ラヴァーズゲーム

 背中に赤く紅潮が浮いている。汗みどろに息づく皮膚に、まるで淡い朱を掃いたように。きつくそった首すじから肩甲骨のあたりまでひろがるそれは、性的紅潮──セックスに没頭し、昂ぶった躰が示すフラッシュ。
 当人は知らないだろう、自分の背がそんな淫らなサインをあからさまに示していることなど。どうでもいいことかもしれない。喉をそらせ、ベッドに手足をついて腰を高くかかげ、シーツを指で裂きそうなほど握りしめながら、高い声を上げて尻を揺すっている。「もっと」「深く」と口走りながら、尻を後ろへつきだしてより深い接合を求める。背中のサインなどとるにたらない。
 彼が貫くこの相手は、今や体の快感をむさぼることだけしか頭にない。それも、自分の体の奥、淫猥にうごめいて男のペニスをくわえこむ、その圧力と熱さだけに支配され、屈服しながらも、自らをつき動かす深い衝動にさらに溺れていく。
 奥へ深くうずめてやると、その口からかすれた悲鳴があがった。全身を短い痙攣が抜け、奥襞がペニスを強く締めつける。それを力をこめて擦り上げると、ヴィクはさらに体を激しくふるわせ、一度はのけぞった頭ががくりと前へ垂れた。切れ切れに呻きながら、それでもまだ誘うように腰を振る。
 手をのばし、汗に濡れた黒髪をつかんで首を後ろへ引いてやる。同時に激しく後ろを突き上げ、ヴィクが首をのけぞらせ、あえいだ口からピンク色の舌が踊るのを見た。表情は恍惚として我を失い、みひらかれた目は空虚で、それでいながらひどく物欲しげだった。首をのけぞらせて頚椎をきしませながら、ベッドについた腕を極限までのばして背をそらせる。とうに一線を越えた体は、痛みすらも甘く受け入れるようだった。
 手を離すと、肘が崩れて顔からベッドへつっぷした。
「あぁっ、んっ、んああっ」
 尻だけは高く上げて全身をくねらせる。腰をかかえられて数度突き入れられると、シーツの襞にくぐもった声を洩らした。
「もっと‥‥あ──、お願い、イカせて‥‥あああ、も、だめ──」
 矛盾した呻きを吐きながら全身を欲望の汗に濡らし、髪を乱して首を振り、男のものを深く受け入れようと立てた足の爪先がシーツにくいこんだ。音をたててその後ろをペニスがつきあげる。
「ひぁんっ、ああああっ!」
 ほとんど苦痛にも似た叫びが唇からこぼれる。それから悲痛なほどの声で名を呼んだ。貫かれながら。
「イヴァ──」
 その瞬間、深い快感の波が全身を貫きとおる。絶頂にそれ以上の声もなく体を波打たせ、彼はシーツの上へ倒れこんだ。


 奥はまだひくついて、自分を貫くものにからみつく。離れまいとするように。締めつけられるのを感じながらペニスを引き抜くと、ベッドに倒れたままのヴィクが低く呻いた。目はとじられ、ひらいた唇から荒い息をついているが、はっきりとした意識があるのかどうか見た目ではわからない。
 オーガストは吐息をついて身をおこし、投げ出されたヴィクの裸体を見おろした。小柄でも細くもないが、しなやかな体だ。骨にしっかりと筋肉が添い、要所要所ではりつめた陰影を見せる。まぎれもない、まちがえようもない男の体だったが、その肢体には猛々しい美しさがあった。溺れた欲望を追うように尻をひくつかせていてさえ。
 エアコンがきいた室内は体が冷えない程度にはあたたかい。まだ快楽の残滓に身を浸しているヴィクの体から目をそらし、オーガストはシャワールームへと足を運んだ。
 シャワーのレバーをひねり、熱いミストが全身を流れ落ちていくのを感じながら、目をとじる。
(イヴァ──)
 ヴィクの体がどんなふうに彼のペニスをくわえこみ、締めつけ、快感を襞の収縮でつたえてきたか。まだ感じられるほど、それは熱い記憶だった。完全に、ヴィクは溺れていた。オーガストのものを受け入れ、彼のわずかな動きにも腰を振りたくって屈服の甘い喘ぎを上げた。だが。
