「矢に火をつけろ!」
サイヴァの号令は耳をつんざく咆哮にかき消された。だが声と同時にサイヴァは火のついたたいまつを振っていた。合図を受け、ディエンツの戦士たちが手近なたいまつの炎に矢を入れる。矢の先端にかためられた火種に炎がともり、火の列が男たちを照らした。どす黒い雲が渦を巻く天の下、どの顔も戦いの熱でギラつき、目は研ぎあげられた刃のように光っていた。
一斉に火矢が放たれ、無数の炎が天に弧を描く。数百という矢列にぶちあたった黒い影が、きしむ声をあげながら宙でもんどり打った。
炎の粉が天を焦がし、異臭がたちのぼる。熱い風がサイヴァの髪を揺らして抜けていった。
黒天に巨大な影が翻る。ハルヴァーティン──"空の獣"と彼らが呼ぶ、闇色の鱗に覆われた、翼ある不思議な怪物。サイヴァは横に立つシィロにたいまつを渡すと、矢筒から引き抜いた矢の先を、腰に下げた壺にさし入れた。ハルヴァーティンの血を腐らせたものが入っている。彼らを殺せる毒だが、作るのが難しく、少量しかない。
部族の地のトネリコで作られた、子供の背丈ほどもある大弓にその矢をつがえ、サイヴァは渾身の力で弓を引いた。はねとばされてしまいそうなほどの弓の反発力と、彼の体に張りつめた剛力が真っ向から引き合う。全身にふたつの凄まじい力が充溢し、一瞬、弓と自分の区別がつかなくなる。その刹那、彼は弓そのもの、ただ一心に敵を狙う武器そのものだった。
空気を叩く音がはじけて、放たれた矢は稲妻のように闇をかけのぼった。次の瞬間、ハルヴァーティンの黒い翼がひるがえり、長い尾をのたくらせながら、獣は一線に地面へと落下していった。
歓声が上がり、横にいるシィロが興奮に上ずった声で叫ぶ。
「一発だ!」
弓を地面に立て、サイヴァはあたりを見回した。見わたすかぎり、荒れはてた地であった。草一本ない黒い岩盤がうねうねと隆起して見通しは悪く、大地の表面はこまかいひび割れに覆われていた。点々と奇怪な形の巨岩がそびえ、低く窪んだ地では腐った溜まり水が腐臭を放っていた。
あたりには瘴気がたちこめ、昼だというのに夕暮れよりも暗い。
──かつて、この地が「聖地」と呼ばれたのだ。
今となっては、ただ得体の知れぬ獣が闇から這い出してくる地。それまで相争うことしか知らなかった2つの部族は人ならぬものと戦うために手を結び、この聖地と接する国境いに点々と砦を築いて怪物どもの封じこめをはかったが、戦いには果てがないようだった。いまだ続く、故郷の地での部族同士の争いにも、ここでの戦いにも。
そして、流される血はまたこの土地を穢していく。
この場所の中心には地の底までとどく深い地割れがあり、怪物はそこから無限に這い出してくるのだと言うが、その言葉の真偽をたしかめた者はいなかった。誰もたどりつくことはできず、そこを目指した者は誰一人として戻らなかったのだ。
(──いつまで‥‥)
続くのだろう、と思いながら、サイヴァは次の矢をつがえる。いてまで戦うのだろう。ここで、こうして。
もしこの戦いから引いても、ディエンツであるサイヴァには、エスピアの戦士たちとの戦いが待つ。ロウたちとの戦いが。自分がそれを待っているのかどうか、サイヴァにはわからなかった。己の望みが見えない。こんなことははじめてだった。
(──戦うだけだ)
あの男の声がきこえたようで、思わず苦笑の形に唇を歪めた。俺もエスピアの男も同じだ、と胸に呟く。ディエンツもまた部族のために戦うだけだ。目の前にいる敵と戦う、それ以外の運命などない。エスピアの戦士にも、彼らディエンツにも。戦いがなくなれば、彼らの存在の意味自体がなくなる。
陸をはしる影が見え、サイヴァはシィロへ鋭く言った。
「火幕を打て!」
シィロが素早く身を翻し、投石機を据えた土塁へと走る。すでに巻き上げてあった投石機の腕がさらに後ろへ引かれ、腕の先端の籠に油を密閉した壺が入れられる。壺にぐるりと回した火縄に火がつけられると、シィロが腕を上げた。
