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【13】

 裁罪。
 円形の石室に在るのは王と罪人、そして二人の証人。
 本来ならば告発者たる「声」が立ち会うが、王はそれを拒んだ。「私が〈声〉だ」と一言告げて。自らの手で裁罪の扉をひらき、他の三人を招いた。
 王が「声」を兼ねるなど前代未聞のことだろう、とヒルザスもレイヴァートも思ったが、入り組んだ王城の歴史において、本当にそうなのかは二人ともによくわからなかった。禁じる律もなさそうだが。当代の王は、何が定められていて何が禁じられているのか、しっかりと把握している。
 四人の背後で石の扉はしまり、王は水を満たした水盤の台を回って、上座に据えられた石の円座へひょいとのぼった。円座はかなりの高さがあり、そこに趺坐しても、立っている三人より王の方が高い。
「それぞれ、さだめの場所に立て。はじめる」
「‥‥‥」
 床は色合いのことなる石を組み合わせたモザイクで、文字とも紋様ともつかぬものがさして広くない部屋の床を覆っている。裁罪の灰色の衣をまとったロゼナギースが歩み出し、水盤をはさんで王と向きあった。その右へ、黒いマントをまとったヒルザスが佩刀して立ち、白いマントをまとったレイヴァートが左へ立つ。四人ともに、水を満たした水盤へ体を向けた。
 王は相変わらず黒づくめの簡素な身じまいであったが、細い銀の輪を額へしめていた。髪をあげ、白い額に輪の中央の赤い石を誇るように飾っている。灰色の目でロゼナギースを見据えた。
「それで? 己の罪状を、何と心得る」
「‥‥‥」
 ロゼナギースは眉をしかめた。石の重苦しい匂いがひややかに押し寄せて、彼を満たし、一瞬のうちに22年前へ心が戻ってしまいそうだった。引きずられ、己のものではない罪を「声」にあばかれ、死と自由を天秤にかけて選ぶよう強いられ、そして──すべてを奪われた。
 この裁罪の場所で、毒を謀った母は死に、その一族も罪を負って死んだ。この場所はこれほど狭かったのだろうかと、ロゼナギースはふしぎになる。あの時、天井ははるかに暗く、壁はことごとく闇に沈んで彼を呑みこむかに見えたものだ。
 今、ともされた油燭のもと、円形の石室はひどく平凡に見えた。
 ひとつ息を吸い、腹に力をこめて、ロゼナギースは王のまなざしを見つめ返す。
「22年前にここで立てた誓約をやぶり、王城より逃亡した罪を告白いたします、陛下」
「うん」
 あっさりと、王はうなずいたが、するどい眸はロゼナギースをそれることがなかった。かわいた声で残る二人へたずねる。
「何か申すことはあるか、右と左?」
「ございません」
 ヒルザスがそっと言った。レイヴァートも頭を垂れてうなずく。二人はとうに、自分たちがこの場で何かの発言を求められてなどいないと察している。
 王はうなずいて、背すじをのばした。
「では、申しわたす。その誓約と誓約破りについて、そなたを解放する、ロゼナギース」
「‥‥‥」
「納得できないか」
「理由が‥‥ございません、陛下」
 ロゼナギースは、やっとのことで声が揺れないように、それだけを言った。だが胸は激しく脈を打った。自由──罪とも誓約ともときはなたれて、自由? そんなことは考えたこともなかった。
 身の内に、灼けるような飢えがわきあがる。一瞬、すべてがどうでもいいほど、それを手に入れたいと願った。嘘をついてでも、自分を裏切ってでも。ずっと誰かに支配され、ずっと頭を垂れ、罪につながれて生きてきた。そこから──解放される?
