act.6

 ホテルに3日分のチャージを払い込み、エースは荷物を手にしてそこから出た。
 もう、戻るつもりはない。正直、サーペントにアクセスポイント以外の自分の居場所を握らせるつもりはなかった。彼のことだ、おもしろがってエースを賞金ハンターに売りかねない。「キリング・ムーンへつながる男」とか何とか、適当に札を付けて。
 もうそのくらいのことはしているんじゃないかと疑ったが、エースがアクセスした情報の範囲では何も拾えなかった。あるいは、プロアマが入り乱れた有象無象の賞金ハンターではなく、もっと危ない相手に売りにいったかもしれない。
 サーペントは自分のほしいもののためには何でもする。エースの情報のひとつやふたつ、その気になれば喜んで叩き売るのはわかっていた。
 ──問題は、彼が「何を」ほしがっているか、だ。
 公共のトラムに乗りこみながら、エースは小さな吐息をつく。こみあう人々をよけて車両のすみに立ち、肩を壁へもたせかけた。
 エリギデル・ミステリーの秘密か? そうは思えない。軍がからんだ機密に手を出すほどサーペントが馬鹿だとは思えない。いや、彼はたしかに無謀だが、うまみのない物事に興味を示すタイプではないし、義憤にかられて真実を探り出すなど彼に限ってありえない。
(──キリング・ムーン)
 エースは胸の内でつぶやく。月齢29、新月の夜の殺人者。殺すことだけを目的にした、殺意のない殺人者。キリング・ムーンを、サーペントはいつから気にしていた?
 そもそもこの街に遊びにこようと言ったのはサーペントだ。そして、月齢29の夜の仕事を勝手に受けてきたのも。
 もしかしたら──彼ははじめから、キリング・ムーンのためにこの街へきたのだろうか。


 複数のトラムが交錯する中継駅で降り、駅構内にある端子付きの通信ボックスに入った。利用料金を払い、携帯端末を端子に接続する。
 メビウスは基本的に有線での接触を好む。安全性より、単なる習慣だと言っていたが。
 いつものように指紋と声紋でこちらをチェックしてから、メビウスの低い声が端末の向こうからひびいた。
「イルヴェンにいるとは、賞金ハンターでもはじめたか?」
「人のチェックをたのみたい、メビウス」
 エースは挨拶を返さずに用件に切り込んだ。
「通り名だろうが、フェリカ、と言うらしい。弱性テレパスで、脳移植の中毒者。レプリカボディとの調整が必要なはずだ。その手の技師のリストをあたってくれないか」
 言いながら、ボックスの換気スイッチを入れ、煙草を一本口にする。メビウスの返事にその手がとまった。
「あたるまでもない。フェリカについてはデータパッケージを用意してある」
「──」
 火をつけて、煙を吐き出し、エースは青い目を細めて端末の向こうへたずねた。
「サーペントが?」
「そう。君に渡せと、つい一時間前に。追いかけっこでもはじめたのか?」
「似たようなものだ」
「いい加減、うまくつきあうか別れるか、どちらかにしたほうがいいね。私の分析だと君は、彼といないほうが倍は長生きできる」
 メビウスの声はきわめて真面目で、冗談を言っているつもりはなさそうだった。映像はないが、どうせあったところで何の参考にもならない。彼の声も顔も、単にサイバースペース内でつくりあげられた三次元の表層にすぎない。
 エースは肩をすくめた。ボックスのカメラを通して、あちらにはこちらが見えている。
「俺もそう思う。パッケージの中味はのぞいたか?」
「鍵はかかってない」
 のぞいた、ということだ。データを暗号化しなかったのなら、サーペントものぞかれることを承知のはずだった。エースは煙を喉の奥へ吸いこむ。わざわざ情報をまとめておいてくれるとは、まったく、親切なことだ。これもゲームか?
