歩けるか、と問われたイーツェンは、うつ伏せのまま無言で首を振った。立つことだけならどうにかできるようになったが、それも人の手を借りてだ。外へ歩いていくことなど考えられなかった。
たずねた兵士は表情も変えずにうなずいて、縄編みの担架を床に据えると、もう一人の兵士とともにイーツェンの体を持ち上げて担架にうつした。
肩と足をつかまれて体があげられた瞬間、背中にちぎれるような痛みがはしって、イーツェンは歯を噛んでこらえた。悲鳴を上げたところで、周囲はそれを無視するかおもしろがるだけだということを、彼はこの日々で悟っていた。イーツェンは罪人であって、すでに嘲りと憎しみの対象だった。
鞭打ちの日から、何日たったのだろう。もうイーツェンには暦の感覚がない。口をきくことを許されていない以上は誰かにたずねることもできず、自分が一体どれだけの間、高熱と痛みに苦しんでいたのかもわからなかった。激痛の記憶と悪夢が入りまじった曖昧な意識の中で、身が煮えたぎるような苦しみにのたうって、イーツェンは本気で死を望んだ。
どうやって自分が持ちこたえたのかはわからない。いや、持ちこたえたのかどうかすらわからなかったが、やがてイーツェンはどうにか食事を呑み込めるようになり、熱冷ましの薬湯を吐かずに飲めるようになり、背中の傷の痛みにもわずかずつ慣れた。
体を動かそうとすると、相変わらず背中全体が削ぎ落とされるような痛みがはしる。体に力を入れることができず、ただ伏したまま、イーツェンは日々をすごした。おそらく悲鳴がうるさかったからか、彼の身柄は城の外れにある小さな備蓄塔にうつされていた。暖炉はなく、毛布数枚と敷きわらが与えられただけの部屋は寒かったが、イーツェンは寒さよりももっとさしせまった苦痛に苦しんでいて、それどころではなかった。
熱がおさまっても血を失った体は重く、手足はイーツェンの思うように動かず、こわばった指は杯をつかむほどの力も入らない。あの凄まじい衝撃が、イーツェンの体の中の何かを砕いてしまったようだった。
このままゆっくりと死んでいくのではないかとイーツェンは思ったが、彼を訪れる療法師はそんな彼を指して「回復してきている」と言う。イーツェンはほとんど反射的に療法師を憎んだが、それが本当に相手を嫌いだからなのか、こんな絶望的な状態の彼を生かそうとしているからなのか、自分でもわからなかった。
──どこへ行くのだろう。
縄編みの担架にうつ伏せに揺られ、イーツェンは気怠く考える。もう体に沁みついてしまった苦痛のせいで頭の半ばは痺れていて、思考はあまり明瞭でない。傷つけられ、砕かれたのは体だけではないのかもしれなかった。
ふいに目の前がまばゆくくらんで、眼球をさしつらぬくような痛みに目をとじた。薄暗い部屋に慣れた目には、外の陽光は激しすぎる。しばらく時間をとってから薄くまぶたを上げ、まだ光のしみる目をしばたたきながら、イーツェンは自分が城内馬場へ運ばれていくのに気がついた。
馬場のとなりには訓練場がある。訓練用の杭が打ち込まれた空き地を横目で見ながら、ここで剣を教わっていた時のことをぼんやりと思い出したが、心が痺れきっていて、ひどく遠い昔のことのように思えた。まるで自分の記憶ではないような、虚ろな隙間がイーツェンをひどく怯えさせる。失ってはならないものが奪われていく。そのことが、傷とはまるでちがう痛みのするどさで胸の奥をしめつけた。
馬場には何か見慣れない道具が据えられ、小さな人だかりが出来ていた。そのそばの地面にドンと担架をおろされて、イーツェンは苦痛に呻いた。周囲の人々の存在は何となく意識に入っていたが、もはやあまり多くのことに注意を向けられない。かがみこんできた相手に髪をつかまれて顔をあげ、はじめて相手がオゼルクなのに気がついた。
「お前のへらず口がきけないと、つまらんな」
背中の痛みにたじろぐイーツェンを見おろして、勝手なことを言う。さすがによどんだ胸に怒りが動き、イーツェンがにらみつけると、オゼルクは少し笑った。
