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【11】

 王城はまるで丘のように大地からそびえたつ。王城前には、王城をかなめの扇型にアシュトス・キナースの街がひろがっていた。まるで、石の山から巨大な塔を切り出したように見える王城の威容は、遠く背後にそびえる山々よりはるかに堂々と周囲を圧する。。
 街の外郭を回り、王城をかこむ空堀の跳ね橋を渡る。頭上に石の竜が口をあける巨大な門をくぐると、石の前庭がひろがっていた。王城の建物が目の前にせまってくる。巨大な一本の王塔を無数の脇塔がかこみ、架橋で複雑につなぎあわされ、からみあった石の城。塔の数は、地面から建つものだけで二百基をこえる。宙で二つに分かれたり、別の塔と融合しているものもあり、全体の数はわからない。
 一の門をくぐり、二の門へさしかかる手前で、ロゼナギースは足をとめ、頭上高くそびえ立つ王城を仰いだ。彼は16年間、塔の一つを与えられ、その中で生きてきたのだった。
 そしてこの地を裏切ってのがれ、今、帰還した。
 6年の空白をへて、還りついた彼の目に、この王城はどううつったか。沈黙のまま、その目はただ温度のない石の城を見上げている。
 やがて、レイヴァートが低く声をかけ、うなずいたロゼナギースは顔をまっすぐ前へ戻して歩きはじめた。


 ロゼナギースをはさんでヒルザスが前に、レイヴァートが後ろを歩んで、彼らは王城の地下へ潜る狭い通路を抜ける。人がすれちがうのがやっとの、じめついた道の向こう側、鉄を組まれた格子の扉をくぐると、細い塔の中に出た。塔の壁には細い窓が切れこみのように入り、糸のような光があちこちからうすぼんやりと差し入ってくる。
 ヒルザスが、壁に架けられた油燭を取り、炎をともした。先に立って、ふたたび歩き出す。三人の足音がゆるやかに石にこだまし、吸いこまれる。
 何一つ、変わらない。ロゼナギースは息苦しくなるのをこらえて、平静な表情で階段をのぼる。彼の牢獄。彼の檻。何一つ変わっていない。
 三人は無言のまま階段をのぼって、かつてロゼナギースが居室として使っていた扉の前へ立った。扉には大きな鉄の横桟が打たれ、閂を外から落とせるようになっているが、今は閂棒は見当たらなかった。鍵もあいている。
 ヒルザスがノックをする。答えのようなものが中から返った。ロゼナギースがけげんそうに首をかしげてレイヴァートを見やる。誰か中にいるのか、という無言の問いに、レイヴァートは背すじを正したまま答えなかった。
 ヒルザスが扉を押しあける。塔の多くは廊下が狭いので、扉はほとんどが内開きだ。
 中へ入って、踵をあわせ、ヒルザスは腕を曲げて右手を左肩へおいた。頭を下げる。
「ロゼナギース殿をおつれしました、陛下」
 レイヴァートも同じように腕を折って一礼する。これ以上の過剰な礼節を、彼らの王は好まない。
 ロゼナギースは、あっけにとられた表情でそこに立つ人物を見つめ、言葉がなかった。
「ご苦労」
 深みのある、おだやかな声が彼らをねぎらった。質素とすら言える黒づくめの服をまとい、薄絹のマントを申し訳程度に右肩から斜めに背へ垂らして、飾りと言えば胸元へ垂れる鬱金の鎖しかない。腰に佩いた細い曲剣の、鞘も柄も黒い。
 王城の内部にいることが多いからなのか、肌の色は白い。くせのない黒髪を首の後ろで無造作にたばねた、端然とした立ち姿の男であった。さして長身ではないが、声にも姿にもやわらかな気品がある。まっすぐな鼻すじが印象的で、口元は強い意志を刻み、おだやかだがきわめて凛然と人を見据える。
 灰色がかった眸をレイヴァートとヒルザスへ向け、王は微笑した。
「面倒をかけた。‥‥少し、二人にしてくれ」
 ロゼナギースが長い息を吐き出す。臣下の礼を取らず、その眸はくいいるように王を見つめている。
 ヒルザスとレイヴァートは無言で頭を垂れ、部屋を出て、厚い扉をとざした。