 髪をかきあげた手が首すじにふれた瞬間、ふいにサーペントの指先の感触がよみがえった。指と、唇と、囁きと。皮膚の内側で何かがざわめくような気がして、息を吸う。
「そのほかに、フェリカについての情報を持っているか?」
「公式テレパスのリストに入っているよ。本名はフェデリク・リアム。ただし平均能力値が低いので、サギナリング──テレパスとしての保護条例にはかかっていない。むしろ、15歳になるまでは症例として研究所をたらい回しにされている」
「何の症例?」
「自己共鳴中毒症。正確な病名はもっと長いがね。フェリカの症状はいわば精神の自己免疫疾患だな。自分自身に共鳴してしまって自己が多重化し、肉体のさまざまな反応を引き起こす。フェリカは随意筋を動かせなくなり、代謝が停滞して肉体の一部に壊疽が生じた。試験的な治療として、レプリカボディへ移植が行われた」
「それで、移植中毒、か」
「うむ。三度目の移植の後、彼は姿を消してしまったから、以降の公式記録は残っていない。当局はレプリカボディの請求書をフェデリクにつけてるな。未払い」
 エースはクスッと笑った。
「いくらだ」
「5825万ギウス。払うか?」
「失効してるだろ、その請求」
「いや。律義に一年一度、再請求が出されている。まだ有効だ。役所のルーティンってヤツだな。払ったら感謝されるぞ」
 メビウスの声も笑っていた。エースは笑みをうかべたまま、そっとたずねる。
「サーペントの居場所を知っているか?」
「モニターはしていない。今から見つけ出すのは無理だ。イルヴェンの監視網はクローズドだからね、簡単には入りこめないし、私はクローズドのところを好まない」
「わかった」
 一瞬ためらって、エースはもうひとつ、問いをつづけた。
「サヴァイアス連邦の軍人がイルヴェンに入ってきたかどうか、わからないか? ‥‥もしかしたら連邦のサポートがついているかもしれん」
「イルヴェンは連邦の軍事協定エリア外だぜ」
「そうだ。だが、ゾアルは連邦に対して多額の出資をしている」
 ゾアルは、イルヴェンを管理統括する治政企業の名だ。都市の多くは、そうして企業に支配され、管理されて、一種の「商品」のように取り扱われていく。
「はっ、ゾアルが連邦に払ってる金なんて、厄介者を買い取ってもらうための金だろ。イルヴェンの犯罪者の半分以上が連邦の刑務所に送られているんだぜ。まぁ処理費用みたいなもんだ。バルデウス・ケージにもイルヴェンの罪人は多いぞ」
 メビウスの声は陽気だった。エースは眉をしかめる。
「バルデウスは、去年閉鎖されただろう。あまりにも非人道的という結論が出て」
「ありゃ、元々が実験施設だろ。囚人を使って。非人道的なんてアタリマエ、古今東西、よくやる手口さ。そんな顔してると“偽善者”ってののしられるぞ」
 そのとりすました口調は、サーペントが皮肉っぽく「偽善者」と言う時のアクセントをそっくりそのまま真似ていた。声まで似せることもできたはずだが、さすがにメビウスはエースの機嫌を察したらしい。
 エースはにこりともせず、
「ああいうものは好かん」
「お高いね」
 それを最後に、メビウス側からアクセスが切られた。
 エースはコネクタから有線ジャックを外し、ボックスから出ると、駅構内のコーヒールームでコーヒーと軽食のマフィンがのったトレイを取った。プライベートブースへ入る。一人掛けの席の周囲は、腰より高いあたりからスモークのアクリルで囲まれている。
 予想より上出来なコーヒーを飲みながら、エースはサーペントがメビウス経由でよこした「パッケージ」の中味に目を通した。中味のほとんどは研究機関の「レポート」だ。おおよそメビウスの説明どおり。
 フェリカは、弱性テレパス能力が引きおこす自己共鳴への中毒疾患だったが、それを改善するためにレプリカボディへの脳移植をおこなったのをきっかけに移植中毒となった。「移植中毒」というのは、レプリカボディへの脳移植に対して中毒となった人間の俗称で、心理的な要因も含む。
 フェリカの症状は、脳の血流低下と神経の壊疽というかたちであらわれた。移植された体に、脳が拒否反応をおこすのだ。心因性のものではないかとレポートには書かれていたが、とにかくフェリカの脳はレプリカボディになじもうとせず、彼は2、3年に一度ボディをとりかえることで、拒否反応が致命的な段階に至るのをまぬがれていた。
 もうひとつ、フェリカの移植に対する特性として、性受容の寛容がしるされていた。エースは端末画面をのぞきながら文字に目をはしらせる。
 フェリカのそもそもの生物学的なセックスは男性だったが、彼は移植先のレプリカボディが女性形であっても、感覚受容に何の困難も見せなかった。通常、性がちがえば感覚受容はうまくいかない。男性の体と女性の体では器官が異なるため、混乱や、拒否が生じる。だがフェリカは、問題なく女性の体を受け入れた。
 それは感覚受容の範囲が広いというより、「自己の肉体」というもののリアリティが低いのではないかと、レポートにはまとめられている。自分の精神が自分の肉体に宿っているという自覚がない。体と精神の結びつきが極端に低い。ゆえに、異なる肉体に入っても、何の拒否反応も示さない。所詮、肉体はフェリカにとって「殻」であって、「実体」ではないということだ。
 フェリカは15歳になった時に、姿を消している。同時に研究所の検体や予備のレプリカボディがごっそり盗難にあっていた。その少し前から、フェリカはブレインクラックという合成ドラッグを服用していて、その入手を通じて知りあった犯罪シンジケートを研究所内に手引きし、自分も脱走したらしかった。
 エースは、マフィンを食べながら、青い目を細めた。何かが頭のうしろをかすめた気がしたが、それが何かはよくわからない。レプリカボディ? 研究所? ブレインクラック?
