一部が小さく引きつれる。2人の視線がまっすぐに絡み、どちらも引かずに、車内にはするどい緊張がみなぎった。
 ふ、とホドランドが息をつく。男はあごをかるく上げ、陽気な声ではじけるように笑い出した。
「まったく! 変わっちゃいねえな。ああそうさ、俺はこの街に4人づれでピクニックに来たのさ。お前もいっしょにハニーサンド食うか?」
「チェスナットとクリームチーズの入ったサーモンサンドなら考える」
「贅沢だな。──なあ」
 声があらたまった。
「どこまで知ってるんだ、エース?」
「このバンは〈備品〉か?」
「任務に用意したもんでお前に会いにくるほどバカじゃない。これは俺が自分で用意した足回りだ。声は録ってないよ」
 エースは小さくうなずいた。それでもホドランドがあの駅に現れたのは、エースの姿を街の監視網でチェックさせたからだろう。イルヴェンの街が4人の連邦軍人を受け入れ、A級の賞金稼ぎとして登録したなら、街は彼らの味方だ。
 エースがわざとトラムの駅に長居したのは、可能であれば、彼らを誘いだすためでもあった。人が大量にゆきかう大規模なクロスポイントは、常時監視されている。彼らが出てくるかどうか、反応を見る必要があった。
 エースは淡々と言う。
「キリング・ムーンは三年前、エリギデルに投入された強化系レプリカントだ。それが暴走して服従ブロックを破壊し、人を殺しながら移動してきて、イルヴェンに入りこんだ。お前達はその機密を処分するためにキリング・ムーンを追っている」
 ホドランドが小さくうなずくと、エースは同じ口調でつづけた。
「これが、連邦が書いた表のシナリオ。イルヴェンにはそれで通したか? それともお前たちにも?」
「‥‥裏があると思ってるのか」
「何で昨夜、殺さなかった?」
 ホドランドは無表情だった。
 昨夜、キリング・ムーンへ向けて彼らが放った攻撃は、キリング・ムーンを殺そうとするものではなかった。殺そうとして殺せたかどうかはわからないが、とにかく、キリング・ムーンを殺す意図は彼らにはなかった。エースのことは殺そうとしたようだったが、そこに邪魔者を排除する意図以上のものはなかっただろう。
 つまり、彼らはキリング・ムーンを「殺すために」追っているのではない。「回収しに来たか」とエースが言ったのは、そのためだ。ホドランドが見せた反応で、推測は正しいとわかった。
「生きたまま回収する、それが任務なら」
 エースは物憂げに言う。
「これは、実験だ。少なくとも、連邦がそのつもりではじめたことだ。そうなら奴らはあんなものを、わざと野放しにしたことになる。誰が、あんな過去の遺物を掘りだして街に放した?」
「俺はそれを知る立場にはいない、わかってるだろうが」
「ああ、わかっている。どうせどこかのバカが予算取りたさに根も葉もない計画をでっちあげて、機密扱いにして金をかすめ取るために昔の作戦をカタにひっぱりだしたってところだろう。回収任務の出所はファルマのリスクセンターあたりか?」
 ホドランドは答えない。エースは頬に小さく笑みをうかべた。
「そう。"ファット・リヴァーズ" はまだいるのか?」
「‥‥昇進した。今は中枢の管理官をやってるよ」
「じゃあ後任は "サー・マウス" ?」
 大きく、ホドランドは溜息をついた。
「だったらどうする。クリスマスカードでも送るか? なあ、エース、やめてくれ。この件に近づくな。あんたがこれ以上噛んでくるようなら、俺は連邦に報告しなきゃならない」
「すればいい」
「本気か!? 俺にあんたを殺せというのか!」
「そういうことになるかもしれんな。気にするな、ホドランド。俺を殺せと命令するほど上層部は俺を気にはしないだろうよ」
「‥‥何か持ってるのか? 上層部があんたを殺せないようなネタを」
 用心深くさぐるような、そしてどこか欲深い問いに、エースは微笑を返した。
「あんまり勘ぐると、火傷するぞ。とにかくお前は、任務に力を尽くせばいい。俺は俺で、キリング・ムーンを追う。あれはおかしい。完全にエリギデルと同じタイプだが、停止コードに従わなかった。どこかが破壊されてる。暴走してるんじゃないのか? 回収も、もっとすんなりといくはずだったのだろう?」
「‥‥俺で3チーム目だ」
「それでも殺害は許可されてないのか。あれがエリギデル・フィールドに出たものなのかどうかわかるか?」