 細い窓が二つ。腕をやっと出せる程度のもので、空を見ることもかなわない。
 部屋は、縦に5歩、横に10歩あまり。寝台と、机と、本棚と。身の回りのものを入れる櫃が三つ。
 手を後ろ手に組み、王は窓辺へ歩みよって、切り取られて断片にすぎない景色をながめた。
 ロゼナギースは無言のまま、記憶にあるままの部屋に立ちつくし、王の動きを目で追うばかりだ。
 やがて、王がふりむき、微笑した。
「おかえり、ローゼ」
「‥‥サリヴァス」
 ロゼナギースは、その名を呼ぶ。王の微笑がかすかに深まった。
 王城の王に、名はない。王となった者は王である以外のことを奪われ、ただ王として君臨し、王として支配する。
「俺の名を、まだ覚えていたのだな」
 王には名が無い──
 かつて彼を名付けていた名は、戴冠とともに封じられ、捨てられる。
 その名で呼ばれて、なつかしそうに目を細め、王はロゼナギースを見やった。
「6年‥‥会うのは8年ぶりか。どうだった、外は?」
「‥‥‥」
「どうした、ローゼ」
 やわらかなまなざしで見つめている。大きな息をつき、全身から何かが抜けていくようで、立っていられなくなったロゼナギースは、床へ座りこんだ。うつむいて、額に手を当てる。王がふしぎそうにたずねた。
「どうした。傷が痛むか?」
「いや‥‥すまん、サリヴァス、俺は‥‥お前との、誓約を破った。俺を──殺せ」
「誓約? 何のことだ」
 ロゼナギースははじかれたように顔を上げる。王は、かすかに柳眉をしかめて、彼を見おろしていた。
「‥‥王城の王にたてた誓約だ。お前もいただろう。俺が6つの時。王城と王を裏切って逃げるようなことはしないと、誓約を立てた」
「あの時の王は俺ではない」
「王位を継承して、誓約も引き継いだだろう!」
 思わず声が一段はねあがった。こんなところに王がくるとは思わなかった。しかも、彼を糾弾する様子も裁く気配もない。何故だかロゼナギースには、それが堪えがたかった。いっそ腰の剣で斬られた方がマシだと思う。
 ──そんなふうに、微笑まれるよりは。
「ああ、成程」
 どうでもいいことのようにうなずき、壁によりかかってロゼナギースを眺めた。
 王は記憶にあるのとほとんど変わっていないと、ロゼナギースは見上げた。両のこめかみあたりから一本細く髪を編んで、首の後ろでほかの髪と合わせて結んでいる。最後に会ったのは8年前で、王が27才、ロゼナギースは21才。その8年間で、王はたしかにより落ちつきをまし、どこか厳しい風貌にはなっていたが──それでも、その目はまるで変わっていなかった。
 半分血がつながっていることが、まるで信じられない。迷いのない目をして人を見つめる。
「何故もどってきた?」
「‥‥つかまったからだよ」
「牢から、アシュトス・キナースの外交官を呼んで本当の名を名乗っただろう。お前は自分で帰ってきたんだ」
 よどみのない口調だった。ごまかしは通用しない。昔から、そうだった。
 ロゼナギースは一瞬目をとじ、溜息をつく。
「師匠が亡くなったと聞いた。サリューカをやる者がいないだろうと思って‥‥」
 言葉を途切らせ、顔を上げた。自分を見下ろすまなざしを見返して、淡々とした口調で説明する。
「俺が逃げてから、師匠が死ぬまで2年とちょっと。それだけで、ほかの弟子にサリューカをつたえられたとは思えない。だから、戻ってきた。2年後、お前はサリューカの儀を執り行わねばならん。‥‥それを、成功させたい」
「4年前に音師が死んだ時、ヴィラハンは、己の息子がサリューカを継いだと俺に報告した」
 何の感情も持たない声で、王は言った。それを信じたのかどうか、口調と表情からは伺い知ることができない。その手は何かをもてあそんでいた。マントの飾り留め──ロゼナギースを殺そうとしたヴィラハンが、落としていった飾りだ。それをマントから切り落としたヒルザスが王城へ届けさせ、それは今、王の手の中にあった。
 ロゼナギースは首をふる。
