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【3】

 扉をあけた瞬間に笑い声が聞こえて、レイヴァートは少しあっけにとられた。閂をあけたサーエシアが兄の顔を見ながらまたくすくす笑った。
「とうに日は暮れましたよ、兄様」
「ああ、遅くなって悪かった」
 妹に笑みを投げて中へ入り、のばしてくる手に脱いだマントと剣帯を手渡した。手がふっと、腰の斜め後ろに吊るした骨柄の短剣をかすめる。これを黒館に残してきた時、イユキアは病んでいたようだった。体だけではなく、心にも重いものをかかえて。
 ──まだあの悪夢は、彼の中に眠っているのだろうか。
 レイヴァートは短剣にふれていた手をおろし、サーエシアの笑顔へ向けて首をかしげた。
「ご機嫌だな?」
「ええ」
「3人?」
「ええ、カードをしていらっしゃいますよ」
「──イユキアも?」
「ジノルトが教えて、ううん、教えようとしている」
 また可笑しそうにくすくす笑うサーエシアを見つめ、レイヴァートは妹の頬にふれた。
「元気そうだな。大丈夫か? 何ともないか?」
「ええ。イユキアが新しい練薬をくれたのだけれど、とても使いやすい」
 サーエシアはレイヴァートの剣とマントをかかえ、居間へ入っていく。レイヴァートも続いた。
 ソファの位置が変えられ、暖炉の前で向きあうように2つ配されている。その間に置かれた黒樫のテーブルには、色の美しいカードが並べられていた。テーブルをはさんで3人がカードに興じている。
 カードを手にしているイユキアが、レイヴァートを見上げてほっとした表情になった。目顔でうなずいて、レイヴァートは残る2人へ目を向ける。
「すまん。遅くなった」
「他所者が死んだらしいね」
 イユキアの横に座っている男が立ち上がった。レイヴァートより少し年嵩で、たくましい体つきをしているが、上背もあるのでそこまでがっしりとしているようには見えない。髪は茶褐色、瞳は青みをおびた灰色で、右耳に小さな金の環を飾っていた。
 さしだされた手を、レイヴァートはしっかりと握り返す。久しぶり、と挨拶を交わしていると、向かいのソファの男も立ち上がる。こちらは彼らより10ほど年上の男で、一回り小柄な体に毛織りの上等な上着をまとって、胸元に磨り銀の鎖を3重に巻いていた。彼もレイヴァートと握手を交わす。
 2人は、よく似た青灰色の瞳をしていた。
 レイヴァートはイユキアへ向き直る。
「もう聞いただろうが、俺からきちんと紹介しておこう。この2人は北側の荘園の管財人で、ここの荘園の管理の代理人でもある。兄のエギンと、弟のジノルトだ。エギン、ジノルト、こちらはイユキア。サーエの病を診てもらっている、施癒師だ」
「異国のお人だな?」
 弟のジノルトがイユキアの銀の髪へ目をやった。イユキアは曖昧な表情で小さく頭を下げ、レイヴァートはうなずいて、テーブルのカードをのぞきこんだ。
「去年の流行り病を抑えるのに、王城が手を借りた。──ノム・ヴァムか?」
「そうだ。死人の身元はわかったか?」
 兄のエギンが場所をずらして、レイヴァートの座る空間をあける。レイヴァートはイユキアの向かいへ腰をおろし、首を振った。
「いや。街道警備隊に届けたから、あちらで調べるだろう。ひとまず采領の方にも話を回してきた。あちらから王城へ連絡が行く。一両日中にそちらにも誰か聞き取りに行くかもしれん」
「冬に他所者がうろつくのは珍しいが‥‥見たという話は聞かんな」
「今日も1人、いらっしゃいましたよ」
 兄へ熱い茶を出しながら、サーエシアがにこやかに口をはさむ。レイヴァートが眉をあげた。
