ゆるい動きで突き上げられると半開きの唇からあえぎがこぼれた。
熱をおび、敏感になった体の奥を他人の温度と圧倒的な肉感が満たす。わずかな動きにも体の真芯が快感に痺れた。思考はとうに白くただれ、肉体の内側にみなぎった熱に、完全に支配されていた。
どれほど拒んでも、己の意志を示そうとしても、屈服はある瞬間いきなり訪れる。オゼルクはあまりにイーツェンの体をよく知っていた──イーツェン自身よりも、はるかに深く。体の奥にひそむ欲望は、まるでオゼルクに尾を振る犬のように、彼の愛撫に従順に応えようとした。
オゼルクの指が大きくひらいた脚の内側をなぞり、太腿に指をくいこませて肉をつかんだ。強い痛みにイーツェンは首をそらしたが、口からこぼれたのはかすれた快楽のあえぎだった。
「あぅっ──、あっ!」
汗に濡れた脚を右手で思いきりつかみ、指の間で肌を絞り上げるようにしながら、オゼルクが唇のはじに笑みを浮かべた。
寝室の窓は開いていた。大きな寝台の脇机に置かれた油燭よりも、窓の外から入り込んでくる月光の方が明るい。声を殺そうとしながら身をよじるイーツェンの裸の脇腹を、オゼルクが平手で叩いた。
「動け、イーツェン」
仰向けになったオゼルクの腰をまたぐ体勢で足をひらき、イーツェンは己の奥にオゼルクの屹立を呑み込んでいる。オゼルクの上半身は裸だったが、下はズボンの前を大きくくつろげただけだ。彼の上にのったイーツェンは汗まみれの裸身を月光にさらし、寝台に両腕をついてなすすべなく呻いた。
体が灼けるようだった。オゼルクの脈動を身の内に感じる。男の体温がじかに体の奥を満たし、そこからひろがる重苦しい熱が体の芯を溶かす。
もう二度、放出を強いられたイーツェンの牡はふたたび固く勃起し、充血して、彼の欲望と快感をあからさまに示していた。解放がほしいのか、それともこの快感がつづいていてほしいのか、わからないままイーツェンは尻を浮かせ、ゆっくりと上下させた。
「んっ‥‥あ、く──」
目に涙がにじむ。抜けていく屹立の張った部分が粘膜を擦りあげ、イーツェンは甘い声をあげて腰をよじった。ぎりぎりまで抜くと、体の奥に生じた虚脱感に肌が粟立った。腰を下げ、そこをふたたび満たしていく。同じようにすみずみまで擦りあげられるように腰をゆすり、感じる場所を探して全身をくねらせた。
オゼルクが応じてわずかに腰をゆする。その動きのどこかがイーツェンの性感を擦り、彼の意識を一瞬白く灼いた。悲鳴のようなかすれた声が喉からほとばしる。
荒い息をついて動きをとめたイーツェンの太腿を、オゼルクの手のひらが叩いた。
「もっとだ」
「‥‥‥」
イーツェンは、腰を浮かせた体を両腕でささえ、シーツを指の間につかんで、呻いた。動けない。快感に灼かれた体はもっと激しいものを欲しがっているが、頭はもう何をどうしていいのかわからなかった。
溺れてしまえば楽なのかもしれない。このまま、どこまでも。どれほどこの快楽を忌まわしいと思っていても、どうせ逆らえないのなら欲望の前にすべてを投げ出したほうがましかもしれないと、イーツェンの中で小さな声が囁く。どうせ。どうせ逆らえない──
「お前はまた、そんな目をする」
オゼルクが低い声で囁いた。細身だがよく締まった上半身にも汗が浮き、胸が呼吸に上下するたび夏の月に肌が光った。
「私を憎んでいると、全身全霊で告げる目だ」
くくっと笑って彼は手をのばし、イーツェンの牡に長い指をからめて怠惰になぞった。精液に濡れた茎を指がすべり、擦り上げてもてあそび、イーツェンは細い悲鳴をこぼした。
「んあぁっ‥‥」
先端を強く握られて痛みに体がこわばる。同時に腰がおち、奥まで貫かれて首がのけぞった。裡襞がオゼルクのものを熱く締め上げる。入念に押し拡げられたそこは、男を受け入れて乱されることに強い背徳の快感をおぼえるようになっていた。オゼルクの長い牡に貫かれ、信じられないほど深くまでが感覚される。そんなところまでもが自分の体なのだと。