「打て!」
まだ少年の高さを持つ声がサイヴァの耳にとどく。ついに解放された投石機の腕がうなりを上げ、油壺が闇の中へ射出された。一列に配置された他の投石機の腕も次々と回転する。
大地に炎の奔流があがった。赤く浮き上がった隆起の向こうから黒い影が次々と押しよせてくる。"地の獣"──イジャーディン。一口にサイヴァたちはそう呼ぶが、その形も大きさも一定しない。同じなのはすべてが濡れ光る漆黒の鱗を持つこと、その鉤爪で人を引き裂き肉を喰らうということだ。
その獣たちが群れとなってひた走る。
疾風のような速さだった。赤い目が無数の火のように闇にかがやくのが見えるほど、彼らを近くまで引きよせてから、サイヴァはもう一度矢の号令を出した。
打ちこまれた矢に貫かれて次々と倒れる獣を乗りこえ、新たな獣が宙へ跳躍する。地を走りくるイジャーディン、天からは翼あるハルヴァーティンの咆哮と羽音がせまった。
サイヴァは大剣を抜き、鞘を足元へおとす。分厚い黒鋼の刃を目の前へかざしながら、喉も裂けよとばかりに叫んだ。
「血の果つるまで!」
ディエンツの誓いに、周囲のディエンツたちが己れの剣をかかげて唱和する。
「血の果つるまで!」
その向こうではエスピアの戦士が彼らの鬨の声を上げていた。天地をどよもすような声は、だが果てのないくらがりに吸いこまれるように消えていく。
「俺のそばを離れるな」
ひそめた声で、サイヴァはシィロへ囁いた。シィロはまだ14を越したところだ。それでも戦士として対等に扱わねばならないが、この少年は、サイヴァが部族のもとに残してきた年若の弟を思いおこさせるのだった。
シィロは、恐怖と興奮に目を見ひらいたままうなずく。その両手はかたく剣の柄を握りしめていた。それでは手のひらを破くと注意しようとして、サイヴァはやめた。戦いは頭ではなく、体に覚えこまねば役に立たない。
ひた走る獣へにらむ目を戻し、サイヴァは剣をかまえて裂帛の気合を発する。体中の血が熱くたぎり、目の前の戦いだけがすべてとなる。敵と己。血と鉄。誓いと死。あらゆる迷いが消え、恐れが消え、血がたぎった。サイヴァはこのために生まれついたのだ。戦い、殺すために。
「血の果つるまで──」
目の前に獣たちが迫りくる。口の中で誓いを呟いて、サイヴァはとびかかってくる黒い影へ剣を真っ向から叩きつけた。
血しぶきを雨のように浴びた。赤黒い獣の血は、色こそ人の血に似ているが奇妙に粘っこく、腐ったような臭いがする。血にすべらないよう、剣の柄にはきつく荒縄が巻いてあったが、もはや柄を握ると縄から血がしみ出してくるほどであった。
腕は鉛のように重い。何匹斬ったか、もう切れ味など失った剣はただの棒のようだったが、それでも渾身の力で叩きつければ皮が裂け肉がはぜた。
人外のものの血で濡れそぼった大地からは、鼻を麻痺させるほどの腐臭と瘴気がたちこめている。
どれほど戦っているのか、サイヴァは時間の感覚を失っていた。いつになく獣どもの数は多く、その勢いはおとろえず、サイヴァたちは2度まで防護の柵を打ち破られて、じりじりと後退していた。
あたりの様子を見回して陣のまとめをはかりながら、サイヴァは地面からのびあがってきた、まるで蛇のように長い獣の首を剣で両断した。闇色の鱗は粘液状のぬめりを帯びていて、少しでも力を抜くとその表面で刃がすべる。
とびかかってきた首のない体を、サイヴァは怒りの声とともに地面へ叩き落とした。すぐ死のうとしないのも、奴らの不気味なところだった。
長く鳴る角笛が聞こえる。背後の砦から増援がきたのだろう。だが昼も夜もない戦いに砦の誰もが疲れ果てているはずだ、どれほどの戦力になるか。それでも、ここでくいとめなければならない。
鱗が甲羅のように高く分厚く盛り上がった巨大なイジャーディンが、死骸を蹴ちらして突進してくるのが見えた。その先には膝をついたシィロの姿がある。戦いの混沌の中ではぐれた少年めがけ、サイヴァは全身の力を振りしぼって走った。