「ヴィラハンの息子は耳はいい。腕も、相当あがっただろう。だがサリューカを一度も経験したことがない。9年前、師のサリューカの副律を取ったのは俺だったからな。‥‥だめだサリヴァス、うまくいく筈がないよ。あれはただの楽譜じゃない。楽律をあいつに取らせてはならん」
「6年前、お前を逃がしたのは、ヴィラハンか」
 つめたい響きのある声に、ロゼナギースは答えなかった。かわりに、低く言った。
「サリヴァス。いや‥‥陛下。俺はサリューカをあんたのために奏するため、戻ってきた。サリューカを終えたら、俺を裁き、俺を殺せ。それですべて‥‥終わらせてくれ」
「お前が死んで、その次のサリューカはどうする?」
「ヴィラハンの息子が継げる。今から2年かけて俺があいつを教えるし、今度のサリューカの副律を取らせる。いい音師になるよ」
「成程。それなりに筋道立てたな。で、俺にその通りに動けと言うか」
「‥‥‥」
 ゆっくりと、王は壁にそって歩き出した。ロゼナギースは緊張したまなざしでそれを追う。一歩一歩、たしかな足取りで壁ぞいに部屋を一周めぐり、元の場所へ戻ると、王城の王はそっとたずねた。
「何歩だ、ローゼ?」
「‥‥34歩」
「やはり、それも忘れてなかったな」
 淡い笑みをうかべてロゼナギースを見つめていた。
 ロゼナギースは16年間の多くをこの部屋ですごした。子供時代においてはほとんど幽閉され、長じてからは塔内を自由に歩くこともゆるされ、ごくまれに遠出がゆるされたこともあったが、それでも、彼の枷はここにつながれ、彼の世界はここにあった。
 この部屋で、何もすることがなく、すべてをあきらめてしまいそうになると、彼はただこの部屋と部屋にあるものを測ることでその時間をやりすごした。何度も、何度も。己の体を物差しにして、夜が更けるまで部屋中を測りつづけた。
 ‥‥34歩。部屋を壁にそって、ぐるりと一周。
 ロゼナギースを見おろして、王は少しの間無言だったが、静かに言った。
「余りに長く、ここにいたな」
「‥‥俺のさだめだ。己で誓約を立てた。生きるために」
「お前は強い。希望を失うことなく、どうやって耐えた?」
 問われてロゼナギースは口の中で吐息を殺す。
 お前が言うのか、それを──そう、面と向かって言ってやりたかったが、どんな顔をして言えばいいのかわからなかった。半分血のつながった兄ではあるが、すでに絆は断ち切られ、ロゼナギースは母の犯した罪ゆえに、天にも地上にも係累はない。記録の上では彼の父は誰でもなく、目の前の兄とつながりを示すものは何もなかった。
 それに、6才の時にあの事件がおこる前も、相手を「兄」と思ったことはない。この「王」は常に彼よりはるかに高みに立ち、常に手のとどかないところにいた。
「──ふつう、“どうして逃げた?”とか聞くもんだろ」
「どうやって何故耐えたのかがわかれば、逃げた理由などおのずと知れる。もはや耐えるべきものがなくなったからだ」
 平然として、言う。相変わらず、自信に満ちている。ロゼナギースは床へ投げ出した自分の靴先、埃まみれですり切れかかった革を見つめて、苦々しく笑った。
「知りたいのか」
「知りたいね」
「どうせ首を斬らなきゃならん奴の言うことなんか、どうしてマジメに聞こうとするかね」
「王城における王は、秩序だからな」
 意味がわからずにロゼナギースが顔を上げると、王は灰色の眸にふしぎな微笑をうかべていた。
「秩序が王を保ち、王が秩序を保つ。だがなローゼ、無為で無思慮な秩序は、それ自体が凶器なのだ。ゆえに我らは真実を求めるようさだめられる。人の増長を封じる唯一の道は、真実を求めつづけることだけだ」
「‥‥王として、知りたいと?」
「お前が罪ある者として話すなら、王として聞く。それだけだ」
「お前は──卑怯だ、サリヴァス‥‥」
 言うつもりもない、言おうとしてもいない言葉を口ばしって、ロゼナギースはぞっと血の冷える思いがする。だが、一瞬その顔を見つめ、王はかろやかな声を上げて笑いだした。
「なあ、俺にそれを言うのはお前くらいのものだぞ。実の弟たちでさえ、もはや俺の名を忘れ去った」