(‥‥イヴァ)
 歯を噛み、目をとじて、オーガストは自分の股間へ手をのばす。ヴィクを貫き、攻め上げたそれは、てらてらと充血して硬く勃起していたが、放出されてはいなかった。そのペニスを手で握りこみ、オーガストは喉の奥で呻く。
 ヴィクの奥の熱がまだ感じられる。彼のものを受け入れ、快感に熱くほどけた裡襞に締めつけられ、擦り上げる深い熱。あの中に達したかった。ヴィクの体の奥に自分の快感を解放し、彼の中に自分の熱を残したいと思う。だがオーガストは、ヴィクの中に放つことができなかった。
 あの時は当然のようにしていた。電脳の記憶を互いになぞってリプレイする身代わりのセックス。オーガストはヴィクの中へ幾度も射精し、その精液がヴィクの体の裡をくりかえし汚した。指を入れればそこがオーガストのものでぬめっているのがわかるほど、立ち上がったヴィクの内股を白いものがつたいおちるほど。
 ヴィクが電脳を介在させずにオーガストに抱かれるようになってから、オーガストは一度もヴィクの中へ放ったことがなかった。今日で三度目だ。一度目は、それまでとセックスの形が変わったからだと思ったが、ここに至って、オーガストは問題を直視せざるを得なかった。
 できない──ヴィクの中に射精することが、彼にはできないのだ。
 ヴィクを貫くことにエクスタシーを感じないわけではない。かすれた声、快感に歪む顔、哀願、淫らな体の動き。受け入れた奥孔の熱、うごめき、狭隘にペニスをしめつける肉の奥。全身が痺れるほどの愉悦だった。
 だが、達せなかった。快感なら脳を灼くほどに感じていても、どうやっても自分を解放することが出来ない。己を追い込もうとすればするほど、絶頂は彼から遠ざかり、うつろな熱だけが出口もなく満ちて、身にたぎるやり場のなさはほとんど苦悶に近い。
 理由などわかっている。
(イヴァ──)
 どれほどヴィクが乱れようと、その熱がきつくオーガストをしめつけ、腰がとけるような愉悦がわきあがってきても、オーガストの心の芯には氷よりも冷たいしこりが残る。ヴィクが乱れるほど、溺れるほどにそのしこりは大きさを増し、彼の体を解放から遠ざける。
 荒い息をついて、オーガストはペニスをつかんだままタイルの壁に背中をもたせかけた。体中をミストの滴が流れて、肌にぬるつく自分の汗とヴィクの汗を流していく。
 仕方のないことだ、と虚しい思いがこみあげて、オーガストは湯気の中で顔を歪めた。
 はじめから、ヴィクにとってオーガストは身代わりでしかない。電脳を介して恋人とのセックスをリプレイするための、それこそ単なるラブドール。記憶のリプレイだけなら一人でもできるが、ヴィクは人に抱かれないと満たされないようだった。
 恋人の記憶に浸りながら恋人ではない男に抱かれる、それは空虚な裏切りだ。快感を追い求めることを覚えた体は心とはまた別の動きを見せ、セックスのたびに新しい男の記憶を肉の奥に刻んでいく。そのことにヴィクは気付いているのかどうか、電脳を介した行為の後、いつもヴィクはこの世の終わりのようにみじめな目をして天井を見つめていた。体は今の快楽を求めて墜ち、心は過去の快楽を求めてさまよう。むさぼる二つの快楽の間で、ヴィクはバランスを失って思考をとめながらセックスの行為そのものに溺れていく。
 ことが終われば、自分と相手の精液にまみれた体を丸め、去った恋人の名をつぶやいた。時にはゆるいドラッグを含んで現実から逃げ出し、今度は生身のまま体を重ねてくる男に貫かれて、うつろな嬌声をあげていた。