「立て!」
シィロへ叱咤をとばしながら、イジャーディンへ向き直る。巨大な体はまだしも、ねじれた角を顔中に生やした不気味な姿に思わず総毛立った。悪夢の中から抜け出してきたような生き物。いや、生き物なのだろうか。
──だが、殺せる。
刃も矢もはねかえす鎧のような皮膚と、この圧倒的な突進力。その二つは手強いが、敏捷でもなければ、するどい牙を持つわけでもない相手だ。
奴らの血に染まった剣の柄を逆手に握り、サイヴァは腰を低くかまえた。イジャーディンはあたりを揺るがす轟音をたて、猛烈な勢いでつっこんでくる。
目前にせまりくる凄まじい圧力を体にみなぎる闘気ではねかえし、サイヴァは右膝がつくほど深く身をたわめ、跳んだ。目の前に黒くうねうねと隆起したイジャーディンの鱗がせまる。角だらけの顔、その中にある赤い目──死んだ獣のように冷たい、だが殺意だけがみなぎった、闇の獣の目。
盛りあがった肩と首のつけ根がつながる場所に、サイヴァは逆手の剣を叩きこんだ。宙にある体は踏んばりがきかないが、その分は突進してきたイジャーディンの速度が補って、剣は甲殻の隙間に柄近くまで埋まった。
イジャーディンの肩を蹴って横に逃げようとしたが、突進の力で体がはねとばされたようになる。サイヴァは宙でもんどりうって、背中からまともに地面に叩きつけられた。歯を噛んで立ちあがる。
イジャーディンは後ろ足であたりの岩を巻きあげながら立ちどまり、咆哮をあげて頭を振りたくっていた。その首からサイヴァの剣が生えている。
「貸せ!」
そばにいたエスピアの戦士らしき男から刃の肉厚な湾刀を奪いとった。前腕ほどの長さがある重い湾刀を手にイジャーディンの背後へ走りこみ、後ろ膝の裏めがけ思いきり振りきる。
膝の後ろを深く切られ、残る3本の足で自重を支えきれないイジャーディンはどっと倒れた。サイヴァは暴れる足に注意しながらイジャーディンの体の上を一気に走り、湾刀を獣の片目に突きこんだ。
渾身の力で数回こじると、イジャーディンは痙攣して、力ない四肢をだらりと投げ出した。どっと周囲で歓声がおきる。疲労で気力の崩れかかった男たちの顔に喜色がのぼるのを、サイヴァは獣の上に仁王立ちで眺めた。なんとか持ちこたえられそうだ。
イジャーディンの角の一つで肩をざっくりと裂かれていたが、熱いだけで痛みなど感じなかった。獣のつぶれた眼窩から湾刀を抜き、手を振っているエスピアの男の足元に投げ返す。
その時、高い悲鳴がきこえた。サイヴァは今の争いのせいで耳がおかしくなったのかと思う。その悲鳴は真上から聞こえていた。
はっと空を仰ぐ。どす黒い雲を背に、長い黒翼を左右にのばした巨大なハルヴァーティン──空の獣の姿があった。蜥蜴のような長い顔と体、二又に分かれた先に尾爪のついた尾、背中からのびた二対の翼。サイヴァは呆然とした。二対、四枚の翼を持つ生き物など、この地においても目にするのははじめてだった。
この地は何なのか。どうしてこんなふうに異形のものどもを生みつづけるのか。
ハルヴァーティンの胸元には、人の腕のように器用な前足がたたみこまれている。その前足の先にぶらさがって、喉も裂けんばかりの声を上げる少年の姿があった。
「シィロ!」
叫んで、サイヴァはイジャーディンの首のつけ根から自分の剣を抜こうとした。だが、剣身にねじれた獣の重みがかかっているのか、刃が骨を噛んだのか、まるで喰いつかれているように抜けない。歯を噛みしめ、サイヴァが握った柄に全身の力をこめて身をふるわせると、イジャーディンの体内で鋼の折れる音がして、ずるりと剣が抜けてきた。軽い。半ばで折れている。
遠ざかろうとするハルヴァーティンの影めがけて一歩を踏みこみ、サイヴァは折れた剣を槍のように投げた。それは闇に銀の弧を描き、大きくはばたいた獣の下腹へ斜めにつき刺さる。傷は大きく腹を切り裂き、よろめく獣の下に血が雨のように落ちた。