「‥‥‥」
「わからんか? 俺たちは、似ているのだ。お前は目に見える壁に、俺は目に見えぬ壁にかこまれている。そうさだめられ、そう生きてきた。──そして、お前は壁の向こうへ出ていった」
 胸の前の右手で、ぱっと何かを散らすような仕種をした。それから右拳を握り、小さな息をつく。
「‥‥俺が知りたいと思うのも当たり前だろう」
「‥‥マキアが‥‥」
 ロゼナギースは、目を伏せて、つぶやいた。マキア。彼のために地獄のような世界で生き続けた、唯一人の「家族」。
「俺のために、娼婦になったマキアが、な。自由になっただろう。ゆるされて、娼館の主となった。8年前のことだ。お前がマキアをゆるして娼婦の身から解き放ち、店を持つことをゆるした」
「ああ」
「‥‥だから、俺が逃げたとしても、マキアが殺されることはもうないと思った。それからずっと‥‥逃げ出すことを考えていた」
「お前をこの城に結びつけていたのは、マキアの存在だけか」
 それが問いなのかどうか、よくわからない。
 ロゼナギースは床に座りこんだまま、斜めに王を見上げて、かたい沈黙を保った。これ以上、うかつなことを言うつもりはなかった。この石の塔を己の檻として16年。その中で、彼がどんな夢にすがって生きてきたのか、生きつづけたのか。それを口に出してしまいたくはなかった。
 黙った彼をしばらく見おろしていたが、王は表情を変えずにうなずいて、しなやかな身のこなしで彼の横を抜け、扉へ歩みよった。
 足をとめ、肩ごしに言う。
「本日、瞑の鐘とともにお前の裁罪をとり行う。身を浄め、裁罪の衣をまとって場にのぞめ」
「今日? いくら何でも──!」
 早すぎやしないか、と言いかかり、ロゼナギースは声を凍りつかせた。扉口にたたずみ、彼を見おろす王の顔は静謐で、とぎすまされた刃のような鋭さをはらみ、ゆるぎない力に満ちていた。
 灰色の瞳に見据えられて、ロゼナギースは低く頭を垂れ、右拳を左肩へ置いた。
「御意のままに、陛下」
 ──王の顔で、王の眸で。人を当然のように従わせる、その意志で。
「ああ」
 鉄の声で一言こたえて、王は部屋を出ていった。


 後ろ手に扉をしめ、王は廊下にひかえていたレイヴァートとヒルザスを見やった。
「疲れているところすまないが、本日の瞑刻にローゼの裁罪を行う。証人として左右に立て」
 ヒルザスはあからさまな驚きの表情をうかべ、さしものレイヴァートの表情もかすかに揺れた。本日中の裁罪というのも異例なら、近衛を証人として左右に立たせるのも異例だ。
 ヒルザスが小さく咳払いをした。
「御意。‥‥しかし‥‥どちらが右で、どちらが左に?」
 基本的に、裁罪においては「裁罪の座」と呼ばれる石の円座へ趺坐し、中央の水盤をはさんで裁罪される者が王と向きあう。証人は、王と裁罪者の間に、互いに向かいあって立つのだが、「右」と「左」は裁罪される者から見た証人の位置で、右は王の、左は裁罪者の側に立つ証人として、それぞれの意思をつかさどる。
 つまり、「右」の証人と「左」の証人では、位置だけでなく役割が正対しているのだ。
 王は、平然として言った。
「好きにしろ」
「‥‥御意」
 ヒルザスが何か言いかかる前に、レイヴァートがかるく頭を垂れ、答えた。王は何事もないかのようにうなずいて、
「レイヴァート」
「は」
「お前はローゼについて、裁罪の準備をさせておけ。ヒルザス」
「は」
「お前は口のかたそうな侍女を見つくろって、ローゼの身支度を手伝わせろ。お前たちの支度もあるしな」
 言い切って、反論や疑問はないかと二人の顔を眺めわたし、これ以上言うことはないと判断したらしい王は、きびきびと塔の階段を降りていった。
 姿がしっかり消えたと確信してから、ヒルザスが口をひらく。
「何で俺が、召使い頭みたいなこと‥‥」
「城内の女にくわしいのは、俺よりお前だろう」
 ことさらに皮肉というわけでもなくレイヴァートが返して、それきり反論はなかった。