意識があいまいなうちに、春も随分とすぎたようだった。空気から冬特有の緊張感が消えている。とは言え、頬をなでる風はまだつめたい。
その空気の中に、ひとすじの熱があった。イーツェンは斜めになった視界のすみに、石でかこわれた炎を見る。地面には見慣れない道具が据えられていた。そのすぐそばに炎を囲う炉があって、小さいがまばゆい火がそこで燃え盛っていた。
男が一人、道具の横に置いた小さな台に座っている。暗くきびしい顔つきでじっと地面を見つめ、手に持った棒のようなものをひねくり回しながら、イーツェンの方をちらとも見ない。男の胸元から胴まで、長い皮の前掛けが覆っていた。
──鍛冶か。
イーツェンはぼんやりと考える。だが、奇妙だと感じた。城の鍛冶工房は堀のすぐそばの小屋にしつらえられている。それなのに何故、移動鍛冶屋が、それも馬場に火を据えているのだろう。
男のそばには木組みの中に筒状の袋を吊るした仕掛けが据えられ、彼が足元の踏み板を踏み込むと吊るされた袋の腹が大きく押されて、袋の口から空気を強く吐き出した。風は細い筒を通して炉の下に直接吹きこまれ、炎の中から火花がぱあっと舞い上がる。燃料が何なのかイーツェンの場所からはわからないが、一瞬、頬に感じるほどの熱気があふれた。どうやらそれは、火を熱するふいご仕掛けらしかった。
どうしてここに鍛冶師がいるのかとじれったいほど鈍い頭で考えていたが、男が何かの道具に手をのばして身をひねった拍子に、イーツェンの目は小さなきらめきを見た。鍛冶師の腰には作業用の幅広の帯袋が巻かれている。腰の後ろの袋から細い鎖が数本、朝の蜘蛛が垂らす糸のように所在なさげに揺れていた。
(鎖‥‥)
イーツェンは痛みをこらえて少し頭をもちあげ、鍛冶を見る。重く沈鬱な表情のせいか、一見老いて見えるが、まだ若い男のようだった。オゼルクか、せいぜいローギスと同じほどだろう。鍛冶仕事で両肩に大きな筋肉が盛り上がり、首も太いが、肩をすぼめて背を丸めながら膝の間で何かを磨いている姿には、大柄な男の持つ威圧感などかけらもなかった。
──人鎖の鍛冶師か。
どんよりとしたものがイーツェンの胸を満たす。脚枷は鞭打ちの時に外されたまま、今もしていない。そのかわりのものを、今や「客人」でも何でもないイーツェンにつけようというのだろう。
どうやらそのために人鎖工がここに呼ばれ、イーツェンは衆目の前で奴隷の輪をつけられるのだった。
人鎖の鍛冶工は、このユクィルスでは忌まれ、蔑まれるという。他の職にもつけず、剣も農具も馬具も作れず、ただ人をつなぐ鎖をつくりながら賎民としてこの国で生きる。それがどういうことなのか、男のまとうシャツもズボンもすりきれた肘や裾につぎがあてられ、彼はひどく貧しそうにうなだれて見えた。
イーツェンは無表情に男の様子をながめていた。おそらくはこの男が作った脚鎖の枷を身につけて、イーツェンは二年半もこの城で暮らしていたのだ。あれほど憎んだ枷を、鎖を、目の前のこの男がその手で作ったのだと思ったが、イーツェンの心には何の感情も浮かんでこなかった。
レンギの輪を彼の足にとりつけたのも、この男なのだろうか。それより前にレンギがつけていただろう脚鎖は? ソウキの胸に揺れる奴隷の鎖は──
男がふっと顔をあげ、イーツェンと視線があった。まるで老いた者のような光のない目だった。何の希望もない、何も信じていない、ただこの瞬間を生きていくだけで、先行きに希望を持たない目だ。自分も同じような目をしているのだろうとイーツェンは思う。己の中の何かがへし折られてしまったのを感じていた。
男が、手にした棒のようなものを置いて立ち上がった。自分に歩みよってくる姿を、イーツェンはぼんやりと見ていた。
そのまま彼はイーツェンの横へ回る。視界の外だ。首をひねって彼の動きを追うには、イーツェンの背は痛みすぎていた。
気配で、男がイーツェンに近いところにいるのがわかる。服の音、男のつけている皮の前掛けがきしむ音、鎖がこすれるような小さな音。かすかな息づかい。
ふ、とイーツェンの視界を闇が覆った。後ろから目隠しをされたのだ。ごわついた布が肌に少し痛い。