「ここにか?」
「ええ。剣士の方が道に迷ったとかで。イユキアが応対してくれて」
 視線を送られて、イユキアがうなずいた。レイヴァートと目を合わせ、ひっそりした口調で言う。
「巡礼でしょう」
「なるほど」
 うなずいて、レイヴァートは茶を飲みながら、慣れない手つきでカードをめくるイユキアをしばらく眺めていた。ノム・ヴァムと呼ばれるカード遊びを横のジノルトが教えていたが、イユキアはどうもあまりよく呑みこめていないらしく、ジノルトが苦笑した。
「お国はどちらだ? そちらが慣れたカード遊びをこちらが覚えた方が早そうだ」
「どのくらい前からやってるんだ?」
 イユキアが答えるより早く、レイヴァートが口をはさんだ。エギンが指をひらひら振って、半刻くらいかな、と示す。茶であたたまった息をこわばった指先に吹きかけ、レイヴァートは立ち上がった。
「コツを覚えればすぐだろう。すまんが、──イユキア」
 2人の兄弟へ断って、イユキアを手で招いた。居間のすみにレイヴァートの荷が置かれたままになっている。それを手に居間を出るレイヴァートへサーエシアが声をかけた。
「夕食の仕度をしてもいいかしら? 今日はキナに手伝ってもらって鹿のシチューを作ったのよ」
「うまそうだな。たのむ」
 言い置いて、レイヴァートは廊下を歩き出した。廊下に吊るした手付きの油燭を1つ取って灯りにする。かすかな足音が追ってくるのを肩ごしにちらっと見ると、イユキアは何か考えこんでいる様子だった。
 奥の階段を2階へ上がり、レイヴァートは自分の部屋の扉をあけてイユキアを手で呼んだ。イユキアを先に部屋へ通して自分も歩み入り、背後で扉をしめる。荷物を床へおろし、机に油燭をおいた。
 向き直ると、見ていたイユキアがレイヴァートを呼んだ。
「レイヴァート──」
 言いかかったイユキアをぐいと両腕で引きよせ、背中に手を回して抱きしめる。イユキアはたじろいだが、きつい抱擁が続くと、こわばった体の力を抜いてためらいがちにレイヴァートへ腕を回した。よりそった体は冷えていたが、やがて互いにぬくもりがつたわってくる。イユキアが吐息をついてレイヴァートの肩へ頭をあずけた。
 レイヴァートは無言でイユキアを抱きしめていたが、腕をゆるめ、銀の髪をなでた。
「悪かった。すぐ戻れると思ったんだが‥‥」
「あのまま永遠にカードをやり続けるのかと思いましたよ」
 イユキアの声は笑っていた。レイヴァートも笑って、イユキアの首の後ろへ手を回し、顔を上げさせた。
 唇でかるく唇にふれる。2度、3度とイユキアの唇をかすめると、イユキアが呻いて目をとじた。小さくひらいた唇へ、今度はゆったりとくちづけた。
 深く、時間をかけて唇をあわせ、熱っぽく舌をからませる。部屋の空気はしんと冷えていたが、くちづけの熱に満たされて、レイヴァートはイユキアの舌を求めた。ためらいがちの反応をとらえ、さらにくちづけを深めながらゆっくりと時間をかける。イユキアがレイヴァートの肩に強い指先ですがった。
 唇が離れても目をとじたまま、イユキアはレイヴァートへ頭をもたせかけていたが、ぼんやりした声でつぶやいた。
「‥‥どうしても、役の作り方がわからないんですが」
「ああ、あれはちょっとしたコツがあるんだ。全部まる覚えしようとしなくてもいい」
 レイヴァートはイユキアの髪をなでながら耳元へ囁いた。
「後で教えてやる。カードの見方は覚えたか?」
「それは、何とか」
 ゆっくりと身を離し、イユキアは顔にほつれた髪を指先でかきあげた。くちづけの名残りで目もとがかすかに潤みを帯び、頬骨の高い部分に赤みがさしている。レイヴァートは微笑して、荷物の口をひらくと、中から着替えを取って服を替えはじめた。