まともな意識を手ばなしてしまいそうになる。
「動け」
牡をやさしくなぞりあげられ、イーツェンはじりじりとした快感に呻いた。
「や‥‥いや、オゼル‥‥ク‥‥」
「今さら恥じたところでお前の体がきれいになるとでも?」
オゼルクの息もかすかに荒い。彼がイーツェンにはっきりとした肉欲を見せるのは、ぎりぎりまで行為を深めた、ほとんどこの瞬間だけだった。
言われた内容すらろくに頭にとどかないまま、イーツェンは頭を振った。
「‥‥いやだ‥‥や‥‥、あぅあっ!」
オゼルクがイーツェンの右腕をつかんでいきなり引き、イーツェンの体は彼の上へ倒れこんでいた。腰の後ろをもう片手でがっちりとかかえられていたので、奥は貫かれたまま、体の内側をえぐる角度が変わって、イーツェンは細くあえいだ。自分の牡がオゼルクの腹部に押しつけられ、互いの荒い呼吸の間で肌にこすれて、たえまない快感を生み出しはじめる。
どうしようもなく身をよじったが、その動きで奥をかき乱され、イーツェンは肌をふるわせてオゼルクにしがみついた。どうにかしてほしい。犯すのなら犯してほしかった。抗う余地など与えずに。彼の限界などためさずに。
「お前は怠け者だ、イーツェン」
オゼルクの指が背中の中心を下から上へすべる。濡れているのが自分の肌なのかオゼルクの指なのか、イーツェンには何が何だかわからない。彼はただ身をよじり、腰をはっきりとオゼルクへ擦りつけながらあえいだ。
「や‥‥も、おねが‥‥い‥‥」
「ほら。動け」
背中をやさしく叩かれる。イーツェンはすすり泣くような声を洩らしてオゼルクの肩口に顔をうずめた。男の汗の匂いと、肌を洗った石鹸の涼しい香りが入りまじってたちのぼり、呼吸とともにイーツェンの中へ染みていく。強く生々しい、それはオゼルクの匂いだった。
両足を大きくひろげて膝を曲げたまま、イーツェンは腰をゆすった。オゼルクにしがみつき、腰をくねらせて、内をかき乱される快感に口をあけ、あえいだ。動くたびに自分の牡がオゼルクの肌にこすれ、イーツェンの視界をくらませる。
達してもいい状態だったが、絶頂はこない。すでに二度、気を放ったためもあったが、何よりもイーツェンの体は後ろでの快感を求めていた。腰をゆすり、いつのまにか体全体をオゼルクへ擦り付けて、とがった乳首が強くよじれるたびに呻きを上げながら、イーツェンは淫らな動きをつづけた。だがその動きでは絶頂に近い体をじりじりとあぶるだけで、あの強烈な快感を得ることができない。
求める声をこぼして動きをくりかえし、単調でじれったい快感の中に意識が沈んでいく。
首すじから背骨をなぞり、腰まですべるオゼルクの指はひどくやさしかった。まるでいたわるような指が肌を這い、汗ばんで息づくイーツェンの体をゆるやかに刺激する。そのかすかな動きまでもが腰の奥に直につたわるようで、イーツェンは快美な感覚に引きずりこまれる。体も、心も。
「オゼ‥‥ルク‥‥、オゼルク‥‥っ!」
解放を与えてくれる唯一人の男にねだる声は、どうしようもなく甘くかすれていた。
オゼルクの手がイーツェンの二の腕をつかんで押しやり、イーツェンに上体を起こすようつたえる。
示されるままに、イーツェンは腕をつっぱった。半ばもがくような動きだった。今にも倒れこみそうな体を両の腕で支えると、彼は言われるより前に尻を上げた。後ろから抜かれていく感覚がぞくりと体の奥をふるわせる。
オゼルクの屹立に貫きあげられ、満たされながら、ゆっくりと尻をおろした。半ばそりかえったイーツェンの首すじにきつい線がはりつめ、目をとじて唇をひらき、その体はさらに深い快楽を追って動きはじめた。
性感を自らさぐりあて、オゼルクの牡の先端がそこをえぐるように腰をくねらせ、泣くような呻きを洩らした。