おどろくほど近くで、低い声が呟いた。
「ごめんな」
「‥‥‥」
イーツェンはかすかに、小さく、うなずいた。それがつたわったかどうかはわからない。少しおいて足音が離れていった。
ざわついている人々の声はまるで虫の羽音のように、何を言っているのかはききとれない。だが、見物人がふえているのはなんとなく感じた。城では、日常と少しでもちがうことがあれば、それがそのまま娯楽となるのだ。
上体をおこされ、体の下に台を入れられる。痛みの呻きをこぼしながらもイーツェンはどうにか従って、上半身を固い台の上へ伏せた。腕で台をかかえこむよう強いられ、両肘を台の脚にくくりつけられて、体を台へ固定される。
膝は地面へついたままで、背中の傷が引きつって痛んだ。何も見えず、動けない恐怖に、全身から汗が吹き出る。イーツェンはどうにか落ちつこうとしたが、こうして動けないようにされると鞭刑の記憶がよみがえってきて、鼓動は乱れに乱れた。痛みにもかかわらずもがいたが、台はずしりと重く、地面から動かなかった。
ジュッと、何か熱いものが水にさしいれられたような音が聞こえる。イーツェンの喉は恐怖でカラカラだった。見せしめにして、見せ物にして、ローギスはイーツェンをどうするつもりなのだろう。何も見えない布の下で目に涙がにじんだが、歯をくいしばった。こんなところで泣くのは嫌だった。
誰かの手が頭にふれ、イーツェンはビクリとした。その手はほとんどやさしい動きでイーツェンの髪をひとまとめにし、紐でくくった。これはきっとあの人鎖工の男の手だと、イーツェンは思う。
次にその手は、イーツェンの頭を少しだけ持ち上げさせ、あごの下に何かの棒を通した。まだあたたかい、金属の棒──いや首に沿うよう馬蹄型に曲げられた、それは、未完成の輪だった。
イーツェンがふたたび台に額を伏せると、背中側で人が動く気配がして、すぐに首がぐっと締まった。イーツェンは目隠しの下で目をみひらき、汗ばんだ両手を握りしめて悲鳴をこらえた。はさみこむ道具を用いて、首のうしろで輪の開口部を締めているのだ。喉にかかる圧力がじわじわと増す。
ひどく時間がかかったような気がしたが、実際にはそれほどでもなかったのだろう。輪と輪のはじが首の後ろでカチリとふれる、微細な音が肌の奥にひびいた。金属の輪はまるで測ったようにイーツェンの首にぴったりで、ゆるみと言えるものはほとんどなかった。いやおそらく、意識のないうちに測られたのだ。このために。
終わったと思ってぐったりと体の力を抜いたのも一瞬、男の手がもう一度イーツェンにふれ、神経質に髪を横へ払った。それから何か、厚い紙──いや厚い皮のようなものが、首輪の後ろへさしこまれる。輪がぴったりしているため、分厚い皮帯が輪と肌の間へ入るにつれて、輪の前がイーツェンの喉にくいこんだ。
男が何か言い、別の手がイーツェンの頭を台へしっかりと押さえつけた。イーツェンは必死で息を吸おうとする。背中の痛みは焼けるようで、心臓はただ乱れ、周囲で交わされる声は反響したようにぼやけてよく聞き取れなかった。
恐怖が喉をつまらせ、汗が髪の間をつたった。目の前が白くなって世界を見失いかかる。恐慌に押し流されそうになるイーツェンをまだ現実につなぎとめているのは、骨まで食いいる背中の痛みだけだった。
熱い──火のような熱を首の後ろに感じる。
頭を動かしてのがれようとしても、体は台にくくり付けられ、人の手でおさえられた頭は微動だにしなかった。何の力もない。何一つ、抗うことはできない。
ガン、と衝撃が首の後ろから全身にはしり、イーツェンの背骨がピンと反った。足先まで痛みと衝撃がつらぬきとおる。もう一度、首の後ろに衝撃が叩き込まれた。
無慈悲に、正確なリズムを取りながら、鍛冶の槌がイーツェンの輪を叩く。一撃ごとに世界が砕け、意識はただ苦痛と熱に引き裂かれて、心の残りだけが闇と光の明滅の中でもがきつづけた。
記憶は途切れ途切れだったが、部屋に戻されたことはぼんやりと意識していた。