 オーガストはそんなふうにラリっているヴィクを犯したことはなかったが、ベッドにうずくまっているヴィクを見ていると、たった今まで自分の下で思うさま快楽にのたうっていた姿のあまりの変わりように、ひどい罪悪感とやるせなさを覚えることがあった。
 はじめは、ちょっとした好奇心。相手を探すためのそのバーで、ヴィクは有名だったから。彼は決して女性的な風貌でも体形でもなかったが、どこかやわらかな物腰と淋しげな雰囲気、それに他人への無関心ぶりのミックスに、人をひどくそそるところがあった。
 自分なら、と思うのだ。自分なら彼がめぐらせた「壁」の内側へ入っていけるかもしれないと。
 ヴィクはバーで口説かれ、電脳化した相手を見つけると金を出して「取引」する。恋人の記憶を取り込んでするセックスのために。それも有名な話だった。その「契約」を離れて誰がどう口説こうとしても、ヴィクはまるで無関心だった。
 セックスさえすれば体から落とせる、そう思って応じた連中が次々とそのセックス自体のキツさに辟易して手を引く、それをオーガストは傍観者として見ていた。後にオーガストが幾度も甘受することになったように、そのセックスは激しい悦楽をはらみながらもひどく精神を消耗させるもので、何の加工もされていない他人の「体感」を自分の中に割り込ませるというのは、想像をこえる苦痛だった。自分の感覚を他人の記憶が支配し、欲望を勝手に生み出し、オーガストの体と精神はヴィクとその恋人の欲望のはけ口となる。オーガストはほとんど、その「記憶」の主に犯されるような感覚をおぼえていた。体ではなく、精神を。
(他のヤツらが脱落したのも無理はない‥‥)
 ヴィクがリプレイしているのはあくまで自分の記憶だ。彼の感覚、彼の欲望、彼のオーガズム。そのリプレイの中で恋人に犯される陶酔に溺れる彼は、自分を犯す人間がどんな矛盾と苦痛を甘受させられているかわかっているだろうか? 他者の感覚、他者の欲望、他者のオーガズム。それが精神に割り込んでオーガストの体を支配し、追い上げようとする。
 電脳ごしに他人の記憶をリプレイするソフトは多量に存在するが、それはノイズを取り除いてきちんとチューニングされたものであって、レアな記憶を他人に噛ませるのはまた別だ。精神汚染の可能性すら指摘される、違法ギリギリのプレイ。
 オーガストがはじめて応じたのは、ヴィクが幾人目かのパートナーに去られた直後で、彼は少し不安そうだった。ヴィクに対する好奇心と、プレイに対する好奇心。その二つに引き寄せられてオーガストはOKし、その一時間後にはヴィクを抱いていた。
 ヴィクは覚えていないだろう。行為の後、ヴィクは無表情のまま天井を見つめ、無音の唇だけで恋人の名前を呼んでいた。オーガストが体に残る快感の記憶をやましく思うほど、ヴィクの姿はみじめだった。放心したままの彼を助け起こしてシャワーを浴びせ、ベッドに寝かせ、彼はヴィクが眠るまで痛いほどにすがってくる手を握っていた。
 それから何回、いびつな逢瀬をくりかえしたか、他人の記憶でヴィクの体を何回犯したか、オーガストにはよくわからない。一夜で数度という時もあった。ヴィクは回数を重ねるごとにオーガストの下でさらに激しく乱れるようになったが、ヴィクが「抱かれている」のがオーガストではなく恋人だということは、オーガストにもよくわかっていた。
(──生身のあんたを抱きたい)
 何度、それを言った? オーガストは本気だった。「恋人」の記憶をかぶること、それがヴィクの求めることならそれは仕方ない。契約だ、それには応じる。だが彼は自分自身としてヴィクを抱きたかった。自分の中に生じたヴィクへの欲望がその「記憶」によって植え付けられたものなのか、それともオーガスト自身がヴィクを求めているのか、それもわからないまま、だがオーガストは身を灼くほどヴィクがほしかった。あんなみじめに心を閉ざしているヴィクではなく、記憶のリプレイに溺れている彼でもなく、ただ生身の人間としてのヴィクを抱けば、きっと何かがわかると思った。