「わからん‥‥なあ、エリギデルで何があった?」
「それは、話せん」
 エースは首をふった。車はイルヴェンの緑化帯を通っていた。浄水とリサイクルのシステムがあり、子供の教育機関もこのあたりへ集中している。緑化ベルトの中央には多層公園があって、車はエースが指定した通り、公園の外郭を回るルートへ入りこんでいた。
 窓の外を眺めるエースの横顔は物憂げで、硬質だった。その顔を見つめ、ホドランド・ヴァルザナールは低い、抑えた声でたずねた。
「軍を──やめた、理由はそれか?」
「いや」
「じゃあどうして‥‥」
 声に不安定な響きがあった。エースはちらっとホドランドを見やる。ホドランドは唾を呑みこんだが、押し殺すような早口でつづけた。
「なんで消えた。なんで、何もかも捨てた、エース。なんで──俺たちを‥‥」
 エースが手をのばし、車を路肩にとめた。公園へのぼってゆく階段の脇。
 ホドランドと視線をあわせ、彼はおだやかに言った。
「恋をしたからだ」
「‥‥‥」
 エースの目を見つめ、ホドランドはくすくす笑い出す。すぐにそれは車内にひびくような爆笑にかわった。
「おいおいおい、もっとマシなセリフを考えろよ!」
「やっぱり、そう思うよな」
 口元で笑って、エースはバンから降りた。歩き去ろうとする彼を呼び止めて、ホドランドが連絡先のアドレスをおしつける。一度は断ったが二度目に受け取り、エースは公園へ向かう階段をのぼりはじめた。


 サーペントは、店に入ってきた男を三階フロアから見下ろした。細く蛇のようにくねる入り口を通ってきた男は、大音量の音楽にたじろいだ様子で左右を見回している。
 年は30、いっても35というところか。ハニーブラウンの髪にモスグリーンの瞳。ファンシーチェーンが襟元に揺れているが、オフホワイトのカッターシャツにブルーグレーのシングルジャケットを羽織った姿はあまり服装に気を使っているようには見えない。
 目をしきりにすがめながら、店内を歩きはじめた。サーペントの位置から見下ろす店内は静かでうすぐらく、あちこちに乱雑に配置されたソファで人々が横たわったり抱きあったりしている。ソファの合間には円形の椅子が置かれ、その上にはマネキンのような少年や少女がポーズをとっていた。どれもが丁寧な化粧を施されて美しく、過剰な衣装で装われていた。ぱっと見は人形のようだが、時おり物憂げな仕種でポーズを変える。
 男はソファや、ドールに扮した飾り物の間を抜けながら、時おり蹴つまずき、周りを見回しては目をすがめたり首をすくめたりしていた。
 彼は今、耳をつんざくような音楽や目のくらむカクテルライト、サイケデリックな立体ムービーなどに囲まれているはずだ。この店ではスポットごとに異なる演出がなされ、数歩ごとにちがう音楽と映像の洪水が待っている。
 彼の後ろから入ってくる客がいないのをたしかめて、サーペントは携帯端末からメッセージを送った。あわてたように男が自分の端末を見るのを眺めながら、進むルートを指示する。そこから右にまがって。柱の中にエレベーターが隠されている。二階で降りて。はじの階段を降りて。ぐるっと回って、そこの狭い螺旋階段を三階までのぼる。
 やがて、やや疲れた様子でテーブルの目の前に立った男へ、サーペントは美しい微笑を向けた。
「こんばんは、ミスタ・ウェン。お会いできて光栄」
「君が‥‥」
 ウェンは目をしばたたかせて、おどおどした視線でサーペントを見やった。薄く化粧をしてゆったりとした銀のシャツをまとい、首に幅広いバングルチョーカーをはめたサーペントは、まるで階下にいる「人形」たちの一人に見えた。
 サーペントはゆったりとした仕種でさしまねく。このテーブルの周囲は低くジャズが流れるだけで、テーブルの両サイドにワイヤーフレームの華奢な椅子が二脚置かれていた。
「まちがいではない。お座りなさい。何を飲む?」
「‥‥ス、スプモーニを‥‥」
「了解」
 うなずいて、サーペントは銀色のテーブルの表面を指先で叩く。表面が揺れて、その色を変え、小さなタッチパネルがサーペントの目の前に浮き上がった。注文しながら、サーペントは銀色に塗った睫毛の下からちらっとウェンを見た。
「お座りなさい、と言った」
「‥‥‥」
 たじろいだ表情のまま、ウェンは椅子に腰をおろす。どさっと座った瞬間、バランスをくずして椅子ごと後ろに倒れそうになった。
