何で言ったのか、とシゼがあらためてイーツェンに聞いたのは、陽があるうちに宴のような夕食をすませ、2人で片付けを手伝ってから、兄の逗留する家の1部屋に引き取った後だった。
昨夜までは大勢で雑魚寝していたのだが、2人の部屋にしてくれたのは兄の気づかいだろう。自分だけではなく、シゼも含めてくれたのはありがたい。とは言うものの「隣に寝てる」と兄が言い置いていったのは、いらない警告だとしか思えなかった。無用の用心なのだが、それを説明するとまた山ほど面倒なので、イーツェンは流した。
「何で言ったって、何を?」
おおよそわかっていたものの、イーツェンは素知らぬ顔で聞き直してみた。毛皮を継ぎ合わせた敷物を2つ敷くと足の踏み場がなくなるくらいの狭い部屋だったが、隣との間の壁に暖炉が有るらしく──焚き口は向こう側だが──部屋の中の空気はぼんやりと暖かい。灯りは石台に置かれた油燭ひとつで、薄暗いが、隣に座って服を脱いでいるシゼの表情ぐらいは見える。
案の定、シゼは数秒たじろいでから、続けた。
「私を好きだと」
イーツェンもシャツを脱ぎながら答えた。
「本当のことだから」
「‥‥‥」
「シゼ。リグに戻って、どういうふうになるかは私にもわからない。本当のところ、自分の立場もよくわからないくらいだ。でも兄は違う。あの人は古帳の長だし、リグでも力がある。兄上なら、お前がリグでも暮らしやすいようにはからってくれる。だからあの人に、わかってもらうのが大事だと思った」
肌着姿になると、イーツェンはシゼがいる側の毛皮の中へすべりこんだ。シゼも少ししてから同じように横たわる。彼の腰に腕を回して体をくっつけると、イーツェンは安堵の溜息をこぼした。近ごろは悪夢で飛び起きるようなことはほとんどないが、シゼの体温が伝わってくると安心できる。
シゼは何も言わず、仰向けで天井を眺めている。その肩口に顔を寄せて、イーツェンは眠そうに言った。
「それに、言いたかったんだ。わかってほしかったし‥‥ちゃんと言いたかった」
「今でなくても」
「どうせ、お前が何者なのか、何故そばにいてくれるのかは説明しなきゃならない。嘘を付きたくないし、適当なことを言いたくもない」
「‥‥あれは、誰です?」
何だかシゼの問いが呑みこめなくて、イーツェンは眠い睫毛をしばたたいた。
「誰?」
「兄上のそばにいた、ユクィルスの──」
どうやらイーツェンがシゼを好きだと言ったことからは、話題が離れたらしい。納得したのか、話をそらされただけなのかは微妙なところだったが、シゼが話したくないなら仕方あるまい。
「ああ、あの人‥‥」
赤でぐるりと縁をかがった灰色のマントをまとったユクィルスの青年は、夕食の間も兄のそばに大抵付き従っていた。相変わらず目を伏せ、誰とも言葉を交わさず、ただ時おり兄に命じられて料理や酒を取ったりといった小さな用をこなしていた。
「何故皆、彼を無視するんです」
シゼにそう言われて、イーツェンは「えっ」と思わず声に出していた。それから、そうか、と思う。シゼがリグの慣習になじみがないのは当然だし、わかっているつもりでも、自分にとっては陽光のように明らかなことがシゼには見えないということを頭に入れておくのは難しい。どこがわからないのか、線を引くのはさらに難しい。
「無視というか‥‥」
どう伝えようか、口ごもる。シゼがまたたずねた。
「彼がユクィルスの者だからですか」
「違う。──まあ、広い意味ではそうだが、リグの者であっても話しかけられるべきではない」
シゼがいっそう困惑したのが、ひそめた眉からわかった。イーツェンはつい右手をのばして、彼の額を指先でなでる。そう言ったら怒るだろうが、困っている時のシゼは、少しかわいい。
「何と言ったらいいかな。まず、彼は‥‥カジャンだ」
「それは?」
「持たざる者、という意味だ。捨てた者、という方が近いかも。カジャンでいる間は名前もない。呼び名はあるが、それは本来の名ではないし、その名が使えるのもカジャンがつながる者ひとりだけだ。ほかの者の呼び声には答えられない」