「ああぁ‥‥や、あ、もっと──」
求める声にこたえてオゼルクが突き上げる。法悦の声をあげ、イーツェンの動きががむしゃらなものに変わった。上気して汗がしたたる肌を窓からさしこむ月光にさらし、呻きをあげて首を振り、尻を上下させて奥を擦り上げる男の固い屹立を求める。満たされ、かき乱され、突き上げられてただ翻弄される。足をさらにひらいてオゼルクの腰に尻をこすりつけ、奥深く、体中を塞がれるような充溢感を求めては、また自ら腰を浮かせた。
「ひぅっ、あああっ、あ、うぁっ!」
かすれた声が悲鳴になり、甘い呻きに首をのけぞらせてイーツェンは絶頂の中に己を投げ出す。心も体もバラバラに砕けていく快感──この瞬間、この一瞬だけ、彼は何からも解き放たれて自由だった。城からも、オゼルクからも、ほかの誰からも、自分自身からさえも。
刹那の、だが強烈な解放。それをむさぼりながら、純粋な喜悦の声をあげる。
「あああぁっ!」
力の抜けた体がオゼルクの上につっぷした。奥をオゼルクが激しく突き上げる動きすら、まるで遠いものに感じるほど、全身がにぶく脱力していた。力という力が流れ出して、指一本動かせる気がしない。
首すじにぐいと力がかかり、息がつまった。オゼルクの手がイーツェンの細い首に回っていた。気道の上を抑えられ、イーツェンの体が反射的な恐怖にこわばった。ルディスに与えられた苦痛がよみがえる。息ができない。息が吐けない。息が──
全身が恐怖に収縮し、オゼルクのものをきつく締め上げていた。そこを容赦のない動きで突き上げられ、イーツェンの唇から切れ切れの悲鳴がこぼれる。かすれたそれはほとんど音になっていなかった。ただこの瞬間の終わりを求めて腰を振り、オゼルクの動きに応える。
体の奥に男の熱がほとばしる。精液が深く注ぎこまれる感覚に、イーツェンは半ば意識を手ばなした。オゼルクに脱力した全身をあずける。
身の内にぬるりとした熱が溜まっているのがわかった。
小さな咳をこぼし、イーツェンはオゼルクの肩に力のない首を伏せて、すすり泣いていた。
どのくらい時間がたったかわからない。
オゼルクの指がイーツェンの髪を梳き、ととのえ、時おり背をなでたが、それはやさしく、まるで恋人にふれるような手だった。ほとんど、イーツェンをいたわるような。
散り散りになっていた意識をどうにかかきあつめ、イーツェンはゆっくりと体を起こした。もうオゼルクのものは抜かれているが、脚の間にまだ彼の存在を感じた。身の内に押し拡げられた分だけ、空虚がある。今はただ、体の奥がどうにもうつろだった。
それ以上動けずに、オゼルクの横へ崩れた。体に力が入らない。ふるえる指で喉にふれたが、そこに痛みはなかった。ルディスのように喉をしめられたわけでない。ただ首に、その意志を示す形で手を置かれただけだ。だがイーツェンの体はそれに激しく反応した。
オゼルクが半身をイーツェンへ向け、右肘をたてて頬杖をついた。欲望を果たしたためだろうか、青い目には生き生きとした光があって、それは美しいとイーツェンはにぶい頭で思う。いつものオゼルクの、とりすました顔ではない。もっと──彼自身がさらけだされた顔だった。
イーツェンは伏したまま動けず、顔だけをオゼルクに向けてかすれ声で呟く。
「なんで私を抱くんです。ルディスがいないのに」
オゼルクがくすっと笑った。
「ルディスと何の関わりがある」
「‥‥あなたは私に興味がない、オゼルク。私を抱くのは、戯れ事だ。ルディスに‥‥自分が上だと示すための」
疲れきっていて言葉をえらぶ余裕もなく、イーツェンは吐き捨てた。もしオゼルクに求められる理由が好意からであったなら、ここまでひどい気分にはならなかっただろうにと、自分のどこかに惜しむ気持ちがあるのが可笑しかった。何を求めている? 心のつながりか?