 サーペントが注文を終え、テーブルが元の銀色に戻ると、ウェンは身をのりだして声をひそめた。
「君が──君が "Maj" か?」
「そう」
 サーペントは唇に微笑をはりつかせたまま、うなずく。
「俺はまた‥‥君は、軍関係者かと思った。そんな名前を使うから。Majは〈少佐〉の略称だろう?」
「ただのオークションのハンドルさ」
 サーペントはピンク・ジンを一口飲んだ。長い前髪の影が頬におちている。その顔を、ウェンはしきりにまばたきして見つめながら、ハンカチで出てもいない額の汗を拭いた。
「あの時は‥‥写真と現場の情報を取引してくれて、ありがとう。ほんとに、ほんとにありがとう。おかげで、いいニュースが流せた」
「お役に立てて、大変に光栄。あなたはキリング・ムーンがこの街に現れる前からあれを追っているようだけど。連続殺人鬼の話ってそんなにいいネタ?」
「俺の記事を、追ったのか? 署名記事、ばかりじゃないと思ったが」
「電子署名を入れてるだろ。ジャンクコードのふりをして」
 サーペントは細身のシガレットケースを取りだし、ウェンに示した。ウェンが礼を言って一本取ると、自分もくわえて、同じライターで火をつける。
 煙を吐き出し、澄んだラベンダーの瞳でウェンを見つめた。
「ウェン。バートリューズ・ウェン。パズルは好きかい?」
「‥‥そうでも、ないな。君は?」
「好きだね。色々なものを逆から読んだり、並べ替えたりする。中でも文字は素敵だね、色々なものに変わるから。たとえば、バートリューズ・ウェン。並べ替えると、セイン・ワートブルという名前ができる。どう?」
 ウェンは目をぱちくりした。
「どうって、何が」
 サーペントは微笑を浮かべたままウェンの顔を見つめていた。ウェンは落ちつかない顔で左右を見回し、
「飲み物が、遅いな」
「きたよ」
 うすぼんやりとした暗がりから、下が大きくふくらんだドレスを着た少女があらわれる。ふくらんだパフスリーブにひだを寄せた襟、コルセットで流線形にしめあげられた腰。えんじ色の胸元に光る羽根の甲虫が這っているのを、ウェンはぎょっと見つめ、体を引いた。
 何も言わず、どこか浮遊するようなたよりない仕種で、少女はサーモンピンクのロングカクテルをウェンの前へ置いた。そのまま、ふわふわと戻っていく。見送って、ウェンはグラスに手をのばしたが、水滴のびっしりついた冷たいグラスに指がふれると、びくりとしたように身をすくめた。またハンカチをとりだし、顔を拭き、手を拭く。その拍子にグラスを倒した。あわてて拭こうと手足を振り回していると、また少女があらわれ、ゆったりした仕種ですべてを片付けて替わりの飲み物をテーブルに置いた。
 サーペントは貝殻の形をした灰皿に灰を落とし、煙草を唇にもどした。
「もうそろそろ飽きてきたな。言っとくけど、あんたお芝居あんまりうまくないよ。セイン・ワートバル。バルバロイの戦争犯罪をスクープした "セイント・セイン"。戦場記者が、今度は殺人鬼のケツ追っかけて何してんの?」
「‥‥‥」
 モスグリーンの目がついと細まった。その奥に針のような光がある。射貫くように見つめられたが、サーペントの微笑はこゆるぎもしなかった。
 ふ、と息をついて、男は背中をのばした。それまで身にまとっていたおどおどした雰囲気が脱ぎ捨てたように消え、かわりにひややかなほどの冷静さが満ちた。自信。そして、好奇心。それも、きわめてパワフルな。
「なるほど。私は君を何と呼べばいい? Maj?」
「まだしばらくは。俺はどう呼ぶ? ウェン、それとも?」
「ウェンで」
「OK」
 うなずいて、サーペントは優雅な仕種で前髪をかきあげた。爪の先まで銀の色がさしてある。
「ウェン。あんたはどうしてキリング・ムーンを追っている?」
「君がどうしてそんなことを気にする? そもそも君はどうやって、この間の殺害現場に居合わせた?」
「俺がキリング・ムーンなんだ」
 サーペントが艶のある視線をウェンへ流した。ウェンが苦笑して、椅子の背もたれに体をあずける。
「まさか‥‥」
「何が、まさか?」
「‥‥‥」
「俺はキリング・ムーンではありえない? どうしてあんたにそれがわかる?」
「いや──」
 誤魔化しかけて、ウェンはサーペントの目を見た。サーペントもウェンの目を見ていた。視線が音もなくからむ。どちらも何も言わず、相手の目の奥にあるものを静かにさぐる時間がすぎた。