 フェリカがブレインクラックを流す組織に研究所の機密を売ったのであれば、組織から簡単に足を抜けるとは思えない。テレパスの存在は──それが弱性であっても──使いどころがあるはずだ。フェリカが一人だけで動いているとは、考えづらい。
(‥‥連邦は、エリギデルで戦闘レプリカントの実戦テストをやったんだって?)
 サーペントの言葉を思い返す。彼は、フェリカから聞いたのだろう。
 機密は、洩れてしまっては機密ではない。フェリカが知っているくらいだ、すでに噂は流れはじめ、同時にあちこちで揉み消されていることだろう。だが、どこから洩れた? 誰が洩らした? 何の目的で? 秘密が流れ出す時には、必ずきっかけがある。
 そして何故、フェリカはこの街に──キリング・ムーンのあらわれるこの街に、姿を見せた? 単なる偶然? それとも。
(彼もまた、キリング・ムーンを追って‥‥?)
 エースはコーヒーを飲み干した。壁についたカバーを引き、内側のスリットにカップと皿をのせたトレイを落とす。
 立ち上がって、軽い荷物を手に歩き出そうとした時、オープンカウンターから自分を見ている顔に気付いた。いや、逆だ。強い視線で気付かされたのだ、相手に。
 エースが足をとめた時、ポケットで携帯が鳴った。メビウスからのメール。エースはちらっと画面を眺める。
 ──連邦の退役軍人が10日前にイルヴェンを訪れ、トリプルA賞金ハンターに登録している。名前は──
 四つの名前があった。それを頭に叩きこみ、エースはすばやい指でメッセージを消去する。ゆっくりと近づいてくる足音に意識を集中させ、体の力を抜いた。その足音はきわめて明示的で目的意識に満ち、急いではいなかったが、他人に行く手を邪魔させないだけのきっぱりとした意志につらぬかれていた。
 男は、銀の光沢をおびた黒いハイネックカラーのシャツを着て、色のくすんだアッシュブロンドを首の後ろでかるく結んでいる。頬骨は高く、青みがかった灰色の目は奥にやや引いて眼光はするどく、どこか嘴のするどい猛禽類を思わせた。
 口元から頬にかけてまばらにひげが散っているが、だらしのない印象はない。口元が皮肉っぽい笑みでかすかに歪んでいたが、そのたたずまいにもかかわらず、どこか愛嬌のある雰囲気を持った男だった。
 エースは黙ったまま、一歩脇へ引く。
 彼をちらっと見やって、男はエースの横を歩き抜けた。無言のまま、小さく口が動く。
 唇を読んで、エースはふたたび手の端末へ目をおとした。すでに消去した四つの名前。そのうちの最後の名──ホドランド・ヴァルザナールが、たった今、彼の前を通過した男の名だった。


 壁に架けられた薄膜ディスプレイに投射された地図を眺めやって、サーペントは小さなあくびをかみ殺し、こめかみを指先で叩いた。地図にある赤い点を数える。三つ。三ヶ月にわたる凶行。この街で。
 煙草を指先にさぐりながら、横へ声をかけた。
「キリング・ムーンのおかげで、ムーンストラッカーが盛り上がってるってさ。今度の新月の夜には、イルヴェンのあちこちで会合があるらしいじゃない」
 気怠げに、煙草へ火をつけ、煙を吐き出す。狭いカプセル型セルの内側には、ソファベッドが一つあるきりで、床には空のアンプルや食事パックの外袋がちらばっていた。扉は二つ。一つは外へ、一つはトイレや小さなシャワー機能を備えた狭いプライベートスペースにつづいている。
 床に座りこみ、壁に深くもたれて、サーペントは手元の端末を見もせずにいじる。投射画像が変化し、地図のあちこちをクローズアップにした。
「月に祈るとか言ってるけど。結局のとこクラックでキメて乱交パーティがいいとこ? それともキリング・ムーンの真似してニワトリでも八つ裂きにするかね? ねェ、なんだって神様なんか信じんの? 神様って何かしてくれんの?」
「‥‥俺は神を信じん」
 のろのろと、フェリカが口をひらいた。人形のようにソファに体を横たえ、視線は力なく宙へ据えられている。彼の肌は皮膚そのものに色がついたタイプの人工皮膚だったが、そんなことがありえるのならば、白いフェリカの顔はさらに青ざめて見えた。