指先でシゼのこめかみから頬骨、顎までをたどる。
「それが、誰も彼に話しかけない理由だよ。話しかけても、彼はトゥルグスの声以外には答えないから」
「そのカジャンというのは、何をする者なんです?」
「償いをしている」
「償い?」
答えたつもりが答えになっていなかったようで、シゼがますます眉をひそめた。イーツェンは喉の奥でうなる。眠気が薄れていくのがわかった。
「つまり‥‥そうだな。あの人は兄に仕えているから、兄が許すまでは、そのまま仕える。兄が命じたことを何でもする」
「リグには、奴隷はいないと言ってませんでしたか?」
シゼはさらに眉間のしわを濃くして、イーツェンは思わずがばっと起き上がった。つめたい夜気にあわててまた毛皮の中へともぐりこむが、声が上ずった。
「奴隷じゃない! あんな──あんなことはしない──」
首の輪がずしりとくいこむように重い。違う、とさらに言いつのろうとして喉に言葉が詰まったイーツェンの口元に、シゼの指先がふれた。
「息をして」
強い口調でうながす。イーツェンが言われた通りに息を吸いこんで自分の心臓をなだめていると、シゼが低く、イーツェンを驚かせまいとするようにゆっくりと続けた。
「そういうつもりで言ったわけじゃない。だが、たとえば人のためにそうして無条件で仕えることと、奴隷とがどう違うのか、よくわからない」
「ん‥‥」
「話してほしい」
もう一度、2人で横たわって毛布の下に戻ると、イーツェンは冷えた腕をシゼの体にゆるく回した。シゼがその腕をなでながら、イーツェンの答えを待っている。
「カジャンは、人が自分に下す罰だ」
イーツェンは頭を整理しながら話し始める。当然だと思っていることをあらためて言葉にしようとするのは、思いの外に難しかった。
「法で裁けない時、裁くべきでないと判断された時、それでも罰が必要な時に選ぶ道だ」
「罰が必要というのは?」
「たとえば……うっかりと、人の大事な物を壊してしまったり、仮に不注意や無思慮から人を傷つけてしまうことがあるだろう。傷が残ったり、時には誰かの命が失われたり。賠償したとしても、自分がしてしまったことを元に戻すことはできない。そんな時、償わければならないと思えば、相手に対してカジャンを申し出ることができる」
陽が暮れて夜が深まるにつれて、寒さがしんと忍び入ってくる。イーツェンがつい身震いすると、シゼが手をのばして彼の首にもう一度しっかりと布を巻き付けた。首輪が一番最初に冷えてくるのだ。
「そうたやすく申し出られるものではないが‥‥相手に仕えることで、償いを果たし、お互いの心の穴を埋める、言うなれば儀式のようなものなんだ」
「どのくらいの期間?」
「それは、申し出られた相手が決めることだ。申し出られた方は、カジャンを拒むことはできない。どれほど許しがたいとしても、相手を不当に扱ったり、飢えさせたりしてはならない。偽の許しを与えてもならない。カジャンは‥‥カジャンは、聖なるものだ。人から尊厳を奪う奴隷とは、違う」
呟くように言ったイーツェンを、シゼの腕が抱きよせた。
「彼は何を償っているんです?」
「それはわからない。兄に聞いてもいいけど‥‥ちょっとふれにくい話だから。許しを与える方も、同じ罪に向き合っているわけだし。逆の側からではあるけど」
それにしても、ユクィルスの人間がカジャンとして兄に仕えているのは、イーツェンにとっても驚きの光景だった。カジャン自体、まれにしか見ないものだ。
「でも知りたいなら──」
言いかかった時、シゼの唇が口のはじをなぞって、イーツェンは声と息を同時にとめた。乾いた唇が、唇から頬にかけてなぞっていく、その肌がちりりと痺れて、うずく。
シゼ、と呼ぼうとしたが、ふいに声を出すのが怖くなっていた。シゼの手のひらが下着の上からイーツェンの背をなでおろす。頬をなぞる唇を追って、イーツェンは首を傾けた。
頬骨、鼻すじ、とゆっくりとシゼの唇が、何かをたしかめるように動いていく。その唇がとまり、イーツェンがいつのまにかとじていた目をあけると、シゼはひどく真剣なまなざしでイーツェンを見下ろしていた。