オゼルクとルディスは互いに駆け引きの遊戯をしている。その中心にあるのは、今はイーツェンだった。ルディスはオゼルクとの絆を保つためにイーツェンを抱き、オゼルクは従兄弟を見下したいかのようにイーツェンを支配する。
言われて怒るのではないかと思ったが、オゼルクは唇のはじを歪めただけだった。乱れた金の髪を左手でかきあげる。
「私はな、イーツェン。お前のそういうところが好きだ」
「‥‥‥」
「たやすく折れようとしない。己を偽ることも下手だ。憎しみを平気で見せる」
声に吐き捨てるような嫌悪が染みていたが、それは自分に向けられたものではないとイーツェンは悟っていた。誰に向けられたものかはわからなかったが。
オゼルクの口元の笑みは消えていなかった。
「ルディスがどこに行ったか知っているか?」
「‥‥シュダルトでしょう」
「そう。ジノン叔父がそれを命じた。シュダルトの織物組合の新しい長が隣国の王家すじでな、誰か王族が顔を合わせる必要もあったのでな」
軽く左肩だけをすくめた。
「私が、ジノンにすすめたのだ。ルディスをお前から引き離したほうがいいとな」
ぎょっとして、イーツェンは上体をおこした。頭の芯がすっと冷える。
「何でそんなことを──」
「お前が死ぬと思ったからだ」
何を、オゼルクが言っているのかわからなかった。のろのろと座りこみ、汗と精液にまみれた体をとりつくろいもせず、イーツェンは月光の影になっているオゼルクの顔を見つめた。
オゼルクが怠惰な口調でつづける。
「ルディスは、お前を商人の宴席につれていくつもりだったのだよ。愚かだな。仮にもお前は王族だし、あれの持ち物ではない」
「‥‥あなたがそんなことを気にするのは、おかしい」
ルディスがそんな心づもりを口にしたのをイーツェンも確かに覚えている。だがオゼルクが、ほかの相手にイーツェンが抱かれることを問題にしているとは思えなかった。事実、誰だかわからない相手との行為を強いられたこともある。今さら何がこの男の問題なのかと、イーツェンはとまどい顔でオゼルクを見つめた。
オゼルクは脇机に手をのばすと、リンネルの布を取った。自分の腹についたイーツェンの精液を拭ってから、布をイーツェンへ投げる。目を伏せて体を拭いはじめるイーツェンを眺めていたが、
「そんなことになってもよかったと言うことか?」
「まさか!」
「そうだろう。お前は、誇りは捨てていない。ああした連中のオモチャにされれば、きっと死ぬと思った」
まるで、それがオゼルクにとって何らかの問題であるかというように。まるで、イーツェンのことを思いやっているかのように。
オゼルクの言葉がひどくばかばかしくなって、イーツェンは下肢を拭う手をとめ、かすれた笑い声をこぼした。
「何て、やさしい。あなたが私に何をしたかほとんど忘れそうだ、オゼルク」
「いい気になるな。単に、お前も城の外にまで淫売の顔をさらしたくはあるまいということだ。自分がそういうことに耐えられると思うか?」
微笑すら浮かべて、オゼルクはそう言った。凍りつくイーツェンに睫毛をあげてみせる。
「城の中のことなら、そう、何とかするだろうな。お前は利口だ。自分が何のためにこの城にいるのかわかっている。そのための犠牲なら、お前は耐える。だが、城の外につれまわす? ルディスは阿呆だ」
「‥‥‥」
「お前が死ぬか、それともルディスを傷つけるか──どちらも、困る。お前がこの城に理由があって居るように、城にはお前をとどめておく理由がある。そのくらいの頭は私にもあるのだよ」
最後の言葉に辛辣な皮肉を含めて言うと、オゼルクは体をおこして立ち上がった。寝台から降り、水盤で手を洗うと濡らした布で顔と首すじをぬぐった。
「ジノンは優しいだろう」
「‥‥‥」
「情をうつしたか?」
椅子の背にかけてある薄地のシャツを取ってまとい、乱れた髪をかきあげて襟から出すと、オゼルクはイーツェンへ向けた目をほそめた。イーツェンはきっと顔をあげる。
