act.4

 追手は5人。それなりに訓練された動きだったが、エースにとって怖い相手ではなかった。
 5人目の足にホローポイントの弾丸を叩きこみ、崩れる体の腕にもう一発。同時に隠れ場所からとびおりて、エースは相手のみぞおちへ踵を叩きこんだ。内臓までいかないよう加減してあるが、ボディスーツごしにあばらが折れた感触があった。
 悲鳴をあげる相手を手際よく武装解除し、顔をのぞきこむ。若い。目が恐怖にきょろきょろと動いた。プロの動きでも、プロの表情でもない。
「何で追ってきた」
 低い声でたずねたが、答えない。エースは吐息をついて、男の首すじにマイオトロンを押し当てた。ボタンをオンにすると同時に放たれる特定のパルスが脳波をジャミングし、男の全身がぐったりとする。随意筋がまったく動かせなくなるのだ。用心のために親指を後ろ手にしばりあわせ、口に布を押しこんで男の体を肩へかつぎあげた。
 面倒だが、サーペントが何をつついたのか、出来ることなら手がかりだけでも知りたい。
 路地を歩き出し、彼は呆然とした様子でたたずむ数人の通行人を無視して自分のマーキュリーへ歩み寄った。


 幸い、あまり手間はかからなかった。配管が這い回る古ビルの裏へ男をひきずりこみ、マイオトロンの影響が消えた頃合いを見すまして、バルビツール酸系の合成ドラッグを無針注射器で打ちこむ。意識が朦朧としたところへ、なめらかな声で質問を重ねた。
「何のために追ってきた?」
「‥‥賞金‥‥」
「誰の首にいくらかかっている?」
「キリング・ムーン‥‥」
 エースは青い目を細めて、男を見おろした。キリング・ムーン。月齢29の、月のない夜に出る殺人者──
 なるほど、と口の中でつぶやいた。誰かが、あのビルにキリング・ムーンが来るという情報を、彼ら賞金ハンターに売ったのだ。
 現在、キリング・ムーンの首にはいくつもの賞金がかかっている。警察がかけたものもあれば、民間が「死体もしくは本人の引き渡し」と引き換えにかけているものもある。復讐、好事家のゲーム、その目的は色々。
 おかげで、賞金ハンターがあたりの都市をうろついて騒がしいという話は聞いていた。
 しかもここ、イルヴェンの都市においては、賞金ハンターによる人狩りは完全な合法である。デス・チェイス──「死の追いかけっこ」と呼ばれる遊びまでもが、時おりにくりひろげられるという噂もあった。あえて犯罪者をときはなち、それを参加者達が狩る。
 この街を支配している治政企業「ゾアル」は、そうした形で人に娯楽を提供するのをモットーとしている。エースもサーペントも彼らハンターの動きに興味はなかったが、これはいささか邪魔くさそうだ、と思い直した。
 濃度を高めたドラッグを注入し、エースは男の左の側頭部へマイオトロンを押し付け、周波をきりかえて、気絶する程度のショックを与えた。短期記憶を混乱させるための措置だ。男は声もなく倒れ、動かなくなる。目覚めた時には、この二日ほどの記憶を失っているだろう。
 拘束をすばやく解き、男の足だけが道から見えるように出しておいてやってから、その場を後にした。親切な人間に病院へつれていってもらえるか、それとも身ぐるみ剥がれるか、内臓まで抜かれるかは運次第だ。もっとも、近ごろ生身の人間の内臓は、とんと市場で人気がない。他人の臓器を体に入れて免疫制御しながら一生を生きるよりは、自分に免疫寛容を持つ人工生体臓器の方が安心というものだ。その値段と、何故か前ぶれなく突然おこる原因不明の超急性拒否反応の問題を除けば、だが。
 男の足が出ているのをちらっと振り返る。ちょっとした運だめしだ。他人の命を取引して危険なゲームをする賞金ハンターなら、このくらいのりこえてもらわないと。
(──俺は、サーペントのような考えかたをしているな)
 ふっと相棒のことを思い出し、エースはマーキュリーを走らせながら苦笑した。サーペントは人の運命を崖っぷちにぶら下げるのが好きだ。 
 薄型の携帯端末を取りだしてちらっと眺める。サーペントの位置情報はない。連絡もメッセージもなし。バイタルサイン(生体反応)のトレースも切られているから、生死も不明。予想された通りではある。