 そんなことが生きているうちにありえるなど、空想したこともなかった。
 王は何の表情も見せず、かすかに身を前に傾がせて、じっとロゼナギースを見つめている。その目。深くつめたい、灰色の目。ロゼナギースはその目を受けとめて黙っていたが、やがて、低いがはっきりとした声で言った。
「私は前王へ誓約をたて、それを裏切りました。‥‥その罪を理由なく無とすることは、貴方の、前王へ対しての裏切りともなりましょう」
 するどい緊張が、二人の証人の面をはしった。ロゼナギースの言は、王への告発であり、拒否である。王はかるく肩を揺らしただけだった。
「本音か。死にたいか、ローゼ? 俺にお前を殺させたいか?」
「‥‥‥」
「死にに戻ってきたか、この国へ?」
「‥‥サリューカを、行いに。俺は、そのために戻ってきた‥‥そう、申し上げた。それがすめば誓約破りの罪をつぐなうがこの城の律」
「誓約とは何だ?」
 いささか苦々しげに、王は言った。
「己には罪なき6つの子供を裁罪の場に引き据えて、母の死に様を見せ、死ぬか未来を捨てるか選ばせることのどこに〈律〉とやらがある? 誓約とはな、ロゼナギース。もっと聖なるものだ。人と人が心で守るものであって、人の心をねじまげる枷ではない。神々をそんなことに使うことこそ、冒涜と言うのだ。前王はじつに馬鹿なことをした」
 あまりにも小気味よい言葉に、状況にもかかわらずロゼナギースは笑い出しそうになった。面を垂れたままのレイヴァートの口元にもかすかな笑みがはしる。ヒルザスはぐるっと目をうごかした。
 王は肩をすくめる。
「お前が誓約を満たしたいと言うなら仕方無い。ただし、俺はお前のつまらん罪悪感を引き受けてやるつもりはない。一つ聞く、ローゼ。正直に、まっすぐに答えろ。死にたいのか?」
「──いいえ」
 かたい声で、ロゼナギースは答えた。死を覚悟しているが、死にたいわけではない。誇りと自由を捨てて生きることをえらんだ、22年前。今、自ら死を求めることは、その22年間を無駄なものにするような気がした。
 王はうなずく。
「では、生きてつぐなえ。お前は6年前、王城から逃げた。これより6年間、王城において労役を命じる。それが終わればお前を解き放つ。ただし、2年後のサリューカをお前が見事に奏すれば、だ。サリューカと、6年の労役と。その二つが俺の条件だ」
「‥‥‥」
「まだ不満か」
 ロゼナギースの沈黙に、王は薄い笑みを頬にうかべ、レイヴァートへ左手を振った。
「レイヴァート」
 無言で一礼し、レイヴァートは左の証人の座を外すと、石の扉へ向かった。
 王城の奥扉にはすべからく魔呪がこめられている。開けようと扉にふれた手のひらが凍るようにつめたくなったが、レイヴァートは腹に息を溜めて石の掴み手に指をくぐらせ、つかんだ扉を強く引いた。強い抵抗をこらえて扉を開ける。
 そこに、侍女につきそわれた青年が立っていた。
 黒い目に緊張と恐怖をたたえ、レイヴァートを見やる。レイヴァートはうなずき、青年を内へ入れるとふたたび扉をとざした。
 ロゼナギースは、入ってきた青年を見てもわからない顔をしていたが、レイヴァートが青年をつれて水盤の前へ戻ると、はっと息を呑んで、みるみる顔色を失った。
「オルジカ‥‥か?」
 こくりと青年がうなずく。ロゼナギースは茫然とした。最後に見た時には、14才の子供だった。今は20才か。母親に似たのか、ほっそりして物静かそうな青年であった。
 王が静かな声で言った。
「ヴィラハンの息子、オルジカ。そなたと同じ師に仕えた者だ。見知りであろう」
「‥‥‥」
 ロゼナギースはうなずく。見知りどころではない。ヴィラハンは6年前、オルジカのためにロゼナギースを王城から逃がした。オルジカをサリューカの後継者とするために。
 ヴィラハンの野心をわかっていたが、ロゼナギースはそれにのった。「罪人」が音師を継ぐことが城内でどれほど多くの反発を招くかが怖かった。血筋と身分から言って、オルジカの方が次の音師にふさわしい。だが、逃亡からわずか2年で、彼らの師が死ぬとは予想だにしていなかった。
 そのオルジカは、幽霊のように青ざめ、何かをこらえるように唇を噛んでそこに立っている。不吉なものを覚えて青年を凝視したロゼナギースの耳に、王の声がとどいた。
「ヴィラハンは理由を誰にも告げず、自裁した。毒を含んでな。妻もまた彼とともに伏した」
「‥‥‥」
 ロゼナギースの表情が凍りつくのを眺めて、王は淡々と語を継いだ。
「理由を公にするつもりはないが、人の口はふさげるものではない。すぐに噂が立つだろう。6年前のことも、今回のことも、な。どう思う、ローゼ」
「は‥‥?」
「ここなる息子は、親の罪を継いで裁罪されるべきだと思うか?」
「!」