「‥‥シゼ?」
「何故、あなたが私を許したか、少しわかった気がする」
イーツェンはまたたいた。
「お前を許す?」
「私があの城でしていたことを」
「だって──」
それはシゼのせいではない。彼の罪ではない。前にもくり返した言葉を言おうとしてひらいた唇を、シゼの唇が覆った。唇の間でお互いの息がくぐもる。静かに、ゆっくりと舌がふれあって、ざらりと濡れた、熱い感触がつたわる。
唇を離して、シゼはやっと聞こえるほどの声で囁いた。
「一緒に来てよかった」
「‥‥本当に?」
「ああ」
そう言ってくれるのは心底うれしいが、何故今そう思ったとか、まだ城での自分の役割を気にしているのかとか、イーツェンには色々と気になることもある。間近にあるシゼの顔を見つめるとどれも言葉にならず、イーツェンはシゼに両腕を回してしがみついた。
「もっと先まで、一緒に行こう」
できるだけ自然に言おうとしたのに声が喉にかすれる。シゼの手が背中をなでた。
返事を待って息をつめた時、扉の向こうから声がかかった。
「イーツェン。‥‥起きてるか?」
ためらいがちな、それは兄の声だった。イーツェンがはあと溜息をつくと、シゼが無音で笑った響きが合わさった胸から伝わってきた。なだめるように背中をかるく叩かれる。
もそもそと起き上がり、とりあえず羽織るものに手をのばしながら、イーツェンは答えた。
「起きてるけど、何?」
一瞬置いてから扉が開き、暗がりにトゥルグスがぬっと顔を出した。
「明日の朝、一緒に少し出よう」
「どこに」
機嫌の悪い言い方になったイーツェンをなだめるように、毛布の下でシゼが太腿をぽんと叩いた。シゼも起き上がっている。
兄の表情は見えなかったが、戻ってきた沈黙は少し重く、イーツェンは溜息をついて、とりあえずはおったマントの前をかき合わせながら、背すじをのばした。
「かまいませんが、目的の場所が?」
「それは明日。‥‥イーツェン」
兄はひとつ、咳払いをした。彼が開けたまま押さえた扉から大量の冷たい空気がなだれこんでくる。
「手紙のことだが」
「ああ‥‥」
イーツェンは他人事のようにうなずいた。自分宛に書かれた父の手紙を、兄が取り除いて目にふれないようにしたことにはまだ多少憤慨していたが、すぎたことだ、という気持ちにもなっていた。兄に悪意がなかったのは知っている。よくわかっている。
──シゼに悪意がなかったように。
誰もがその時できることをしたのだと、イーツェンは痛切な気持ちを噛みしめた。皆、精一杯だった。他に道はあったのかもしれないが、それでも人は、どれかの道を選べば、その道を進むしかない。どれほど、その道がまちがっているように感じられても。
怒りはまだある。だがそれよりも、ただ、思えばやるせなかった。
「すまないと思っている」
トゥルグスが、ぽつりと呟いた。重い響きがあった。
兄はほかに、何を背負っているのだろう、とイーツェンはその声に思う。イーツェンはリグを離れたが、残ったトゥルグスたちはユクィルスの力に蹂躙されるリグを守ろうとして、また別の地獄を見たのかもしれない。いつかその話を聞こう、と心に決めた。遠く離れたところで、それでもお互いがリグのために闘っていたのだとわかれば、ユクィルスにいた時間の孤独を少しでも埋められる気がした。
「わかってます。まだちょっと怒ってるけど」
雰囲気をやわらげようとしてわざと冗談めかしたが、兄は溜息をついた。
「だろうな」
そのまま動かない。どうするべきか、イーツェンが迷っていると、シゼがごそごそと動いて、ふっと部屋が明るくなった。火種からランプに火を移したのだ。ほとんど同時に、イーツェンの膝にばさっと着替えがのせられた。
何をしろと言っているのかは、大体わかる。イーツェンは立ち尽している兄を手招きした。
「座りませんか」
「‥‥もう寝るつもりだったんだろ」
「兄上は眠れないんでしょ」