「あの人はあなたとはちがう」
「さてな。私のことをジノンに訴えれば、私を遠ざけることもできるかもしれんぞ、イーツェン。叔父はお前が私の恋人かもしれないと疑っているようだがな」
「馬鹿な──」
「ジノンを味方につければおもしろいかもしれん。少しは自分の体を使ってみろ、イーツェン」
手にした硝子の水差しの蓋を取り、じかに口をつけて水を飲んだ。オゼルクの動きをじっと凝視していたが、イーツェンは怒りの色を頬にのぼらせた。
「体を使う?」
オゼルクがちらっと笑った。
「ジノンと寝てみろ。あれは優しい男だから、きっとお前に目をかけてくれる。たとえつながりが体だけだろうとな」
「私は──」
怒りのあまりに一瞬言葉を失い、イーツェンは裸の背中をぴんとのばして正面からオゼルクをにらみつけた。
「代価のために体を売ったりはしない!」
しないと誓った。
(わざわざ私を味方に引き入れようとしなくてもいい──)
シゼがそう言ってイーツェンを拒んだ、あの時に。
与えられるものを受け入れるのはもう仕方のないことだ。だが、打算のために自ら体を投げ出すような真似をするつもりは、イーツェンにはなかった。
「ほぉ」
オゼルクは唇のはじをもちあげ、椅子の座面に置いてあるイーツェンのローブと下着をまとめて寝台へ投げた。さっさと出ていけという合図。
「素晴しい。代価なしであんなふうに身をひらくか。お前は男に抱かれるのが余程好きと見える、可愛いイーツェン」
「‥‥‥」
怒りよりも絶望が体に満ちてくる。暗い目でオゼルクを見つめていたが、イーツェンは唇を噛み、下を向いて服に手をのばした。まだ男の匂いと愛撫の痕が残る肌へ服をまとっていく、その手は小さくふるえていた。
塔の架橋の門兵はシゼの顔を見てうなずくと、扉をひらいた。塔へ渡る橋を歩きながら、イーツェンは背後に門の鍵がおろされる音を聞いていた。
もう夜の二番鐘が鳴っている。終課までは少しあるが、この時間になると塔の鍵はおろされて、事前に用をつたえていなければ塔の外に出ることはできなかった。
檻だ、と、イーツェンは思う。ほかの何物でもない。ここは彼の檻だった。
重い体をひきずり、脚鎖がからまないよう注意をしながら階段をのぼる。行為の前に外された脚の革枷は、オゼルクの部屋を去る前につけ直されていた。
部屋に戻るとシゼが先に中の安全を確認してから、イーツェンを室内へ入れた。
シゼが、まず脚鎖を外そうとイーツェンに仕種を見せたが、イーツェンは彼を無視して部屋を横切り、寝室への扉をひらいて中へ入った。石で仕切られた部屋のはじの湯浴み場へとまっすぐ歩みをはこぶ彼を、背後からシゼの声が呼ぶ。
「イーツェン──」
呼び声を聞かずに湯浴み場に立つ。イーツェンは手桶で大きな水桶から水をすくい、頭の上から一気にかぶった。夏の室温にぬるんだ水は髪から首をつたって肩にはね、湯浴み場の外の床にまでとびちる。ローブがたちまち水を含んで肩に重くかかった。もう一度水をかぶり、イーツェンは荒い息をついてふたたび水をすくった。
シゼがすばやく距離をつめ、イーツェンの手から桶を奪った。やみくもに手をのばそうとするイーツェンの手首を左手でつかみ、琥珀の目でイーツェンをまっすぐにのぞきこむ。
「イーツェン」
「‥‥離せ」
シゼの手を無理矢理ふりはらって、勢いでよろめいた体を、イーツェンは石壁にもたせかけた。シゼは手桶を床へ置き、困惑したようにかすかに顔をしかめてイーツェンを見ていた。
髪からおちる滴がイーツェンの顔をすじになってしたたっていく。それは涙のようだったが、彼は泣いていなかった。最近泣きすぎている、と思う。そんなふうに弱くあるつもりはなかった。耐えなければならない。何があっても。
歯を噛んで、彼はシゼの視線を受けとめ、ほとんど睨むようなまなざしを返した。
シゼは何も言わず、口を結んだままじっとイーツェンを見ていた。いつもと同じ目だ──いつもと同じ、義務感に支えられたまっすぐな目。彼は静かな顔をしていた。