 イユキアもすでに旅装から着替えている。扉のそばにもたれて待つイユキアへ、レイヴァートが胴着を脱ぎながらたずねた。
「道に迷った剣士というのは? サーエに聞かせられない話か?」
「‥‥あなたの名前を知っていましたよ」
 レイヴァートがするどい目でイユキアを見た。イユキアは淡々とした口調で、剣士のいでたちと互いのやりとりをかいつまんで伝える。レイヴァートは話を聞き終えるまでに着替えをおおよそ済ませ、目のつまった毛織りの上着に袖を通しながら溜息をついた。
「何者だ?」
「わかりませんが、黒魔呪の気配がしました。呪縛しようとしたのですが、やぶられてしまって。すみません」
「いや。助かった。お前がいなくては、サーエに何かあったかもしれん」
 優しい声だった。イユキアは一瞬目を伏せ、つぶやいた。
「左利きでしたよ」
 短剣を腰の後ろへ吊るしていたレイヴァートの手がとまった。黙ったまま考えこんでいたが、彼は抑えた声でたずねた。
「‥‥イユキア」
「はい」
「切り落とされた腕をもう1度つけるような魔呪は、存在するか? ‥‥死者の腕を、つけるような」
 イユキアはレイヴァートを見つめ、うなずいた。
「傀儡の技──闇の技です。そういうものを使う呪師はいます」
「そうか」
 小さな吐息をつき、短剣の柄の位置をたしかめて握ってから、レイヴァートは背すじをのばした。
「イユキア、俺は明日、お狩り場の森へ入る。死体も気になるし、戻ってこない村人の問題もある」
「私も行ってみたいのですが」
「たすかる」
 レイヴァートはうなずいた。森も魔呪もイユキアの領域だと、よく知っている。
「森で何かおこっていると思うか?」
「わかりません。とにかく、調べてみないと」
 首を振って、イユキアは扉に手をかける。芯の強い言葉は、その後ろ姿から聞こえてきた。
「ですが、森で何かあるならば、それは森の民と黒館の役割──私の、役目。でしょう」
 レイヴァートは無言のまま、イユキアを追って後ろを歩き出す。彼らの耳に、階下から食事を知らせるサーエシアの呼び声が聞こえてきた。


 湯気をたてるこってりとしたシチュー、ニンニクをすりつけてから暖炉で軽くあぶった黒パンの薄切り、根菜と豆のピクルス、玉ねぎといっしょに油でこんがり揚げたジャガイモ。甘い果物と煮つめたチーズカード。
 夕食は居間で取った。食堂もあるのだが、部屋をあたためるのには時間がかかる。それならもう火が入っている暖炉のそばで、というのがサーエシアのやりかたらしい。快適なので誰も文句を言わない。
 食事はなごやかだった。エギンとジノルトの兄弟とレイヴァートが荘園と王城の近況を語りあう。サーエシアは自分用に別分けの味の薄いものを食べていた。イユキアとサーエシアはともに小食で、早めにスプーンを置いたが、3人の話を聞きながら時おり2人で会話をかわす。
 いつものことだが、サーエシアはイユキアの旅の話を聞きたがった。外の景色が見られない分、旅への欲求が強い。イユキアは以前に訪れた大きな花祭りの話をしながら、あれこれと詳しくたずねられるたびに、もっと色々覚えておけばよかったと思っていた。あまり興味を持たないままに放浪していた時のことだから、どうも話の種類がない。
 食事を片づけると、食後酒を飲みながらまたカードに興じた。今度はレイヴァートがイユキアへカードを教えた。ノム・ヴァムというカード遊びは相手が出したカードと自分のカードを合わせて役を作っていくもので、役の数が多いので一見複雑に見える。ある程度パターンを覚えてそこから展開していったほうがわかりやすい。