そうでなければ、もう夜も深まる頃に、あやまるために人の部屋に押しかけてくるとは考えにくい。兄の反応を待たず、イーツェンはシゼがよこしたシャツを頭からかぶった。布地の冷たさに一瞬ぶるっと身震いしていると、後ろからマントを着せかけられた。
まだためらっていたが、結局トゥルグスは扉をしめ、シゼが出した毛皮の円座に腰をおろした。シゼはいつのまにやらイーツェンより手早く服を着込んで室内用の靴まで履いていて、さっきからずっとそうやって立ち働いているような顔をしていた。イーツェンとトゥルグスの前に小さな杯と、林檎酒の壺を置くと、イーツェンの襟元と髪をついでのように直す。イーツェンは口の中で礼を言って、それから枕元の盆からシゼ用にもうひとつ杯を取った。兄が眠れないのならつきあうのはやぶさかではないが、シゼを部外者や召使いのように、この場のつまはじきにするつもりはない。自分の横の毛布を叩いて、シゼに座るよううながした。
「悪かったな‥‥」
トゥルグスはあぐらをかいて、気まずそうに頭の後ろをかきながらイーツェンとシゼの様子を見ていた。イーツェンは手振りで林檎酒の杯をすすめながら、なるべく軽い調子で問う。
「メイキリスは元気にしてますか?」
「うむ、近ごろは学校で子供に教えてる。楽しそうにしているよ」
妹の話になると兄の声もやわらかくなって、少し身をのり出した。続く雑談で、イーツェンはいくらかリグの近況を仕入れる。深刻なことは避け、兄は軽い話題に終始しているようだったが、途中から貿易の話になった。カル=ザラの街道を崩したため、東側の道から塩や小麦を仕入れなければならないのだが、これまでそれほど力を入れてこなかったのでなかなか苦心していると言う。
イーツェンは林檎酒をすすった。
「そうだ──忘れてました。ポルトリの、フェゼリス家という名門に嫁がれた人に手紙を出してきました。勝手にリグの名を使ってしまったのですが──」
「フェゼリス? 何でお前が?」
「その奥方と、船で一緒になったんです。あまり高望みはできませんが、ポルトリとのつながりにはなるかも──」
「船? 何の船だ? 何で船だ?」
「‥‥東廻りの海路で、ゼルニエレードまで来たので」
たしかに、船で来たと兄にじかに言ってはいないが、どう考えてもそれしかないだろう。イーツェンは少し目をほそめて答えた。どうやってここまで来たと思っているのだ。
トゥルグスは少し黙ってから、壺を取り上げてシゼの手にした杯に足した。イーツェンではなく、シゼを見て問いかける。
「一緒の船で?」
イーツェンは頭を抱えたくなったが、シゼは真面目な顔でうなずいた。
「兄上、今の時季にそうそう船は出てませんよ。渡し船じゃないんだし‥‥」
「一緒の船室で?」
「トゥルグス──」
口をはさもうとするイーツェンをよそに、シゼが首を振る。何故か自分の方こそ会話からつまはじきにされている気がして、イーツェンは苛々と言った。
「大体、船室なんて割り当ててもらってないし」
「どういうことだ」
瞬間、問い返した兄の声は鋭かった。イーツェンは舌先を噛む。それから自分の首を指した。
「奴隷が船室をもらえるわけはないし‥‥調理場の手伝いとして乗ったんです」
「調理場の手伝い? 貴族の奥方と知り合いになったと言ってなかったか? 調理場でか?」
「いや、それは‥‥彼女の部屋付きになったので‥‥」
「お前が女性の貴族の部屋付きに?」
「長い話なんですよ」
次々と問いつめられて、救いを求めるようにシゼを見ると、シゼは杯に口元を隠して、さだかではないが、笑っているように見えた。
「とにかく、ポルトリの方には知人がいるので、もしかしたら助けになるかもしれません。彼女も嫁いだばかりなのではっきりとは言えませんが」
その手紙でも、イーツェンは自分が奴隷ではなくリグの王族だと名乗ったわけではない。ただリグの名で、リグの者が世話になったという礼状をしたため、婚礼の祝い品とともに贈っただけだ。マリーシがそれをどう受け取ったかもわからない。だがゼルニエレードに残っているハンサイは、少しでもポルトリとのつながりができたことにほっとしている様子で、春になったらじきじきにたずねて顔をつなぐとまで言っていた。そのくらい、リグにとって今や東の貿易路は大切な物になるということだ。
