act.18

 封鎖された地区へダイレクトに通じるゲートは閉ざされ、高さ3メートル近い隔壁が頭上までそびえている。街灯のまばらな薄暗い道に野次馬が溜まって騒ぎだしていた。一部は武器を持ち、今夜の騒動で返り血を浴びている者もいるが、大半は遊び気分でうろついている軽装の人間が多い。
 それを遠目に眺め、エースは小さな吐息をついた。
 このゲートにはまだ20人ほどだが、この前に見た別のゲートではすでに50人余りが騒ぎ立てていた。市警のパトロールが回ってくると、そちらに向かって銃を乱射しだした馬鹿がいて、エースは早々にそこから去ったのだが。サーペントがやたらに宣伝して回ったおかげで、ハンターやムーンストラッカー以外の一般人までもがおもしろがって集まってきている。
 今夜、キリング・ムーンの居場所について流された情報はサーペントのものだけではない。無数のガセネタがとびかっている。そんな中、この情報を本気で信じて来た人間がどれだけいるのかは疑問だ。だが、こうして実際に地区が封鎖されているのを目の当たりにすれば、情報自体の確度が上がったような空気が生じるのもたしかで、そういう雰囲気がまた人を呼ぶだろう。
 ──追い出すには、乱暴な方法だぞ。
 そう、胸の中で毒づく。サーペントが何をやろうとしているかはわかっている。ホドランドたちの「回収チーム」がキリング・ムーンを待ちかまえている、その構えを崩して定位置から引きずり出したいのだ。そのために一番いい方法は「注視」だ。秘密にしなければならない物事である以上、人の目が集まれば移動せざるを得なくなる。それをこんな手段で引き起こそうと思ったのか。この人間にまぎれてエリア内に入る気なのか。両方、だろう。
 だがこれは、キリング・ムーンが現れる可能性のある場所に大勢の人間を集めるという、非情というより無茶苦茶なやりかただった。
 サーペントが他人の命を何とも思っていないのは知っている。彼は、しばしば他人に思わせているように残酷な人間ではないのだが──それは優しいという意味でもないが──、自分と無関係の人間について考慮するということがない。多分、できない。思考の死角なのだ。彼からいびつに欠け落ちた、やわらかで温度のある部分。その欠落が同時にサーペントを追い立て、こうした無茶な「ゲーム」に及ばせる。
(だから、離れたくなかったんだが‥‥)
 今さら、それを言っても仕方がない。そもそも、自分が何故嘘をついてサーペントを怒らせたのか、エースにはまだよくわからない。つく必要のない嘘だったような気もする。キリング・ムーンと自分の関わりを彼に話したくないと思ったのが何故なのか、自分で少し不思議だった。
 上空にエアポリスのローター音が聞こえた。この分では、サーペントは市警に通報もしているだろう。ここで小競り合いを起こさせる気か。エースは苦虫を噛んだような表情で夜空へちらりと視線をなげた。
 ふいにくぐもった爆発音があがった。ゲートを取り囲む人垣から歓声が聞こえてくる。隔壁はわずかに揺れたが、ほとんど開いたようには見えない。まあそれはそうだろう、とエースが見ていると、ふいにギギッときしみながら金属の壁が横にスライドをはじめ、人間の入れる隙間が生じたので少しおどろいた。
 誰かが爆弾で制御装置を焼いたのだ。自動的にストッパーが働いて隔壁は閉じたまま固定されるはずだが、そこはあらかじめストッパーの動きを封じておいたのだろう。おそらくは硬化ゲル。技術に心得がある者がいたらしい。
 景気づけのような歓声をあげながらくらやみになだれこんでいく人の姿を見送っていたが、やがてその騒々しい音が遠ざかると、エースはバイクから降りて歩き始めた。


 地上に100人近い人間が流れ込んできているという報告を聞いて、ホドランドは毒づいた。情報を流してここに人間を誘導している者がいるのだ。はっきりと検問を貼っておけば群衆の排除も簡単だっただろうが、イルヴェンの市警を動かすことにはためらいがあった。このエリアの情報遮断だけは行わせたが、これは市警との共同作戦でも何でもないし、彼らを関わらせて余計な証言者を作りたくはない。イルヴェンをこれ以上関わらせないよう、上層部から遠回しに禁じられてもいる。
 ──手足を縛っといて「泳げ」って言うようなもんだ。
 頭を振る。とにかく、情報を流して人を扇動している相手が、目下の問題だ。誰なのか、何が目的なのか。ちらっとエースの顔が脳裏をよぎったが、こんなふうに無関係の人間を大量にまきこむメリットが、彼にあるとも思えない。
「仕方ないな。市警に連絡して抑えさせるか」
「外ならともかく、閉鎖エリア内には彼らは入りませんよ」
 部下のハルディンが通信機ごしに返答する。ブランクエリア内は妨害電波で様々な通信を遮断しているが、彼らが持つ通信機のエリアは、定期的に周波数を変えながら開けてある。
 このエリアから市警を排除したのはホドランド自身なので、市警のレスポンスが悪いことは予測できた。自分たちの縄張りで、ホドランドたちがごそごそ動き回っているのが気に入らないのだ。
 ──もしかして、イルヴェンが?