「君も信じているわけではないのだろう、サーペント」
「俺? 神に限らず、何も信じてないよ」
「‥‥相棒もか?」
「あいつ大嫌い。俺に嘘つくんだよ」
 心底腹立たしそうに、サーペントは吐き捨てた。頭を乱暴に動かしたせいで、クリームブロンドが白い頬へ落ちかかる。ぐいとそれをかきあげ、サーペントはととのった顔に子供っぽい怒りをきらめかせた。
「マジ頭くる。バッカじゃねェの、俺のことだませると思ったなんて。思ってないのに嘘ついたなら、もっと馬鹿だ」
「君だって嘘つきだろう‥‥」
「俺が嘘を言わずに何を言うんだよ?」
 サーペントは目をほそめた。フェリカが小さく笑う。
「‥‥君は嘘つきなわけじゃない。真実というものを自分の中に持っていないだけか」
「真実なんて宗教と同じくらい役に立たない。煙草の煙みたいなもんさ」
 ふっと煙を吐いて、サーペントは苛々した様子で立て膝の右脚を前へ投げ出した。黒いブーツの先を左右へ揺らし、
「ま、あんたはそんなモノでもほしいんだろうけどね」
「‥‥君は」
 低くつぶやいて、フェリカは一瞬黙ってから、つづけた。
「何をするつもりだ?」
 サーペントはフェリカが途中で話を変えたのに気付いたが、何の反応も見せずに答えた。
「あんたと同じ。キリング・ムーンを狩る」
「‥‥‥」
「あんたはキリング・ムーンを探してこの街にきたんだろ? アレが、連邦がつくった規格外のレプリカントなんだろ。ちがうの?」
 フェリカはのろのろとした動作で起き上がり、床の堆積物を足でさぐって、四隅が丸められた薄いケースをひっぱりだした。ケースをあけ、中から半透明のペーストをひとすくいして、首すじ、耳に近いあたりに塗り付ける。ペーストの上からメッシュテープを貼って、ケースを放り出し、もとのようにソファへ横たわった。
「‥‥俺には、自信がない。キリング・ムーンが‥‥俺の探しているものなのかどうか」
「連邦のつくったレプリカントじゃないってこと?」
「いや‥‥」
 宙を見つめたまま、フェリカは声を途切らせた。サーペントは煙草を喫いながら彼の様子を見ている。
 フェリカが何を言いたいのかはわかった。キリング・ムーンがレプリカントだとして、その体がフェリカの求めているものかどうかはわからない。彼を生かすものなのかどうかは。
 フェリカがどうやって生き延びるのか、生き延びるすべがあるのかどうか、そしてそのことをフェリカがどう受けとめているのか、サーペントにはよくわからなかった。その三つのうち、彼が興味を持つのは最後の一つだけだったが。
 膝を引き寄せてあぐらを組み、サーペントは壁によりかかった背すじをのばした。
「フェリカ。お前がほしいのは、レプリカントの技術であって体じゃないんじゃないの? 何でキリング・ムーンを探すのさ。本体つかまえて何すんの。憑依でもできるんだったら拍手してあげるけど」
「‥‥君は、どうしてキリング・ムーンに興味を持つ?」
「お前が苦しそうだから、助けてあげようと思って」
 フェリカの方向へ顔を向けて、サーペントはにっこりした。やわらかい、何の邪気もない透明な笑顔だった。
 フェリカが苦笑する。その目の瞳孔はややひらき、緊張にこわばっていた皮膚は弛緩をはじめた。呼吸が深く、ゆっくりとなっていく。首すじにはりつけたペーストから特殊なドラッグを吸収して、精神をゆるめ、体との同調をはかっているのだ。
「本当に嘘つきだな‥‥」
「フェリカ。してあげようか」
「‥‥‥」
 サーペントはしなやかな一動作で立ち上がり、狭い部屋を横切るとフェリカの横たわるソファベッドのかたわらへ膝をついた。手をのばし、服の上からフェリカの股間にふれる。指がからみつくように動くと、フェリカが軽く首をそらせた。
「‥‥よせ」
「まだ死体としかできないのか? この前したのはいつさ?」
 サーペントの指はズボンのボタンを外し、ファスナーを下げて、中からフェリカのものを引きだした。それはほとんど反応を見せていなかったが、サーペントは根元から数回しごきあげ、唇をかぶせて舌をからめはじめた。