 はりつめた己のペニスを握りしめ、オーガストは喉の奥で苦悶のような引きつった呻きを上げる。まちがっていた。どうしようもないほど。ヴィクはまるでオーガストに恋をしたように、ある日、照れながらも生身のセックスをねだってきた。オーガストは信じられなかった。ヴィクが、オーガストを求めてきたのだと思って。身代わりではなく、リプレイのセックスでもなく。
 何という誤解。致命的な思い違い──いや多分、思い上がりだった。だがそれにも気付けず、ヴィクの体を夢中で抱きしめ、乱し、追いつめてヴィクにたえまない啼き声をあげさせ、オーガストは生身のヴィクを陶然と抱いていた。
(イヴァ──)
 ヴィクが呻いたのは、その時だ。オーガストに最奥まで貫かれながら、陶酔のまなざしをさまよわせ、恥知らずに腰をゆすって、オーガストの腰に足をからみつかせ。オーガストが息をつめて突き上げると、また高い声を上げてその名を呼んだ。
 ──「俺」はヴィクを抱いていない。
 ふいにオーガストはそれを知った。
 電脳だろうが、生身だろうが。ヴィクを犯すのは恋人でしかない。幾度も濃厚な電脳セックスを重ねたのがまずかったのかもしれない。ヴィクの体はオーガストを覚えこんでいた。恋人の幻想の下で。
(くそっ)
 オーガストは怒りにまかせてヴィクの後ろを突き上げ、内襞をうがってこねるように回す。ヴィクの体はたちまちに応じて動きを強めた。手をのばしてヴィクのペニスをしごくと、だらだらと先端から蜜を流しながらヴィクは放埒な声を上げ、もっと激しい動きをねだった‥‥
 その夜、そのままその体をむさぼった。限界だとすすり泣く彼をまた追い上げ、よく知る体につけこんで弱いところを容赦なく責めて抵抗を封じ、幾度も放出させたペニスに手をやって苦痛に近い快感を引きずり出す。オーガストは自分でも信じられないほど凶暴な気持ちで彼を犯した。ヴィクの中に放つことができない分、オーガストはその体の上に自分の手で自分の精液をぶちまけていた。
 肉体的に傷はつけないよう、それだけは頭においていたつもりだが、夜中にぐったりと動けないまま泣きだしたヴィクを見ていたら、体よりもっと深いところを傷つけた気持ちになって、ひどい自責の念にかられた。
 もう終わりだろうと思った。あんなふうに追いつめ、気持ちをふみにじるように蹂躙して。
 だが、やがてヴィクからは次の休日を知らせるメールがきたし、あやまろうと心に決めて部屋を訪れたオーガストの顔を見て、ヴィクは少し、ためらいがちに言った。今日も生身で抱いてくれ‥‥と。
 ヴィクが自分をはねつけなかったことにほっとするよりも、オーガストはさらに熱い怒りが腹の底でわくのを感じた。そんなに生身の「イヴァ」に抱かれるのはよかったのか、と。そう思った。
(快感は──)
 どこからくるのだろう、と思う。その日、オーガストは前の夜よりはおだやかに、だがヴィクの体を意地悪く責め上げた。我を失うほど散々焦らされた挙句、体の奥の性感へダイレクトに突きこまれたヴィクは、また恋人の名を呼びながら果てた。汗みどろで横たわるその体を見ながらオーガストは自分の硬いペニスをこすり上げ、上気してひくつくヴィクの腹を彼の精液で汚した。ヴィクは目をさまさず、その痴態を思い出しながらもう一度手で出して、オーガストはひどくみじめな気分になっていた。
 そして、今日が三度目だ。オーガストは自分でもどうしたいのか、もうよくわからなくなっていたが、ヴィクに「電脳を噛ませてするか」とたずねると、ヴィクは首を振って、自分からオーガストへ唇を重ね、舌を歯の間から割り込ませて巧みなキスで甘えはじめた。