 目を見ひらいて、ロゼナギースは王を見ていた。王は揺るがない。どのような冷酷も平然と見せるであろうおだやかな顔に、読みとれる表情は何一つ無かった。
 ロゼナギースは、のろのろと、オルジカを見やる。オルジカは今にも倒れそうなほど青白い顔をしていたが、頬にひとすじの紅潮がさしていた。怒りにか、恥辱にか──22年前の自分を、ロゼナギースは思い出す。母の罪を知らされ、己の負うべき重荷を言いわたされ、それまで生きていた世界のすべてを失った。彼は6歳だったが、あの時感じた身を灼くような無力感は、今でも鮮やかだった。
 オルジカの感じている痛みと苦しみ。それをまざまざと目にして、ロゼナギースの口の中が乾いた。ぞっとする。その父が死んだのは、自分のあさはかな選択のためだったのだ。
 王へ顔を戻し、彼はかすれた声で言った。
「いえ‥‥子は、親の罪から自由であるべきと存じます」
 王はうなずいた。ちらっと笑みがかすめた。
「そうだな。オルジカ」
 呼ばれて、オルジカの肩がぴくっと動いた。王を見やることはできず、うつむいたまなざしを水盤へ据えている。
 王はおだやかな口調で、
「お前は父の罪を負うな。父の名を継ぎ、生きよ。そしてロゼナギースを新たな師として、音を学べ」
「それは‥‥」
 ロゼナギースが言いかかった。結果としてオルジカの父母を死なせた自分が、師としてふさわしいとは思えない。だが、サリューカを次代に継がねばならないのも確かだ。思わず声を途切らせる。
 王が何事も聞かなかったようにつづけた。
「オルジカ。何か申し述べたいことがあれば、申せ。遠慮はいらん」
「‥‥‥」
「申せ」
 おずおずと、オルジカは顔を上げ、ためらってから、自分を見つめる王と目を合わせた。汗が肌をうすく光らせている。怯えたような、どこか絶望的な目をしていた。声はかすかにふるえている。
「‥‥恥辱を背負って生きるなら、死をえらびたいと思います」
 ロゼナギースが目をとじた。
 王がじっとオルジカを見つめる。
「そなたの父と母は、何のために死んだと思う?」
「‥‥罪を恥じてのことでございましょう」
「ちがうな。お前を生かすためだ。己の命で罪を引き受け、お前のことは許せと、ヴィラハンは己と妻の死でもって俺にせまったのだよ。あれはずるい男だな」
 淡々とした言葉に、オルジカの目の奥に強い光がともった。怒り──に近いもの。父を侮辱されたことに対する反発と、そんなことを言い出す王への困惑が入りまじっている。悪い眸ではない。さっきの怯えた顔よりずっといい。王は唇のはじを持ち上げた。
「だが、お前を愛していた。その想いを裏切って死ぬか? 生きるのもつらいぞ。人はお前の父の罪と、お前を重ねて見るだろう。それを背負って生きる覚悟がないなら、怖じて死ぬもよかろうが」
「!」
「生きろ、オルジカ。それより重いことはない」
 やわらかに言い切って、王は、凍りついたように立つロゼナギースへ灰色の眸を向けた。
「そしてお前は、ローゼ、オルジカを導き、道を示せ。6年前、愚かなことをしたと思うなら、つぐなうのは俺にではないぞ」
「‥‥‥」
 ロゼナギースは無言のまま王を見ていたが、ゆっくりとオルジカへ顔を向けた。レイヴァートの横へ立つ青年は青ざめ、怒りと困惑に引き裂かれそうな表情で、小さく震える拳を握りしめている。明らかに心がさだまっていない。痛みのうちに揺らいでいるのだった。
 ふ、と深い息をつき、ロゼナギースは王へ頭を深く垂れた。
「御意のままに」
「うむ。‥‥オルジカ?」
 オルジカはぐっと唇を噛んで、右手を左肩におき、頭を垂れた。
 王はうなずき、円座からひらりと石の床へ降り立った。水をたたえた水盤へ歩み寄り、腰から瀟洒な銀の短剣を引き抜く。水にかざした左手の手首に薄い刃を当てながら、淡々とした声で言った。
「ロゼナギースに6年の労役を命じる。1つの贖罪は6年かけて果たされよう。もう1つの贖罪は、生涯かけて果たせ。王城の裁きはこれにて終わる。証人よ、証せよ」
「証、いたします」
 レイヴァートとヒルザスが同時に奏した。袖を引き、水盤の上へ左手をさしだす。ロゼナギースと、一瞬遅れてオルジカも従った。短剣は王の肌をすべり、血の一滴を銀の刃にからみつかせる。つづいて、刃には、レイヴァートとヒルザス、ロゼナギースの血が流れた。
 オルジカの手首に血に濡れた刃をあてながら、王は静かに語りかける。
「生きて、学べ。ゆるすすべをな。人も、自分も」
「‥‥御意‥‥」
 しぼりだすように言う青年の目に、ふいにきらりと涙が光った。こらえて唇を噛む。その肌を短剣の刃がうすくすべり、刃は5人の血をからみつかせて灯りの炎をギラリとうつした。
 王が裁罪の言葉をつぶやきながら、水盤へ血をふりおとす。水は波紋にゆらいで彼らの血と言葉を呑みこんだ。