 やがてウェンは目をそらし、灰皿から煙草を取りあげた。煙を吐き出し、
「そう‥‥君では、ありえない。キリング・ムーンは、人間ではない。知っているのだろう?」
「エリギデル・ミステリーのかけら」
「どこからその情報を手に入れた」
「あんたは、どうなのさ」
 サーペントは小首をかしげてみせながら、ピンク・ジンのグラスを傾けた。ジンに濡れた上唇をちらっとなめて、奇妙に甘ったるい声を出す。
「どうして追う? 何のために?」
「エリギデルの真実を、人々の前に明かすためだ。連邦はあのフィールドをおぞましい実験場にした。それを私に語ろうとした者は殺された‥‥」
 サーペントの右目がふっと細まった。ウェンはスプモーニを一口すする。声は低く、まなざしは暗く、彼はまるで罪ある者のようにつぶやいた。
「俺は彼らを許さん。人の尊厳をもてあそび、戦争をオモチャにし、残った者たちの口をふさぐ。キリング・ムーンの存在を明らかにできれば、彼らのしたことを暴くことができる。そのために名前を変え、キリング・ムーンを追ってきた‥‥」
 サーペントは無表情にウェンを見ていた。レプリカント──人型人造生命体をつくりだす行為は、AEL条約と呼ばれる生命体に関する研究と情報規制の条約によって、きわめて強い規制がかけられている。医療目的以外では、まず許可はおりない。しかも「人を殺すための」レプリカントの存在が明るみにされれば、たしかに大騒動になるだろう。
 ──明るみにできれば。
 そんなことが可能だとは思えない。言論へのやわらかな抑圧、情報規制、流れる情報のフィルタリング‥‥至るところで気付かれぬよう少しずつ、危険な情報が削りとられ、沈められていく。たかだか記者一人の「スクープ」ごときでエリギデル・ミステリーの裏が明るみに出せるわけもない。妄言で終わるか、うまくいって精神病院送りだ。
 もし、このスキャンダルを世間の目にさらすことができる人間がいるとすれば‥‥
(エース)
 相棒の顔がちらっとよぎり、サーペントは笑いの形に唇を歪めた。そう、彼ならできるかもしれない。リーザ=グーズの "英雄"。エリギデルの生き証人。まさか、世界が引っくり返ってもそんなことはしない男だが、うっかりサーペントは、スポットライトを浴びながら記者とカメラの列を前に熱弁を振るうエースを想像していた。これは悪くない。やっぱりスーツより軍服だろうか。どうせならタキシードにアスコットタイもおもしろい──
「何がおかしい?」
 ウェンのとげとげしい声で、サーペントは、シルクハットに燕尾服姿でしゃべりまくるエースの妄想からさめた。ウェンが眉をしかめて彼をにらんでいる。
 サーペントは首をふったが、ウェンは勘違いしたらしく、真剣な目をひたとサーペントに据え、気色ばんで言った。
「君は何とも思わないのか? エリギデルで行われたのは、人類に対する裏切り行為だぞ!」
「‥‥‥」
 サーペントが唖然としてウェンを見つめ返した。おうむ返しに、
「人類に対する裏切り行為?」
「そうだ」
 ウェンは力強くうなずき、身をのりだした。
「彼らはそれを隠蔽し、我々をあざむき、罪を糊塗しようとあがき続けている──」
 サーペントが、盛大に噴き出した。クリームブロンドをテーブルに散らすようにしながらつっぷし、肩をふるわせて笑いつづける。息もできない様子で腹を押さえ、壊れた掃除機のような音まで喉からたてて笑っていたが、やがて、涙を拭いながら顔を上げた。
 ウェンは憮然としてスプモーニを飲んでいる。サーペントはまだ肩をふるわせながら、
「ごめんごめん、ちょっとツボだったもんで。ドラマとかで聞いたことはあるけど、ホントにそういうこと言う人がいるなんて知らなかったんだ、俺」
「君な‥‥」
「次は気をつけるよ」
 うってかわって真面目な顔でうなずいて、サーペントは立ち上がった。ちらっと手すりごしに一階を見る。
「話の途中で悪いんだけど、物騒な客がきたみたいだよ」
 ウェンが顔色をかえて立ち上がろうとする。サーペントが手つきでそれを押しとどめ、はなやかな笑顔を向けた。
「ボディガード、雇ってみない?」

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