 まるで恋人同士のようだ、と思いながら、オーガストは自分の心のどこかが冷えびえとしているのを感じる。ヴィクが求めているのは誰なのだろう。ヴィクがほしがっているのは、抱かれているのは、誰なのだろう。
 だがそう思っても、体は強く反応し、ヴィクの肉体をむさぼる快感に引きずりこまれて、オーガストは乱れる体を容赦なく犯した。いつものようにヴィクはあっというまに一線を越え、理性をかなぐり捨てて激しいセックスの中に自分をどろどろに溶かしていく。
(彼らはどんなふうな恋人同士だったのだろう──)
 オーガストが噛まされた電脳記憶には数種類あるが、どれもただセックスだけを切り取ったものであって、睦言の甘い部分、恋人の語らいや、気持ちのふれあいを推察させるものは何一つなかった。
 欲望からさめた二人がどんなふうだったのか、ふいにオーガストは知りたくなる。ヴィクは体だけでなく、そういうものを求めてはいないのだろうか。彼が失ったもの、欲しがっているもの、飢えているものは何なのだろう。幻想の恋人、幻想のセックス、その欠落を満たしてくれる男の肉体──
 その中にオーガストの存在はない。
 ‥‥水音の中に、カチャリと硬質な音がした。
 オーガストはタイルにもたれたまま顔を上げた。ミストの向こうに裸のままのヴィクが立ち、じっとオーガストを見つめていた。
「ヴィク‥‥」
 呻いて体をおこそうとするオーガストにそのままでいるよう片手でつたえ、ヴィクはミストの下へ歩き出した。たちまちに肌をつたう滴が、ヴィクの体の汗と精液を洗い落としていく。ヴィク自身の精液だ。腹を白く汚すそれが流れ落ちながらヴィクの太腿にからみつき、膝の横をつたって足首からタイルへ流れ、足の下で一瞬わだかまる。次々流れる湯に押されてたちまち排水口へと吸いこまれた。
 オーガストは近づいてくるヴィクを見つめていた。ヴィクもオーガストを見つめている。黒い目、黒い髪。頬骨が薄く頬から顎にかけてのラインは鋭角で、目元に少し険があるが、おだやかな目をしているので全体の雰囲気は優しい。その目が快感にけぶって熱をおびるとヴィクがどれほどの痴態を見せるのか、その顔からは想像できない。
 ヴィクはオーガストの前に立つと、右手をのばしてオーガストの手にふれた。その時まで、オーガストはまだ自分のものを握り続けていたことに気付かなかった。その手をどかすと、ヴィクはタイルを薄く流れる水の中に膝をつき、オーガストの充血して硬いペニスを口に含んだ。
 オーガストが息をつめる。ヴィクは半分ほどを口に含んで丁寧に舐めてから少し頭を戻し、亀頭に舌を絡めてやわやわと吸った。根元に左手を添え、右手の指で茎の腹を撫で上げる。天井から落ちてくるミストがヴィクの髪をつたい、頬をつたい、唇からオーガストのペニスにまでつたい、生ぬるいその滴をヴィクが音をたててすすった。
 指先が裏筋をなぞり、ヴィクの歯裏がつっと先端をしごく。手の中でペニスがはっきり揺れるのを楽しむようにチラッと目を上げ、けぶる湯気ごしに笑みのような表情を見せた。さらに深く呑みながらねっとりと舌をからませる。濡れた黒髪が顔にはりつき、ミストの蒸気にあたたまった肌がうっすらと淡い朱をおびている。それともそれは情事の名残りか。肌にはオーガストの残した鬱血の痕が散っていた。
 ヴィクの頬がふくらみ、オーガストのペニスを受け入れようとしてさらに顔を前に出す。その口の中は熱く、吸いついてなめあげられる感覚にオーガストは呻いた。その手がのび、ヴィクの黒髪の間にさしこまれ、すくうように髪を握りしめた。
 こらえてしわがれた声が、シャワールームの空気を揺らす。
「あいつにもそんなふうにやってたんだろ?」