眠っていたわけではない。だが半ばうつつのまま、どれほどたったのかはわからない。身じろぎしたイーツェンは、首すじに手をのばした。喉にふれようとした指はつめたい金属の表面をすべる。火傷をふせぐためだったのだろう、皮は引き抜かれ、輪だけが首の肌にほとんどぴたりと吸いつくように残されていた。
力の入らない指は、首の後ろの輪のつなぎめへとすべっていったが、継ぎ目は溶けたように一つになっていた。
──溶かした金属で継ぎ合わせたのだ。
最後の衝撃を思い出し、イーツェンは目をとじて、力のない手を床に落とした。これはもう、彼から外れない。レンギのあの輪のように、きっと彼の命が尽きるまでそこにあって、地面の下で彼の骨といっしょに朽ちていくしかないのだろう。
全身の血という血がどこかへ流れ出してしまったようで、体がつめたく、重い。藁を下にしきこんだ薄い敷布の上にうつ伏せになったまま、イーツェンは浅い息を何度もついた。輪の感触を意識すると首が苦しく、喉に誰かの手がかかっているような気がする。呼吸をさまたげるようにくいこんでいるわけではないのだが、慣れるには時間がかかりそうだった。
ふいに扉が開いて、誰かの足音が入ってきた。イーツェンは伏したまま動かない。動こうとしてもろくに動けないし、どうせ療法師か掃除女だろうと思ってぼんやり聞き流していると、足音は彼にまっすぐ近づいて、ふいにひやりとした靴先が首元へ押し当てられた。
「お似合いだよ、殿下」
「‥‥‥」
目をあけて、イーツェンは顔の横にある薄汚れたブーツを見た。靴底にしっかりと厚い革を使った靴を見て、兵士だ、と思う。ちらっと目を上げると、たしかに城兵の胴衣を着た男だった。
男の顔に見おぼえがあるような気がしたが、よくわからない。にごった頭で考えようとした時、靴先が強く口に押しつけられた。
「なめろよ。きれいにするのも奴隷の仕事だろ?」
湿った泥の匂いがする靴から、イーツェンは顔をそむける。男が低く笑った。
「お上品ぶるのは変わってねえな。靴よりもっといいものなめたいか?」
顔よりも、下卑たしゃべり方がイーツェンの記憶をふいにはじいた。この男──と、イーツェンは目を見ひらく。ソウキを慰みものにしてイーツェンから平手を食らった番兵だ。
髪をぐいとつかまれて首を引き上げられ、背中にくいこむ苦痛にイーツェンは呻いた。男が左手の甲でイーツェンの頬をはたく。
「口をあけな」
のろのろとイーツェンは首を振ろうとしたが、男の指はイーツェンの髪を根元からつかんでいた。さらに左手でイーツェンの首の輪をつかみ、自分の方へ力まかせに引き寄せる。痛みに力なくのたうつイーツェンを易々と薄っぺらい寝床から引きずり出すと、床に座りこんだ自分の股ぐらへイーツェンの顔を伏せさせた。
抵抗しようとした瞬間ビシャリと背中を叩かれて、イーツェンは悲鳴を上げた。痛みのさざなみが次の痛みを引き起こして、一瞬、何も考えられなくなる。悲鳴がおさまると、まだイーツェンの髪をつかんだまま男がもう一度命じた。
「口をあけろよ」
「‥‥‥」
イーツェンは腕を動かしてどうにか首を持ち上げた体勢を支え、口をひらいた。男は無造作な手つきで革帯の留め金を外し、ズボンの前をくつろげて、ずらした下帯の間から自分のものをつかみ出した。
まだ萎えているそれを、イーツェンの口元に押しつける。イーツェンがおとなしく男の器官を含んでなめはじめると、男は喉で笑った。
「噛むなよ。歯をへし折ってやるからな」
脅されなくても、逆らう気力など尽きていた。何も考えないまま、ただ慣れた行為の記憶をなぞるように、イーツェンは男に奉仕をつづける。頭の位置を動かすと背中が痛むので、肘で上体をおこしたまま牡の上半分を口に含み、絡みつかせるように舌を動かした。
口の中で男のものはたちまち反応し、固く反り返った。はりつめたそれをゆっくりと舌腹でねぶりあげると、苦味のある滴が先端からあふれた。男の匂いがむっと強くたちのぼって、イーツェンはむせ返りそうになる。