 という疑問が胸に動いた。彼らが情報をリークし、ここに無関係の人間を誘導し、それに市警が対処することでエリア内に入るきっかけを得るつもりか? イルヴェンは連邦の動きに神経を向け、隙あらば連邦の弱みを握ろうとしている。キリング・ムーンと連邦の関わりについての証拠は持っていないだろうが、疑惑は抱いているはずだった。
 このエリアへ入るための布石を打ったのか──
 そうならば、市警はホドランドたちが助力を求めてくるのを待っているにちがいない。ホドランドは目を細めた。
「ハルディン。地上部に出て、彼らを誤誘導しろ。こちらの開口部に近づかないように」
「派手に花火を打ちながら、鬼さんコチラってことですな」
「そう。人死には出すな。出すなら、同士打ちに見える状態でやれ。その間にこちらは移動準備をして、第二ポイントへ移動する」
「ラジャー」
 無機質な返事とともに通信は切れた。ホドランドは小さく息をつくと、円筒形のコンテナと、その横に立つジャックを眺める。卵の面倒を見る親鳥のように、せっせとコンテナの周囲を回りながら調整をくりかえし、まるで話しかけるように時おり何かつぶやいているジャック。ホドランドの目の奥に嫌悪が浮かんだが、彼はぐっとあごを引いてそれを抑え込み、コンテナへと歩み寄りはじめた。


 夜が浅い、とサーペントは思う。臆面もなく頭上で輝きつづける偽の月のせいか。夜そのものが偽物と化しているような気がしてくる。
 暴力と血と騒擾の気配は夜の底に流れているのに、それは肌の表面だけをぬるま湯のように流れて、ひりひりするような、焦げ臭い匂いを感じない。何の焦燥も、緊張も、狂気のかけらすらも味わっていない。
 このぬるま湯に身を浸して、底の浅い馬鹿騒ぎを演じるのもおもしろいかもしれない、が。
 自分が退屈しはじめていることに気が付いて、サーペントは首をのけぞらせ、高い笑い声をあげた。澄んだ、楽しげな声があたりの夜気をふるわせていくのを自分の耳で聞いて、また笑う。
 背後にすうっと気配が立った時にも、彼はまだ笑っていた。
「たのしい?」
 ふりむかずに、サーペントは首をふる。マーキュリーボードに座り込んで両足を前に投げ出し、頭を橋脚にもたせかけて、だらりと全身を弛緩させたまま、また笑った。
「いや。何も。何てつまんない夜なんだろうと思ってさ」
「きみはいつも、たのしそうだよ」
 その言葉はひどく正直そうで、しかも子供っぽい羨望の響きすらあって、サーペントはそれが余計に可笑しくて笑いがとまらなくなる。何も楽しくはないのだが、ただからっぽの体のどこかから笑いだけがあふれてきて身を震わせ、少してこずってから何とか発作的な笑いをおさえこんだ。
 顔にかかる髪をかきあげる。
「一人で来たんだね。じゃらじゃらぶらさげてた取り巻きはどうしたよ」
「わたしは、はじめから一人だよ」
「‥‥」
 面倒くさそうに体をおこし、立ち上がって、サーペントは背後に立っていたユイを振り向いた。ユイはやせた体に今日は黒ずくめの服をまとい、幼いつくりの顔に何の表情もうかべず、人形めいた大きな目でサーペントを見ていた。今日は白目の部分に何の染料もさしていないのか、普通の色をしている。瞳はやはり前と同じ赤っぽい琥珀色で、濡れたような艶をおびている。
 サーペントは微笑した。
「そうか。お前も、キリング・ムーンを探しにイルヴェンに来たのか、ユイ」
「わたしは、イルヴェンに、人を殺しにきたんだよ」