サイヴァは走り出した。獣と人の死骸をとびこえ、破れそうな肺へ無理に息を吸いこみ、獣めがけて走る。ハルヴァーティンが宙をかきむしるように翼をふり回しながら、その鉤爪がかかえたシィロにくいこむのが見え、サイヴァは怒りの咆哮を上げた。
大きくよろめきながら飛ぶハルヴァーティンの体に、どこかから飛来した矢が無数につき立つ。援軍だろうか。ハルヴァーティンの体は斜めにねじれ、裂けた翼をはためかせながら獣はぐんぐん落下してきた。
はっ、はっ、はっと自分の息が激しく聞こえる。とびついてきたイジャーディンの喉笛へ手甲を叩きこみ、サイヴァはハルヴァーティンが宙で体勢をととのえ直すのを見た。1枚の翼が半ばちぎれたまま、はばたいて必死に上昇しようとする。その風が巻きあげた何かの破片がサイヴァの頬を切って、小さな熱がとぶ。あと5歩。
シィロの叫びがきこえた。それは弱々しいが、まだ命の火はそこにある。あと3歩。サイヴァは歯をくいしばって、疲労に砕けそうな膝に力をこめて地を蹴る。あと2歩。
ハルヴァーティンが上昇をはじめた。サイヴァは岩を踏んで跳躍し、右手を思いきり上にのばした。指が何もない虚空をかきむしって、サイヴァはその感覚に総毛立つ。だめか。
だがその瞬間、宙づりになっているシィロの足先をつかんだ。
サイヴァの重みと衝撃がくわわって、ハルヴァーティンが地面すれすれまで落下した。サイヴァは地面に引きずられながら左手をのばしてシィロの体をつかもうとしたが、体が弾むように上下して、右手を離さずにいるのがやっとだった。血と泥に濡れたブーツに指がすべる。必死で右手を握りしめた。運び去られたらもうどうにもならない。どうにかこらえきった。
足が地面から離れた。体が浮きあがり、サイヴァの体重をぶらさげた右手がブーツからすべる──否。サイヴァは上を見て、恐怖に凍った。シィロのブーツの留め金が外れ、ブーツが足から脱げかかっている。
大きく体が振られ、指がまたブーツごとすべった。サイヴァは5本の指を必死に握りこませるが、まるで蛇の脱皮のようにシィロの足からブーツが脱げていく。
視界がかしいで地面が近づいてきたと思った瞬間、全身が大地に叩きつけられ、はねた。それでもブーツを離さずにいると、ひきずられながらまた岩に叩きつけられた。剣のように鋭利な先端に脇腹が大きく裂かれ、苦痛に息がとまる。気付いた時には、からっぽのブーツを手に地面に倒れていた。
はね起きるが、もう遅い。茫然と膝をついて天を仰ぎ、頭上を覆うような黒い影を見た、その瞬間。上を見上げた頬にボタッと生あたたかいものが垂れた。
雨のようにふり注ぐ血を仰いで、サイヴァは腹の底から叫びを吹き上げた。頭上を旋回する傷だらけのハルヴァーティンの喉からも、聞くもおぞましい咆哮がほとばしり出る。サイヴァの周囲にボトボトと、細切れに引きちぎられた人の体が血にまじってふりそそいだ。
地に手をついて立ち上がろうとして、サイヴァは握りしめていたぼろぼろのブーツを放り捨てた。全身が怒りと熱ではじけそうだった。
ハルヴァーティンが彼の頭上を小さく旋回し、ふたたび身の毛のよだつ声をほとばしらせた。
「来い!」
サイヴァも咆哮する。無手で仁王立ちになり、空の獣へ向かって血まみれの両腕をひろげた。傷の痛みなど何一つ感じなかった。
「来い、化け物!」
ハルヴァーティンの尾は天空にうねくる大蛇のようだった。それをしならせて方向を変え、ハルヴァーティンは牙のみっしりと生えた口を開け、無音の咆哮をあげながら真正面からサイヴァへと迫る。
翼が風を切る音がつんざくようにサイヴァの耳を打った。己の魂そのものが燃えさかるような熱に支配され、全身の血という血がたけりくるう。一歩も引かずにハルヴァーティンをにらみつけた。武器がない絶望的な状況など気にもとめていなかった。己の命すら問題ではない。あの獣に己の怒りを叩きつけないことには、自分自身がバラバラになってしまいそうだった。