 イユキアははじめは自分でカードを持たず、レイヴァートが作る手とカードを眺めていたが、説明をくり返されてそのうち呑みこんだようだった。やってみるか、とレイヴァートがたずねると、うなずいて配られたカードを手に取った。
 3回連続で負け、ジノルトが舌打ちした。
「おどろいたな。意外と、勝負強い」
「勘がいいな」
 レイヴァートがうなずいて、カードをまとめた。困ったように微笑するイユキアへ、ジノルトが意味ありげな視線を投げた。
「賭け事はしないのか?」
「妙な誘惑をするな」
 レイヴァートがそっけなくさえぎる。苦笑するジノルトへイユキアは無言で首を振り、兄のエギンが両腕でのびをして立ち上がった。サーエシアは途中で早めに切り上げ、すでに寝室へ引き取っている。
「お前は商人に賭けで負けて、葡萄酒1樽分の借りを作ったんだぞ。相手をえらべ、ジノルト」
「うん、俺はたしかに相手をえらぶのが下手だ」
 呻くジノルトの肩をレイヴァートが笑って叩いた。
「樽とはいかんが、ワイン1袋でどうだ? 明日、たのみたいことがある」
「ん?」
「1日、この家の番をたのみたい。森の見回りに行きたいのだが、他所者がいるとなるとサーエを家に置いていくのが心配でな」
「わかった」
 ほがらかに引き受け、イユキアへ最後の挨拶をして、ジノルトは白い息を吐きながら兄といっしょに帰っていった。夜はふけているが、隣りの荘園までは歩きでも半刻はかからない。
 扉をしめて鍵と閂をおろし、レイヴァートはイユキアへ向き直った。
「ジノルトは、カードに目がないのだがな。兄貴の方がまだうまい。──くたびれただろう、悪かった」
「けっこう楽しかったですよ」
 言葉どおりイユキアの表情は明るかった。居間へ戻り、暖炉にいちばん近いソファへ座って、レイヴァートは火の近くであたためられているワインの壺を取る。横へ座ったイユキアへ、酒を満たした杯を手渡した。
「ならよかったが。ここへ来た最初の日は、彼らと夕食をとるのが慣習でな。いろいろと、俺には手の回らんことをまかせているし」
「叔父上のころからですか?」
 長いソファの背にはたっぷりとした鹿皮がかけられている。あたたかな毛皮に身を沈め、イユキアはワインをすすった。暖炉に火がかきたてられた部屋は充分に心地よく、炎の熱気にあたっているとふっと眠くなってくる。自分が思っていたよりもずっと疲れていることに驚きながら、イユキアはあくびを噛みころした。
 レイヴァートが自分のワインを大きく飲んだ。
「ああ、そうだ。叔父はあまり国によりつかん人でな。もともとあの兄弟の親父殿と親しくしていて、その縁でここの管理をしてもらっていた。それだけ好き勝手やらかして、よく土地を召し上げられずにいたものだ。何やら、竜を探すのなんのと手紙に書いていたがな」
 イユキアがふっと顔をあげた。何か考えている様子の彼を、レイヴァートは左腕を回して引きよせる。人がいなくなったので緊張が抜けたか、イユキアは珍しいほど従順にレイヴァートによりかかりながら、ぼんやりとつぶやいた。
「竜‥‥」
「酔狂な人だ。滅んだと言われて、さだかならないものをな。冗談で言っているのかもしれんがな」
 イユキアの手から杯を取り上げ、レイヴァートは華奢な肩から腕までゆっくりとなでおろした。イユキアが重い頭を振って身をおこそうとするが、抱いた腕をゆるめずに、囁いた。
「眠っていい。運んでやるから」
「‥‥‥」
 イユキアが口の中で何かつぶやいて、目をとじる。言われるままに自分へよりかかった重みを心地よく受けとめながら、レイヴァートはイユキアの頬をなでた。その肌は、ゆらめく炎を受けていつもより熱い。