 ──賞金稼ぎ
 と、送信して、エースはベルトパウチへ端末をしまった。いちいち知りたがるとは思えないが、報告するにこしたことはない。どこかで落ち合うなら連絡があるだろうし、なければ今のねぐらに戻るだろう。勿論、もう二度と会えない可能性もある。生きているにせよ、死んでいるにせよ。サーペントが相手の場合、常にその可能性があるのはわかっていた。覚悟もしている。自分がそれに耐えられるかどうかは──別問題。
 ふいに、エースは悲鳴のような音を聞いた。くぐもった、だが切羽つまった声。行く手からだ。大きくはない。誰かに口を押さえられたかのように、ぶっつりと途切れた。
「‥‥‥」
 眉をよせ、エースは左手に小さなハンドガンを抜く。ゼンダガーディアン。手のひらを上からかぶせれば手の中にすっぽりおさまる小ぶりの銃はバレル中折れ式で、銃身の根元を折って装弾する。四連発。.25ロングノーズを4発装填してあるが、銃身が短いゆえに命中率も悪く、近距離用に特化した武器は、サーペントに言わせると「オモチャ」同然だ。ボディスーツ一つで簡単にふせげる。
 だが、急所を撃ち抜けば当然人は死ぬし、そうでなくとも時間を稼ぐには充分。人目にもつきにくい。
 ゴーグルをしたまま、エースはマーキュリーの速度を用心深くゆるめた。メットはもともとかぶっていない。
 午前4時を少しすぎたところだ。人のいない路地を抜け、広い道へ入った。この先はのぼりになっていて、多層構造のボード用ジャンクションがある。黒い翼のように道にかぶさったジャンクションの下へ、エースのマーキュリーがすべりこんだ。橋脚が闇を上下に貫いている。広い空間に、非常用の青白いライトだけが点々と夜に浮かんでいた。
 エースは息をつめる。強い血臭を感じた。しかもこれは──新しく、大量の──


 すべてを圧してたちこめる血の臭い。いや──それをはるかに上回る、死の臭いを、エースは嗅ぐ。
 彼は「死」を嗅ぎとることができた。幼い時から。それは、いわく言い難い感覚で、鼻骨の奥、頭の芯に近いあたりが死神にさわられたようにひやりとする。その感覚が何なのかわからないし、誰かに言ったこともない。だが、子供のころから、彼はそれが「死」の臭いだと知っていた。
 いきなりその冷たさが体を満たし、荒々しくあふれて、一瞬息がつまった。あまりにも濃厚。死体の数なら軍人時代に慣れていた。だがこれはちがう。純粋な、そして根源的な「死」の気配。これほどの感覚をおぼえたのは──サーペントに出会った時以来──
 ぞくりと背中が凍った。
 ボードを蹴って後ろへとびのいた瞬間、何かが体をかすめた。黒い影が地に跳ねかえり、それはまるではじかれたように再びエースへせまる。獣のような影を、エースは右へ跳んでかわそうとしたが、相手は同時に同方向へ跳んでいた。
 めまいがするほどの血臭があたりを包む。ゴーグルごしに相手の顔を見た。
(動きを読まれた──)
 テレパスではない。テレパスは思考しか読まないし、エースの動きは本能的なものであって、表層思考はからっぽにしてある。読まれたのは、動作のわずかな前ぶれ──おそらくは、筋肉のわずかな緊張。それを読んで、一瞬のうちに反応した──
 ヒュッと空を裂く音がして、一撃がふりおろされた。手刀の届く距離ではないが、エースは咄嗟にハンドガンを持った左手をあげた。体をかばってつきだした銃身に衝撃がくいこみ、強く引かれて手を離していた。銃に鉤爪のようなものが喰い込んでいるのを見た瞬間、相手は片手で着地して、宙にあるエースの体に下から足先を叩きこんだ。
 腹筋をえぐられるような衝撃。体をねじって急所の腎臓は外したが、全身を痛みが抜けて、エースは息をつめた。視界の外側からゆっくりと地面がせまってくる。着地の体勢を取ろうとすれば後れを取る──その一瞬が勝負をわける。背骨を戦慄が走った。
 受け身を取らず、エースは肩から地面へ叩きつけられた。ほとんど同時に左手で袖から細身のナイフを引き抜き、相手へつきつける。棒のような刃を指にはさみ、柄を相手に向けて。
 相手はすでにエースへ跳びかかろうと、右手を振り上げていた。鉤状のねじれた金属製の武器を手に握り、指の間から鉤の刃がのびている。まるで獣の爪。