 ユイがたどたどしく言葉を口の中で少しこねるようにしゃべるたびに、赤い口腔内で舌をさしつらぬく銀のピアスが揺れる。擬似餌のようだ、とサーペントは頭のすみで思った。キラキラと光を放っておいて、寄ってきたものを喰う。
「狩りのことか」
「そう。でもね。それよりキリング・ムーンの方がおもしろい。あれは魂がないの?」
 遠くで爆音がはぜるように鳴った。どちらもその方向へ目もくれず、唇に微笑をはりつけたサーペントはマーキュリーの上に立ち上がって、ユイにヘルメットを投げた。
「行くぜ。運がよければ、お人形ちゃんに会えるだろうさ。そしたら自分で聞いてみな」
 ボードの一部を強く踏みつけると、内蔵されているツインサイクルエンジンが駆動しはじめる。ボードに乗って前のハンドルをつかんだ瞬間、ヘルメットをかぶったユイが後ろにとびのり、サーペントの体に腕を回して抱く。ユイの左手がボード後方のハンドルをつかんだのを確かめ、サーペントはマーキュリーを闇の中へ走らせはじめた。


 蜘蛛の巣のように規則的にからみあったカーボンの支柱。かすかな青に光る発光パネルは誘導用のものだろうが、エースはそのたよりない目印に、何故だか童話を思いだす。パンくずをまきながら薄暗い森の中へと入っていった無謀な子供たち。
 人一人がすりぬけていくのがやっとの隙間に体を押し込み、ゆっくりと体と骨が圧迫されていくのを感じながら、向こう側へ這いだす。つめていた息をゆっくり吐き出し、体中に闇が満ちてくるような感覚を同時に吐き出す。
 パイプにしるされたナンバーに細いライトをあて、英数字を読み取った。これは都市の地下にこもる人体に有害なガスの排気用のパイプだ。この深度ではまだ汚染の心配はなく、パイプからも今のところ気体の動く音も振動もつたわってこない。
 目をとじて、エースは自分の位置を頭の中の地図に思い浮かべる。アンダーウェイ。都市の地下につくられた、ライフラインを通すためのメッシュフレーム構造。その中を、たぐっていく。パンくずをまいた子供のように、深くへ、奥へ。


 本当ならもっと殺伐と、殺気立っていなければいけないのだろうが、とセイン・ワートブルは不思議にとりとめのない気持ちになる。ここに来る途中で血みどろの喧嘩も見たし、巡回パトロールしている市警の車をやりすごし、身を隠しながらやってきた。
 それなのに、その場所はひどく陽気でまのびした雰囲気に満ちていて、彼をとまどわせる。騒がしい物音の中にぼんやりと立ち尽くし、周囲を見回す。だだっぴろい空間を緑地帯と杭状のポールで仕切った、これもまのびした広さのところどころに、ヒョウタン型や楕円形など半端な形状の芝生がブロックにかこまれてちらばっていた。緑が多い割りに不毛な印象を受けるのは、人工的な月光の下、青白く光る舗装路の色のせいかもしれない。
 緊急避難所として確保された空間の向こうには、細長い箱のような建物が縦横に並んで建っていた。だがそのほとんどが稼働せず、今は暗闇に沈んで見えた。
 周囲には30人ほどいるだろうか。大半が武器を持ち、数人は血まみれで、見るからに大口径の火器を下げた者もまじっている。だがその顔は奇妙に明るく、笑い声さえとびかっていた。
「いるって本当かよ」
「お前じゃねえの?」
「なァ、上にいるの、市警のヘリじゃね?」
「撃っちゃおうか」
「手ぇ振ってやれよー」