 巧みな舌使いにフェリカが低い声を洩らす。レプリカボディは、人間のクローンを元にして様々なホルモンと化学薬品でチューニングされたもので、基本的に、生体としては人間そっくりだ。酸素運搬に鉄ではなく不飽和炭化水素の一種を使っているので、白っぽい半透明の血液にはほとんど色がないが、代謝は人間と変わりない。感覚器官も。
 股間にねっとりと与えられる刺激に体が反応し、サーペントの愛撫の下で、フェリカの男性器は少しずつ勃起しはじめた。
 まだやわらかいが、勃ち上がりはじめるそれを丁寧に舌でなぞり、先端を含んで鈴口を執拗に愛撫する。フェリカの肌の下に小さなふるえが走るのが感じられた。反応を見ながら、サーペントは微笑した唇にもう一度深くくわえる。落ちてくる髪をかきあげながら、数度頭を上下させ、たしかな快楽の反応を舌先に愉しむと、くぐもった声で囁いた。
「死体じゃなくても、感じるだろ?」
「サーペント──」
「感じたくないなら、切り落としてやろうか」
 言うなり、顔をかぶせるように喉の奥までくわえこんだ。上あごに先端をこすりあげられ、同時に熱い舌で茎を吸われて、フェリカの口から鋭い呻きが洩れる。勃起した性器を強い圧迫感がつつみ、淫猥な舌の動きに吸い上げられると、強烈な射精感が腰の奥からほとばしった。フェリカはみひらいた目で天井を見上げ、息をつめるようにして全身をこわばらせる。
 サーペントが、ゆっくりと顔をおこす。濡れた唇を拭いもせずに、光る眸でフェリカを見おろした。
 フェリカは胸を上下させて荒い息をついていたが、ふいに喉がつまるような声をたてた。体を回し、ソファからころげおちて床へ這う。呻きながら床を掻き、全身をもつれさせるように這い出したが、扉へ行きつく前に力尽き、這いつくばって床へ嘔吐した。
 水っぽい粘液状のものと、何かの食事用ペーストのかけらが吐き出される。何度もくりかえし吐き、苦悶の声をたてて肩をふるわせ、何も吐くものがなくなっても吐き続けるフェリカを、サーペントはソファに足を組んで眺めていた。もう一本、新しい煙草に火をつける。
 やがて、フェリカは力なくあえぎ、口元から嘔吐物の糸をしたたらせて、のろのろと上体をおこした。また嘔吐する音を喉の奥でたてたが、吐き出すものは残っていなかった。弱々しく呻いて、仰向けにごろりと倒れる。先刻から摂取しているダウナーが効きはじめ、じきに目つきがとろんと弛緩しはじめた。
 サーペントは煙草をくわえたまま、細い煙を宙へ吹き上げる。優しげな微笑をうかべ、かわいた声でつぶやいた。
「お前は、本物のセックスができる相手を探したほうがいい。レプリカントの亡霊なんぞ追うよりはね」
「‥‥‥」
 どんよりとした目がサーペントを見たが、声が聞こえた様子はなかった。


(どこにいる、アリア?)
(どこに──)
 この街は血の臭いがしすぎる。この街には死体が多すぎる。
 暗闇の中にわずかな水音を聞きつける。獣が傷をなめているような、ひそかな音。
 縦横に闇をつらぬく太いフレームの間をさまようように抜けていくと、水音はひそかなまま、耳に感じとれる距離だけが近づいてきた。
 頭上を走るフレームに添ったパイプの一ヶ所がわずかにねじれ、そこから水が染み出して、数滴ずつしたたってくる。真下に立って、体の血を洗い流している人影があった。
「アリア‥‥」
 呼んで、近づく。血の臭い。この街の臭い。
 相手は何も言わずに天井を見上げたまま、暗い闇から一滴ずつ落ちてくる水を見つめている。濡れた貌は泣いているかのように見えた。
 歩み寄って、抱きしめる。囁いた。
「大丈夫。もう、大丈夫だ。もう、眠りなさい‥‥」
 したたった水が足元に湿った水音をたてる。雨のようだ、と思った。地底にふる雨。天が抜けるほどふればいい。すべてを押し流すほどに。彼らもろともに。

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