兄は何か考えこみ、イーツェンは次の問いを待ち受けていたが、彼の視線はシゼに向けられた。
「シゼ、生まれは?」
「今はもうない」
「育ちは」
「ユクィルスで。始めは奴隷として、途中からは兵として」
短く淡々と、シゼは答える。イーツェンはトゥルグスに険しい目を向けた。
「トゥルグス──」
「ユクィルスの兵が、何故イーツェンを救った?」
「トゥルグス!」
だが、兄の耳にはイーツェンの非難の声など届かない様子で、答えを要求するようにシゼをにらんでいる。シゼは特に気を悪くした様子でもなく、落ちついてその視線を受けとめていたが、すぐには答えなかった。一口、酒を飲み、ゆっくりと手を膝の上におろす。
おだやかに口をひらいた。
「俺もイーツェンに救われた」
トゥルグスは、言葉の重みをはかるように眉をよせる。
沈黙が尾を引き、やがてシゼがぽつりと続けた。
「理由などない。ただ、ほかの道など考えられなかった」
じっとシゼの顔を見ていたが、やがてトゥルグスはうなずいて、深々と、それこそ床に額が付きかねないほど深く頭を下げた。
「心から、礼を言う。申し訳ない。本当なら我々がイーツェンを守らねばならなかった」
「まったくだ」
シゼはあっさりと、そう返す。イーツェンはまばたきして彼と兄との姿に視線をとばした。シゼの声は相変わらず落ち着いていたが、そこには明らかにするどい刃があった。
手をのばして、シゼの膝頭をつかむ。
トゥルグスは身を起こし、シゼの目をまっすぐに見てうなずき、もう一度頭を垂れた。
「許されるものではないと思っている」
「それは俺の判断するところではない」
シゼが、イーツェンの手の上に自分の手を一瞬だけ重ねた。強くつかんでから離れていく。イーツェンは何か言おうと思って唇をひらいたが、兄にもシゼにも何を言っていいのかわからなかった。
今や2人は顔をまっすぐに合わせて、互いに相手を推し量るような目で見ている。刺々しい目ではなかったが、その視線にはイーツェンが落ち着かなくなるような力がこもっていた。
イーツェンは咳払いをした。
2人がイーツェンを見る。
「ええと‥‥ユクィルスにいる時に、アンセラの子に会いましたよ。王族の1人で、セクイドという奴で」
「アンセラの王族が? つかまっていたのか?」
「いや、こう──まあ、自由の身です。最後に見た時にはアンセラ奪回用の兵を集めようとしていたみたいです」
トゥルグスはきつく眉をよせた。話をそらしてみたはいいが、どうつないだらいいかわからず、イーツェンはぼそぼそと続けた。
「元気でしたよ。ちょっとやんちゃな感じで」
城内で、木刀の訓練でぼこぼこに叩きのめされたことは置いておく。
「ふむ‥‥アンセラの者の話なら、ハルセが聞きたがるだろうな」
「ハルセ殿はリグに移られて、そのまま?」
イーツェンは記憶を引っ繰り返しながらたずねた。ハルセはアンセラの王族だが、リグの王族の遠戚でもある。ユクィルスのアンセラ侵攻時に怪我を負った彼を、リグが申し入れて保護した──と、イーツェンはユクィルスにいた時、センドリスに聞かされたのだった。
ハルセに会ったことはないが、ユクィルスでその消息を聞いた時には何だか嬉しくなった。何より、ハルセは実のところイーツェンの母の遠戚であって、彼をリグに結んでいるのが自分の母だということも、何となく一方的な親しみを感じている理由だった。
「ああ──よく知ってるな」
「ユクィルスで名を聞いたので。怪我をされたと聞きましたが、お体の方は?」
「もう支障ない」
そこから何となく、話は当たりさわりなく、イーツェンたちが道中で見た風物とか、リグでの秋の収穫祭の話とかに流れていく。しまいにイーツェンの瞼は段々と重くなり、シゼによりかかって少しのつもりで目をとじたが、そのまま目を開けることができなかった。眠りに落ちていくぼんやりとした意識の外側で、シゼの腕が自分の体を支えるのを感じていた。