 酔っているような口調の人間すらいる。酒にかドラッグにか、それはわからない。両方かもしれないし、どちらでもないかもしれない。人は暴力にも血にも酔う。
 ふらふらと、大した目的もないかのような足取りで人々は歩いていく。その後ろ姿を追う気にもなれず、自分が何のためにここにいるのか、彼らの存在が何であるのかわからなくなりそうで、ワートブルは足元に落ちる自分の影を見下ろした。街灯はまばらに立ってはいるが、今はすべて消えている。だが頭上の月──丸く、いびつなところのない、異様に大きな満月の光がうっすらと足元に彼の影を落としていた。
 ──殺戮者を追って──
 ここにたどりついたと思ったが、そこにあるのはまるでピクニックに来たような笑い声。ひどくばかばかしくなって、セイン・ワートブルも小さく笑った。それとも、バートリューズ・ウェンか。どちらの顔を演じどちらの顔に戻るのか、時おりわからなくなる。イルヴェンを出たら、別人になるしかないのかもしれない。
 ワートブルが、元来た隔壁の隙間へ身を翻そうとした時、遠い爆音と閃光が地面からはねだす稲妻のように光った。
「あっちだ!」
 一人が叫んで奥の建物を指し、その興奮がねじくれた導火線のようにひろがって、30人あまりが武器を振り上げるようにして走り出す。子供のように歓声を上げる様はまるで、目の前にエサをぶら下げられた犬のようだった。
 ──そういうことなのだ、とワートブルは悟る。エサ。何でもいいのだ、彼らには。ただ目の前にあるものを追うだけの。キリング・ムーンは彼らにとってより派手な「エサ」であるにすぎない。
(そしてまた、キリング・ムーンにとっては、彼らこそがエサなのか──?)
 ふと、そう思う。キリング・ムーンが人を殺すのは、そんなふうに目の前に「エサ」があるからなのだろうか。キリング・ムーンが都市で殺戮を重ねる理由が、ワートブルにはよく理解できない。エリギデル・フィールドであった殺戮の瞬間を、何故なぞるように殺人を繰り返そうとするのか。ランテリス──彼に接触し、キリング・ムーンの実験的解放をもくろんだあの女科学者は、それを「本能」だと言った。
 ならば何故、月齢29の夜だけに、キリング・ムーンは人を殺す?
 何故、他の日には殺さない?
 サーペントが言うように、キリング・ムーンが「幽霊」とともにいるのなら、何故キリング・ムーンは「幽霊」を殺さない?
 エリギデルの戦場でレプリカントが「脳共鳴」をおこして発狂し暴走した、あの日が新月だったことはワートブルも知っている。その記憶、深く刻みつけられた狂気が月齢29の夜にキリング・ムーンに人を殺させる、それは方向としては理解できるものでもあった。それはキリング・ムーンの中で月齢とともに回り続ける狂気の時計、規則正しく回る歯車。
 だが──
(それは「狂気」であって、「本能」ではない)
 記憶にさいなまれ、狂気にかりたてられて人を殺す──果たしてランテリスや連邦の一部上層部が考えたように、そしてもくろんだように、キリング・ムーンは「本能で」人を殺す存在なのだろうか? もしそうならば、何故彼らは戦場で発狂したのだ?
 脳共鳴が、彼らを狂わせた。まったく同じ遺伝子、同じ発現形を持つ者同士の強い共鳴、共振作用。強烈な共鳴が鏡写しのように増幅し、過電流となってシナプスを焼く。その共鳴の引き金を引いたのは戦場の狂気だとは言うが、殺戮そのものが彼らの本質だと言うのなら、何故戦場で彼らがそんなふうに追いつめられ、狂気を増幅させる必要があった?
