途中、車を停め、シェインが「失礼します」と断って二人に黒い目隠しをした。前の座席に彼が戻る気配とともに、車はふたたび走り出した。
「おお、久々に目隠しプレイ」とじゃれついてくるサーペントを押しやり、押しのけして、エースは低い声を出す。
「少しは行儀よくしてろ!」
「あははははは」
楽しそうに笑ったサーペントは、エースの太腿に這わせた手をびしゃりと払いのけられると、おとなしく座席に座り直した。
だがほどなくして、ゆっくりと自分へもたれてくる重みに、エースは目隠しの中の視線を浮かす。サーペントの頭がしおらしげに、やや色っぽい仕種でエースの左肩へ傾いた。視界は闇色に塗りつぶされてサーペントの表情は見えないが、悪ガキみたいな顔をしているのだろうという見当はつく。
「こうやってるとデートみたいだねェ。楽しくね?」
やけに呑気な声で、サーペントが囁いた。エースは一瞬目をつむる。目をとじたほうが視界が明るいような気がするというのも、おかしな話だった。
「目隠しして出かけるのが好きか。知らなかったな」
「そうやって、俺のことを何でも知ってるような口をきく」
クスクスと、かろやかに笑う振動がふれた体につたわってくる。視界がきかない分だけ、しなだれかかる体の動きは扇情的にあからさまで、一瞬それを抱きしめたくなって、エースは自制した。あぶない。見えすいた罠にひっかかるところだった。目隠しされてヒマになったものだから、サーペントは「手近なもの」で遊ぶことにしたらしい。
エースはゆっくりと息を吸って、自分によりかかる相棒の肢体のしなやかさと心地よい温度から意識をそらした。
「まぁな。お前が今何を考えてるかくらいはわかる」
「それは凄い」
ぱちぱちと、手を叩く音がした。
「じゃあ、今、何考えてるか当ててみ?」
「‥‥‥」
「ほら」
「口に出すのもためらわれるほどエログロなこと考えてるだろう」
エースが平坦な声でそう言うと、サーペントが「へぇ」と本気で感心した声を出した。
「何でわかる」
ガキだから。とは言わず、エースは長い溜息を吐き出した。困ったものだ。
何より困るのは、決してこういうサーペントが嫌いではないということだった。陽気で向こう見ずで、一瞬ずつを楽しんでいる。何のためらいもたじろぎもなく、ただ目の前にあるものをもてあそぶことに熱中している。生き生きと満ちた彼の気配と意志を感じるのは、エースにとって常に大きな楽しみの一つだった。
ほとんどそれはサーペントとのセックスと同じほどの熱でエースを惹きつけ、彼を離そうとしない。サーペントにふれている体の、神経のすみずみまで覚醒の熱が行き渡り、感覚と意識が研ぎ澄まされていく。自分の奥深いところで何かのスイッチが入ったかのように。
「俺もお前が何を考えてるのかわかるよ、エース」
耳元に笑う息がふれて、サーペントの体が離れた。エースは鼻先でどうでもいいような声を出す。
「ほう? たとえば?」
「さわりたいとか、キスしたいとか」
「ちがう──」
「もっと先? 大胆だね、目隠しが効くのかやっぱり」
「馬鹿。発情期か、お前は」
「人間は発情期のない唯一の動物だ。特にオスは一年中生殖が可能」
まじめくさった声で、サーペントはつづけた。
「逆に言えば、年中発情期だということだ。神が自分に似せて人間をつくったというなら、ユーモアのセンスがあるか、自分がセックス中毒かのどちらかにちがいない」
「‥‥‥」
「やっぱり似せてつくったのって、ファックの相手に丁度いいからだと思わないか?」
笑いを喉で殺そうとして、エースは短くむせた。信仰とは無縁の人間だとわかっていても、サーペントの不敬っぷりは余りにすがすがしい。
「でかいのかなぁ」
と、ぶつぶつ呟くサーペントの横腹に、エースは軽く肘をあてた。
「黙ってろ、冒涜者」
「何で。セックスは大事だよ」
「なら安売りするな」
ヒュウッと短い口笛を吹いて、だがサーペントが何かを言い返す様子はなかった。離れて座っているにもかかわらず、エースにはサーペントが放つ浮かれた気配が感じ取れた。まるで花火が火花を撒き散らすように、それはあからさまで、彼は楽しんでいることをこれっぽっちも隠そうとしていなかった。
そして今や、エース自身も楽しんでいた──まったく呪わしい相棒だ、と、彼は笑いを噛み殺す。一日と一晩分の疲労、恋人の浮気とその惨状の始末、挙句に見知らぬ相手に車に乗せられ、当の恋人は無反省の上に思いやりゼロの態度──それほどまでに最低の朝。
どこまでも最低の。
その筈だったと言うのに。
車が速度を落とすとすぐに、防弾ガラスのウィンドウの外からかすかに伝わってくる音がくぐもった反響を返し、車がどこかのガレージに入ったのをエースは感じた。ホテルのような広い駐車場ではなく、もっとプライベートな大きさのガレージだ。
言うまでもなく、サーペントも同じ判断をしたにちがいないが、エースは横に座ったサーペントから何らの緊張も感じ取れなかった。実際、彼は五分ほど前から、安らかな寝息をたててさえいた。
「つきました」
と、「シェイン」の声が低く言い、後ろの座席のドアがひらいた。エースがたずねる。
「目隠しを外していいか?」
ひょいとのびた手がエースの顔から黒い布をはぎとった。サーペントはほぼ同時に自分のものも外し、二枚の布をひらひらと右手でひるがえした。
「もらってもいい? 彼が気に入ったみたいだから、プレイに使いたい」