 エースは左手で、ナイフの柄のボタンを押す。めまぐるしい指の動きにつれて柄の先端に赤いライトが明滅した。記憶をさぐりながら特定のリズムで明滅させる。頭の記憶より、手に叩きこまれた肉体の記憶の方が早く、たしかだ。
 同時に強く命じた。
「下がれ」
 相手が体をたわめた。獣のような低い呻きがその喉から洩れる。ぞっとする冷気がエースの腹からこみあげた。「壊れて」いる? 反応しない? それともタイプ違いか──いや、そんなものが存在するはずはない──
 その時、相手の動きがとまった。無表情のまま、さぐるようにエースを見つめている。
 まだ年の浅い少年に見えた。ほっそりした体つきにあごの細い顔、白い顔にはやや不釣り合いなほど大きな目。瞳は、夜光灯を受けて濡れたように光っている。唇はやわらかなラインを描いて両はじがゆるくあがり、見ようによっては微笑しているようでもあったが、そこには何の感情もなかった。
 浴びたように血まみれであった。はだけたシャツをからみつかせた胸元も肩も、血に濡れそぼっている。前髪は血で額へはりつき、両腕の肘から先は真っ赤だ。薄い光の下、その姿はまるでどす黒い液にまみれたかのようで、光があたる頬の血だけが奇妙に赤く浮き上がっていた。血のつたう肌は、異様に白い。まるで死人のように。
 エースは、用心深く立ち上がった。銃に手はのばさない。攻撃する意志を見せれば、何をされるかわからなかった。
 少年を見据える。その全身を濡らす血は当人のものではあるまい。そもそも、彼の血には色がない。だがいったい幾人殺した? 幾人殺せば、これほどにあたりに死の臭いがたちこめる?
 エースを見つめる少年の眸に、殺意や敵意はない。その目には何もなかった。ただエースの動きを見つめて動きをうかがっている。
 エースは低く言った。
「何故お前がここにいる?」
 答えはない。ないだろう。彼らは人の言葉は認識するが、自分の言葉は持たない。そうつくられている。問うのは愚かだと知っていながら、人の形をしたものを人として扱ってしまいそうになる。滑稽な気分を押しやって、エースは少年へゆっくり歩み寄ろうとした。
 ふっと首すじを危険な感触がかすめた。同時に、ピアスが彼の耳にしか聞こえない微震動の警告音をたてる。
 ──スキャンされてる──
 エースが身を翻すのと、少年が宙へ跳び上がるのとどちらが早かったか。エースはマーキュリーの脇を駆け抜けざま、足で起動スイッチを踏みつけ、からのボードを一気に発進させた。同時に柱の影へとびこむ。
 空気の擦過音が聞こえた瞬間、マーキュリーが砕け飛ぶ爆音がとどろいた。ランチャー? 何でも手に入るご時世ではあるが、人に向けて都市内でぶっぱなす武器ではない。
 数秒遅れて、地面にカンと何かがはねる音。蛇がささやくような音とともにガス弾から無色のガスが吐き出される。
 糜爛性のガスのはずはない──そんなものを街で使う馬鹿はいない。嘔吐か催涙系、もしくは無力化系ガス。皮膚浸透性の強さにもよるが、目と口の吸収さえ防げば、最低5秒は耐えられる。エースは発光弾を投げて、ためらわずガスの中へ走りこんだ。ゴーグルの下の目をとじる。
 次の瞬間、発光弾からあふれた光があたりをまばゆくなぎ払う。とじたまぶたの上からも、ほとんど肉体的な痛みをともなうほど強い光が叩きつけられた。増光型のノクトビジョンはこれで灼きつくされ、肉眼でこの光を見た者も数秒の間は無力化される。強い光に迷走神経がパニックするのだ。
 持続時間は1.5秒。その時間を使って駆け抜け、血臭のたちこめる柱の影へころがりこんだ。つめていた息を吐き出し、短く呼吸して、次の柱まで走る。
 至るところに死体が転がっていた。切り裂かれ、引き裂かれ、血の海にちらばって。4人──5人? それとももっとか? 視界のすみで無意識のままに手足の数をカウントしながら、エースは三本目の柱の影へ身を寄せた。ガスの有効範囲は抜けている。少年の気配はどこにもない。敵は何も仕掛けてこない。いなくなったのか、待っているのか。
 息を殺して銃を抜いた時、聞き慣れた声がした。