舌でなめらかな先端を幾度もつつくと、男が呻いた。イーツェンは顔をさらに伏せる。背中の痛みは増していたが、ただ早く終わらせてしまいたいという切羽つまった気持ちが彼の行為を押す。深く呑みこんだ牡を上あごと舌を使って丁寧にしごいてから、いきなり吸い上げた。
口腔に生あたたかいものがあふれ、イーツェンは反射的にそれを呑み下した。何も感じなかった。ただこの行為が終わったということだけにほっとして男のものを口から外し、どうにかずりさがると、その場に崩れて荒い息をついた。
男は立ち上がって身なりをととのえていたが、やがて靴先でイーツェンの頬をこづいた。
「おねんねにはまだ早いぜ」
その言葉の意味をイーツェンはもう一つ、室内に入ってきた足音に悟る。下を向いたまま、口に残る精液の粘り気をどうにか飲み下そうとしたが、匂いは一向に消えなかった。首の輪のせいか、唾ひとつ呑みこむのにいちいち努力がいる。
もう一人の男の声は、少し不安そうだった。
「いいのか?」
「かまうこたねぇよ。誰が気にするもんか。‥‥こいつがしゃべれねぇんだから、バレないしな」
またイーツェンの頬を靴先がこづく。気が大きくなってるのか、それはかなり強い。
「くたばりぞこないでも、王族連中の愛人やってたヤツだからな。いっぺん味を見てみろよ」
背中の痛みと喉元にひろがる吐き気にもかかわらず、イーツェンは苦い笑いに口元を歪めた。成程。イーツェンとオゼルクたちとの「親密な」関係が番兵の間で噂されることまでは当然考えていたが、自分が彼らの「愛人」と考えられているとは予想の外だった。だがたしかに、この男たちにしてみれば、イーツェンが体を使って王族に取り入った淫売のようにしか見えないのだろう。
男が靴を引き、もう一人の足音がイーツェンの頭側へ回った。最初の男がまたイーツェンの髪をつかみ、顔を上げさせる。苦痛の声には、もはや注意も払わなかった。
「くわえな」
後はもう、言われるままだった。はじめはためらいがちだった二人目の男も、イーツェンが従順に口を使うのを見て興奮したのか、大きく屹立したものをイーツェンの口に深くつきこんでは呻きをあげ、イーツェンの息を幾度もつまらせた挙句、たっぷりとした精を口に注ぎこんで果てた。それからはじめの男がイーツェンに再度の口淫を強いたが、一度達しているせいで今度は放出まで長くかかり、粘っこく愛撫を強要しつづける男からついに解放された時、イーツェンの全身は苦痛と緊張で汗ばんでふるえていた。
崩れ伏したイーツェンにもはや一顧だに向けず、笑いをかわしながら、男二人が部屋を出ていく。半分以上敷布からはみ出た体を布の上に戻すこともできずに、イーツェンはぐったりとして目をとじた。足音は戻ってこない。今は。だが、いずれまた彼らがこの部屋を訪れるだろうことはわかっていた。陵辱の味をおぼえた者は、他人を支配する快楽をたやすく手放したりしない。そのことは身にしみていた。
何も変わらない。ただ脚の枷が首の輪にかわり、行為の相手がかわっただけで。この二年、こんなことをずっとやりすごしてきた。同じことだ。今さらこんなことで、傷つけられたりはしない。
しばらく休んでから、イーツェンは這うように壁の水桶のそばまで行くとなんとかうずくまり、よどんだ水をすくって口をすすいだ。それだけのことにひどく時間がかかる。
戻る気力もなくそこに伏したまま、彼は疲れた目をとじた。同じではない。イーツェンにはもう待つべき国のたよりがなく、そして何より、シゼがいなかった。いつもイーツェンが傷ついた時に彼を気づかい、それ以上の悪夢から彼を守ろうとしていた、あの手はもうここにない。
いなくてよかったと、自分に言いきかせる。もしシゼが城に残っていたら、ローギスはイーツェンへの見せしめにシゼを罰したかもしれない。いや、その可能性は大いにあった。
いなくてよかった。──それがわかっていても、イーツェンはただ焦がれずにはいられない。ただあの手が髪をなでてくれれば、あの声が彼の名を呼んでくれれば、まだ生きていける気がした。
たとえ夢の中で、一瞬でも。それだけでよかった。