獣の姿が視界を覆うように急速に大きくなる。その体を汚す血の腐臭が、ぼろぼろの翼の巻きおこす風とともにまともにサイヴァへ吹きつけた。
近づく──その動きが、サイヴァにはひとつひとつ止まったように見える。てらてらと濡れ光る鱗、傷から膿みのように血のあふれ出す腹、よじれた尾爪の生えた長い尾。後翼の先はちぎりとられたように失われていて、翼が動くたびに傷はぼろきれのようにはためいた。人ひとり握りつぶすこともたやすい両の鉤爪は今は腹の前側に折りたたまれ、サイヴァめがけてばねのような勢いでくり出される瞬間を待っている。サイヴァを狙って。
鉤爪の先端が自分を向いた、とサイヴァは感じる。跳躍にそなえ、彼の両足にふしくれだったような筋肉が盛り上がった。すべての血が、すべての細胞が、その一瞬の命令を待ち、殺意の放たれる刹那を切望している。
──今だ──
体中の力を解き放とうとしたと同時に、空全体がどよめいた。至るところで雲が裂け割れ、溶岩のように煮えくりかえった炎が裂け目からあふれ出してくる。無数の炎の塊に、天は一面、溶鉱炉のように赤黒くかがやいた。空が灼けついたかのようであった。
爆発的な熱風が、サイヴァを地面へ叩きつける。炎の色に大地までもが赤く染まり、凄まじい風が一瞬の嵐となって熱く吹きぬけた。サイヴァは地面にしがみついて目をとじ、歯をくいしばって熱風に耐える。全身を石や土くれが凄まじい勢いで次々と叩いた。
吹き戻しの後、弱まった風の中をよろよろと立ち上がった時には、天地の獣はすべて焼けこげた灰となっていた。熱の名残りを帯びた風が、黒い灰をほろほろと巻き上げていく。
体中の痛みが押しよせて、サイヴァは膝をついた。呪師だ、とにぶい頭のすみで思う。ロウが呪師を使ったのだ。だがこれで、十数人の呪師が死んだことだろう。
肋骨が折れているのか、息を吸うたびに胸の奥が熱い。腕も脚も傷だらけで、手でおさえた脇腹からは、脚を濡らすほどの血が次々とあふれていた。裂かれた鎖帷子を持ちあげて中を見ると、はじけるように肉が割れ、血以外の何かもあふれ出しかかっている。
サイヴァは肩から斜めにかけている剣帯を外すと、鎖帷子の上からぐるりと腹に巻いた。痛みに吠えるような声をあげながら、傷も帷子も強く締めあげて、革帯を留める。それが限界だった。
前のめりに倒れる。
視界のはじにブーツが見えた。風が彼に吹きよせたのだろう。手をのばして、つかんだ。
このブーツは彼が渡したものだった、と思い出していた。半年近く前のことだ。死者の持ち物を皆に分配する時、サイヴァがシィロの足に合うブーツを探してやった。
「‥‥くそっ」
口から嗚咽がこぼれた。全身をふるわせ、ブーツを握りしめ、サイヴァは苦しい息を継ぐ。手足をつき、立ち上がろうとしたが、ふたたび引きずり倒されるように地面に崩れた。血を失っていく体がひどく重く、ひえびえと感じられる。
──死ぬのか、俺は?
長く戦いつづけてきたというのに、そう考えたのははじめてだった。死はいつも目の前にあったが、サイヴァは常にそれを戦い伏せてきた。今日までは、常に。
(負けた、のか‥‥)
そう思ったが、もう心も体もそれ以上動かない。血の果つるまで。ディエンツとしてそう誓った。だがもうサイヴァの血はここに果つるのだろうか。
血の果つるまで。地に倒れたまま、サイヴァの唇はくりかえしその言葉の形をなぞる。意識が傾いてこの大地から体ごとすべり落ちていきそうで、シィロのブーツをひたすらに握りしめた。
どうしてか、意識を失う寸前のサイヴァの脳裏をよぎったのは、シィロの姿でもあのハルヴァーティンの姿でも、故郷に残してきた者たちの姿でもなかった。それは、サイヴァの体に愛撫の手をおきながら「お前を殺す」と囁いた、異族の男の顔だった。
──お前には無理だったな、ロウ。
心のどこかでそう呟いた。それが闇に呑まれる、最後の記憶。