(キリング・ムーンがもし、人を殺したくはないのだとしたら──)
 背すじがゾッとして、ワートブルは立ちすくむ。その瞬間、目のすみに暗い影が動いたような気がしてはっと意識を引き戻そうとしたが、右足に衝撃と激痛がはじけ、頭の芯が真っ白になった。
 生臭い匂いが押し寄せて息がつまる。体が泳いだ。何かをつかもうと両手をのばそうとするが、まるで動かない。アドレナリンがあふれだす脳の中で時間がゆっくりと膠着している。世界が体に粘つく。その闇を切り裂くように、あざやかに動いていく影。その顔をワートブルははっきりと見る。表情という表情が失せた、それは少年の顔。
 足が砕かれたかのように、ワートブルの体はその場に背中から引っ繰り返っていた。少年は血の匂いを引きながら彼の上をとびこえ、獣のしなやかさで闇の向こうへと駆けてゆく。それを呼ぼうとしたが、ワートブルは彼を呼ぶ名を持っていなかった。


 苦鳴をこらえて抑えた太腿からぬるりと血が流れ出し、傷口をさがしてまさぐる手が熱く濡れる。撃たれたのだということがわかったが、頭の中がぐるぐると回る思考で混乱して、それ以上何も考えられない。苦痛。血。あの顔。一瞬、こちらを見たような、死んだ瞳──
(今のは)
 キリング・ムーン。
 あれが‥‥
 骨の芯が砕けるような苦痛が一瞬身をよじらせた。それが抜けると、少し楽に息がつけるようになる。呻きながら起き上がろうとするワートブルの顔を、ひょいと人影がのぞきこんだ。ぎょっと身をすくめたワートブルは、見上げた視界に月をさえぎるように立つサーペントの姿をみとめる。その左手に小ぶりの拳銃が握られていた。
 サーペントが自分を殺しに来たのか──と冷たい恐慌に首すじから汗が噴きだしたが、ワートブルはすぐにはっとした。
「今‥‥俺を撃ったのは、君か──」
「すまんね。実弾で」
 サーペントは別にすまないとも思っていない表情で言うと、身をかがめてワートブルの上体を引き起こし、座らせた。
ワートブルは額の汗を手の甲で拭う。
「いや‥‥助かった。だろう? 君が撃たなければ、キリング・ムーンが俺を殺していた」
「かもね。あんた、通り道にいたから」
 どうでもよさそうに返答し、サーペントは立ち上がって背後を振り向いた。とりとめのないまなざしでキリング・ムーンの去った方向を見つめながら、ユイが立っていた。
「どうだ、読めたか?」
「‥‥わからない」
 銀めいた色に塗られた唇を微笑の形に歪めたまま、ユイは背すじが爪の先端でひっかかれるような、柔らかな声を出す。
「あれには‥‥魂などないのかもしれないねぇ。中に、なんにもない‥‥だれかに食い荒らされた、みたいに」
 ワートブルが心のどこかを衝かれたようにユイを見上げた。サーペントは唇の片はじをくいっと持ち上げる。
「なあ、ユイ。お前といいフェリカといい、テレパスってどうして魂の存在に執着するんだろうな。お前ら、じかに人の頭ん中に手ぇつっこむくせに、そこに魂があるかどうかもわかんないとはお笑いだね」
 ユイの目の中で何かがきらりと光ったが、ムーンストラッカーの少年は何も言わなかった。サーペントとユイは一瞬濃密な沈黙の中で互いを凝視したが、低く呻くような声が彼らの視線を下へ引き戻した。
「‥‥魂のないものは、発狂したりは──しない」
 ワートブルの声は息がからみついて荒く、苦痛に低くざらついていた。サーペントを見上げる男の目に奇妙にすがるような切迫した光があった。
 見下ろしたサーペントが何か言いかかるが、それをさえぎるようにワートブルがつづける。
「あれは──キリング・ムーンは、あのエリギデル・フィールドをやり直しているんだ。あの月齢29の夜、自分が、自分たちが発狂したあの日を‥‥やり直そうとしている」
「何のために」
「正気に戻るため‥‥きっと──殺しをやめるためだ。そのために、何もかもがはじまったあの日を、くりかえし、くりかえし、やり直している。あの日にすべてがはじまったからだ」
 むしろたどたどしいほどに、つまりながら吐き出される言葉。ユイは興味もなさそうに、キリング・ムーンが去った闇へ顔を向けていた。頭上にエアポリスのローター音。サイレンと悲鳴が近づいてくる。
 サーペントがラベンダーの目をわずかにほそめ、唇だけで奇妙にやさしい微笑をつくった。夜風に長いクリームブロンドが揺らぎ、白い頬の輪郭にかかっている。それを見上げながら、ふいにワートブルは、サーペントがひどく美しいことに気がついていた。
 その微笑は一瞬にして消え、もっと嘲るような歪んだ笑みをうかべて、彼は小さな笑い声をたてた。
「そう。それがあんたの答えなら、それはそれで素敵だ。偽善者は偽善者らしい夢を見ればいいさ」
 ワートブルに何か言う間も与えず、彼はマーキュリーへ飛び乗る。のばした右手をユイが素早くつかんでマーキュリーの後部に引き上げられると、ボードは首先を一瞬はねあげてから発進し、たちまちワートブルの前から駆け去っていった。

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