「コレお前がやったの? 凄えな。そんなおもしろい趣味があるなんて、どうして黙ってたんだ」
 かるい、いつものかすかに嘲笑うような皮肉な調子がまじった声。エースは一瞬目をつむり、銃を下ろして柱の影から出た。
 サーペントが立っていた。声のとおり、皮肉な微笑で唇のはじを歪め、体をかしがせて左足に体重をかけ、同じ向きに首を傾けて。足下には血の海と切り裂かれた死体。夜光灯の青白い光を受けて、流れるクリームブロンドはほとんど銀に見えた。
 エースの位置情報を追ってきたのだろう。エースはゴーグルを上げ、厳しい目でサーペントを見やった。
「見たか?」
「二人組。たぶん軍隊経験アリの賞金ハンター。マーキュリーで、何か追ってった。何。キリング・ムーン?」
「‥‥‥」
「追う? トレーサーつけてないけど」
「いや、いい。お前──何してるんだ?」
 サーペントは左手を軽く上げて、手の中の端末であたりの写真を撮っているらしい。フラッシュに目を細めたエースへ彼はニッコリ笑いかけ、身を翻して指をくいと引いた。
「行くよ」
「──」
 眉をしかめて、エースはサーペントを追う。血を踏まないようよけて歩きながら、あたりへ散らばった血溜まりと死体を見やった。全員、男のようだ。銃ではない。何らかの刃物か、あるいは──素手で、引き裂かれている。
 少年の顔が脳裏に浮かぶ。エースは首をふった。冗談じゃない。今さら‥‥
 サーペントが肩ごしにするどい視線を投げた。
「エース。キリング・ムーンを見た?」
(月齢29.1の殺人者──)
「いや」
 嘘をついてみる。
 通用するかどうかは、わからない。エースは嘘が得意だったが、サーペント相手にためすことは滅多になかった。自分が嘘つきのくせに、サーペントは嘘をつかれるのを嫌う。
 サーペントの目がついと細まる。微笑したようだったが、口元が肩に隠れて、わからない。うなずいて、無言のまま顔を戻し、早足でジャンクションの下から出た。道はじに目立たぬようたてかけてあるマーキュリーへ向けてぐいと親指を倒した。エースはうなずいて、マーキュリーを引き出す。前のハンドルを持ってボードの片膝をついた。
 サーペントは端末をのぞきこみながら片手ですばやく何か操作をしていたが、エースの後ろへ乗ると、バックハンドルに足をかけ、エースにぴたりと体を寄せて腰に右腕を回した。まだ左手で何かやっている。
 エースは吐息をついてマーキュリーを発進させた。


 二人ともメットをかぶっていない上に二人乗り──なので、おとなしいスピードで道を走らせる。
 サーペントがエースの耳元で上機嫌な口笛を吹いた。パチンと携帯端末をとじてしまいこむ。
「やったぁ。23万ギウスもうけっと。テンダーロインのステーキ食う?」
「はぁ?」
「オークションだよ。キリング・ムーンの最新情報を写真付きで出品したんだ。いやぁ、わらわらと集まる、集まる。記者とか賞金ハンターとか。後で死体愛好家に残りの写真売ろっと」
「お前なあ‥‥」
「モエ・エ・シャンドン? クリュッグ? レローコニャック? シルバーバカラ?」
 そのために写真を撮っていたのだと悟って、エースはいささか脱力した。抜け目がないと言うか、趣味が悪いにもほどがある。サーペントはまだ高級な──あるいは高級そうな酒の名前を言いつらねている。あんまり無邪気で楽しそうなのにつられて、エースは思わず喉の奥で笑った。
「そっちはどうだった。相手には会えたのか?」
「ん。昔なじみでね。お前に会いたがってたよ」
「俺?」
「そう。どうする、少佐?」
 一瞬、エースは黙った。マーキュリーは静かにすべりながら裏道をたどっていく。サーペントがエースの体へ回した腕に力をこめ、寄せた体からくすくす笑いがつたわってきた。
「お前──」
「そこで降りよう」
 サーペントが囁くように言った。二人は大通りへ出る寸前でマーキュリーを降り、たたんだボードをハンドルで引きながら、タクシーを拾える場所まで歩く。車を拾ってラゲッジにボードを積み、行き先をエースが告げただけで、それきり二人はずっと無言だった。

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