 ヴィクの舌がとまった。含んだまま上目でオーガストを見上げる顔には、おどろきととまどいがあった。オーガストは髪をつかんだままヴィクの頭をゆすった。
「こうしてても‥‥考えてるのはあいつのことなんだろ? あんたにつっこむのも、よがらせるのも、あんたの頭ん中じゃ一人しかいないんだろ、ヴィク──」
 ヴィクが目を大きくする。頭を引こうとしたがオーガストはつかんだ髪でそれを押さえつけ、ヴィクの喉まで自分のものを突き込んだ。ひどく凶暴なものが体中にはりつめて苦しい。ヴィクが顔を歪めて頭をそらせ、喉をどうにかゆるめてペニスを奥まで受け入れる、その顔すらオーガストにはまるで自分を嫌がっているように見える。
 苛立ちと怒りでめまいをおこしそうになりながら、オーガストはヴィクの頭をゆさぶり、腰をうごかしてその口を犯しはじめた。一瞬の自制もぬめる快感の熱にとろけ、衝動だけで体が動いていた。
 ヴィクはオーガストを見上げたまま、髪をつかまれる苦痛に眉をよせ、それ以上の抵抗は見せずに口腔をなぶるものを受け入れていた。ミストが滴となって頬を流れる、それはまるで涙のようだと、突きこみながらオーガストのどこかはぼんやりと考えていた。
「そんなにそいつが好きか、ヴィク。今、あんたを抱いてるのは俺なのに。あんたをファックしてるのは俺なのに──くそっ、舌を使えよ」
 頭をゆすられ、ヴィクは従順に舌をからませてピチャピチャと音をたてはじめる。オーガストが荒い息をついてタイルの壁によりかかり、ヴィクの髪をつかんだまま顔を自分の股間へ押し付けた
「男に抱かれないと満足できないくせに、あんたは誰に抱かれているかもわかっちゃいない。淫売だってそのくらいは心得てる。あんたはそれよりひどい、ヴィク。俺はあんたより最低なファックの相手を知らねェよ──」
 頭の芯が灼けるようになる。吐き気と昂揚が入りまじって、ヴィクがくわえるペニスの快感だけが勝手にふくれあがり、オーガストはどういうわけか泣きたい気分で言葉を吐き捨てる。聞くな、と思った。聞くな、ヴィク。だが雨音のようなミストの音の向こうでヴィクの神経がすべて自分に向けられていることもわかっていた。
「畜生っ」
 苦しい声で呻いて、オーガストは歯を噛みしめる。ヴィクが口の中のものをいきなり強く吸い上げ、すべてが吸いだされるような異様な感覚に呑み込まれてオーガストの中で何かが砕ける。長い声をあげて、彼はヴィクの口の中へ思いきり達していた。
 たっぷりとした量のあるそれを、ヴィクはどうにか飲もうとしたようだったが飲みきれず、口からペニスを抜くと咳こんだ。オーガストが髪を離すと前かがみに床へ手をつき、精液を吐きながらこまかい咳をくりかえした。肩が揺れ、背中が力なく丸められる。咳のたびに小さく揺らぐ体を見おろして、オーガストは何かを言おうとした。
 その時、ヴィクが身を丸めたままオーガストを見上げた。オーガストは肺腑を貫かれたように息を呑む。乱れた髪がヴィクの頬にまとわりつき、口元から白いすじが滴とともに流れていく。大きくみひらかれてオーガストを見つめるヴィクの目の中に、暗い曇り──はっきりとした怯えがあった。
 オーガストは凍りついたようにそこに立っていた。放出の絶頂感など一瞬で散り、体が内側から冷たくなる。ミストの囁くような音だけがバスルームを満たした。
 歩き出すオーガストをヴィクはとめなかった。オーガストも振り向かず、うずくまったままの体の横を抜けてミストの下を横切ると、シャワールームの扉を叩きつけるように後ろでしめた。体を拭うのも早々に服をまとい、ヴィクの部屋を逃げ出すように出ていく。ヴィクは最後までシャワールームから出てこようとはしなかった。


 それきり、ヴィクからの連絡は途絶えた。