「お前っ──」
「ご自由に」
サーペントの言葉にも、エースの反駁にも何の反応も見せず、シェインはうなずいた。サーペントが「サンクス」とつぶやいてニヤッと笑いながら後ろのポケットに目隠しをねじりこむと、身を傾けてエースの首すじにキスをした。
「あとで」
「!」
ぺろっと舌の先で首のすじをなめられて、エースは一瞬息をつめ、身を離したサーペントをにらんだ。
「朝っぱらからまだサカってんのか、てめぇ」
「発情期がないということはね──」
「わかった、わかった。年中発情期な。身をもって証明したところで、ほめてやらんぞ」
片手を振って、エースは車から出た。サーペントも逆サイドからガレージの床へ降り立ち、ぐるりと周囲を見回した。五台の車が並んでいる。どれも流線形のフォルムを持ち、エンジンをカスタムチューンされた──エースはそれを、車の後部に見えるコネクターの形から見てとる──スポーツタイプだった。
ガレージ内には車のほかにほとんど物がなかった。ガレージの壁全体はパネル状の鋼材で覆われ、メタリックな表面にはしる幾何学模様が天井のライトパネルの光をつめたく反射していた。壁に見せかけたパネルドアで、その後ろに工具がしまってあるのだろう。エースはこのタイプのガレージを前に見たことがあった。
「うわ、カイザーウォラスだ。すっげー」
サーペントが呑気に一番奥のシルバーブラックの四輪へ近づき、肩が張ってくびれの少ない、だがエレガントな車体を子供のような目で見つめた。くるりとエースをふりむく。
「見覚えない?」
「‥‥同じタイプを見たことはある」
エースは慎重な口調でそう答え、うずくまった猫科の獣のような車体と、これ見よがしにボンネットの上で金の翼をひろげた天使のボンネットマスコットをながめた。サーペントは何も言わなかったが、ニヤリと口元を持ち上げ、立てた人さし指をいささか卑猥な仕種で動かしながらシェインを手招いた。
「あんたのボスに会いに行こう。ご招待に感謝しないとね」
「‥‥こちらへ」
車内での二人の会話は丸聞こえだし、シェインは二人がまるで状況を恐れていないのに気付いているはずだったが、それに対する反応はほとんど見せなかった。エースもサーペントも車に乗る前に簡単なボディチェックを受けているし、武器は何も発見されていない。
コミュニケーターは取り上げられていたが、そちらから取れる二人の個人情報も大したことはない。単なる旅行者。IDをたどれば某リサーチ会社の契約社員であることになっている。休暇中。さらにくわしく調べたところで、何らめぼしいものに行き当たらない情報だった。
もう一台の車は別のガレージに停めたのか、彼らのエスコートは運転手とシェインの二人だけになっていた。シェインが二人を先導してガレージ奥に歩いていくと、つきあたりで右手を壁にかざして軽く振った。バイオメトリクス──と、エースは目を細める。生体認証。だが、何を使っているのかわからない。それとも、何らかの信号を放つチップが手首の皮膚の下に埋め込んであるのだろうか。
シェインの合図に呼応して、パネルドアが分解されるようにつぎはぎで左右上下に開いていく。その奥にあるエレベータの扉はすでに開いていた。
「ゴージャス」
と、サーペントがつぶやいた。茶化しているのか本気なのか、その目つきと声だけではわからない。エレベータの中は小さなリビングほどの広さがあり、まるでウェイティングルームのように飾られ、ソファまで置かれていた。
シェインだけが彼らの付き添いのようだった。すでに遠隔監視がはじまっているのだろう。エレベータのパネルボタンに手首をかざして階数を指定する彼を、サーペントは腕組みして眺めていたが、ふいに眉をあげた。
「お前、夕べ、店にいたよな。あれのボディガードしてたのか?」
シェインは扉横に立ったまま、サーペントをふりむきもしなかった。
「人違いでしょう」
「どうせ、お前はラリってただろ」
と、エースが口をはさむ。サーペントは肩をすくめた。
「暇つぶし。キャンディドラッグ」
「挙句にシャンパンとピザと男。楽しそうな夜だな」
「今朝、鬼みたいな相棒が帰ってきて俺の彼氏を廊下に追い出すまではね」
ひらりと右手を振って、サーペントはエレベータの高い天井を見上げ、クリスタルミラーにうつる自分の姿を眺めながら服と髪を手早く直した。エースに意味ありげな視線を流す。
「金持ちに会うみたいだから、ちょっとはいい子にしてな。土下座してあやまったら無礼な仕打ちも許していただけると思うよ?」
「ほう。お前があの男の尻にシャンパンの瓶をつっこんだこともか?」
寝室に転がっていた空瓶の口にたっぷりとジェルがついていたのを見たエースには、サーペントが夜中に何に熱中していたのか少々考えがあった。
「瓶だけじゃないけど」
にやっと口の片はじをあげて小悪魔の笑みを見せ、サーペントはまた卑猥なジェスチャーをした。
「人間を天国に行かせる手段は世の中にいろいろあるからねぇ」
「お前は地獄行きだ」
「そう、それはよかった」
サーペントは軽くエースへ身を寄せる。エースの唇にふれるだけのキスをして、彼はにっこり笑った。
「お前といっしょだ、相棒」
エースは唇だけ動かして「ファッカー」と悪態を形にしたが、サーペントは笑顔をそのままに身を翻し、淡いブロンドをひらりと浮かせて、開いたエレベータの扉から廊下へ出ていった。