腰から鍵を外し、湯浴み場との仕切り壇をひょいとまたいでイーツェンへ近づく。
「外しましょう」
「‥‥‥」
イーツェンは動かなかった。
床は水で濡れている。イーツェンの前に片膝をつき、シゼは湿ったローブの前をひらいた。左手でローブをあげ、右手の鍵を革枷にさしこんで片方ずつ鍵を外していく。体の奥にひびく解放の音に息をつめ、イーツェンはじっとシゼの頭を見下ろしていたが、シゼの手がゆっくりと枷の革帯をはずしはじめると、低い声でつぶやいた。
「私を情けない人間だと思うか」
一瞬手をとめたが、シゼは顔をあげない。肌にふれないよう注意深い仕種で右側の枷帯の留め金を外し、細い鎖をつかんで革帯を外した。それを左の枷から吊るす形で下におろし、もう片方の留め金へ手をかける。
「私は‥‥自分で自分が、情けない。恥知らずで、愚かで、無力で、人のなすがまま‥‥」
両方の枷が外れ、シゼがそれを手にして立ち上がった。腰の留め金に鎖をかけて吊るし、彼は半歩引いてイーツェンの顔を見つめる。イーツェンは喉の奥で苦い笑い声をたてた。
「‥‥いっそルディスに絞め殺されていればよかった。そんなことも、考えている。ここにいなければ、いけないのに‥‥この城に、いなければ──」
シゼの手がイーツェンの肩にかかり、ゆっくりと、だが有無を言わせぬ力で引き寄せた。イーツェンの息が喉でとまる。拒もうにも体に力が入らなかった。
濡れた体を抱くシゼの抱擁は力強かった。両腕をイーツェンに回してすっぽりと抱き込み、服がきしむほどの強さで抱きしめる。身じろぐほどの余裕も与えない、それは息がつまるような、だが優しい抱擁だった。
イーツェンはただ、シゼの体にもたれて、視線の先の壁を見つめていた。シゼの手のひらが肩甲骨の間を一定のリズムで、やさしく叩く。
つたわってくるシゼの温度に、呑まれてしまいそうだった。このまますがってしまいそうになる。イーツェンはふいに歯を噛んで、きつく目をとじた。
歯の間から細い息を長く吐きだし、イーツェンは低い声でつぶやいた。
「‥‥シゼ」
「はい」
「そうやって優しくすれば、私がおとなしくなると思っているか? お前の言うことをきくようになると──」
シゼは何も言わなかったが、手が一瞬とまった。イーツェンはもがきはじめるが、シゼの両腕が背に回ったまま、抱きしめて、彼を離そうとしない。シゼの腕をつかんで身をよじり、押し離そうとしたが、イーツェンの動きをシゼは易々と封じ込めた。
──何もできない──
いきなりの恐慌と怒りがイーツェンの体の中で激しく火花を散らす。半狂乱になって暴れ出したイーツェンの体は、ふいに自由になっていた。シゼが、むしろイーツェンを傷つけるのを恐れて手を離したのだ。
身をふりほどき、イーツェンは目の前のシゼの顔を思いきり平手で打った。激しい音とともに右手が芯までびりりと痺れる。
イーツェンはほとんど茫然と、右手を振り抜いた形のまま、そこに立ち尽くした。シゼは打たれた衝撃で顔をそむけたが、すぐにイーツェンを正面から見つめた。
身をかがめ、水の入ったままの手桶をつかんだ。それを持ち上げ、イーツェンの頭の上で逆さにする。ほとばしった水が髪から顔へとしぶきを上げて流れ落ち、イーツェンははげしくまばたきした。
水の滴る顔をシゼへ向け、彼は我を取り戻した声でつぶやく。
「シゼ‥‥」
「体を洗いましょう」
低い声で言って、シゼは手桶を置くとイーツェンの腰帯に手をかけた。手際よく布の結び目をほどき、くるくると巻いて寝室の床へ投げた。
シゼの手が一つずつ服をあばいていく。どうしたらいいのか、イーツェンは途方にくれてシゼを見つめたが、シゼはひどく集中した表情で、まるで有無を言わせない雰囲気をまとっていた。手は停滞なくローブをはぎ、下帯をといて、裸のイーツェンを壁にもたれさせると、革のサンダルのひもをほどいて片足ずつ脱がせた。
濡れた体にはオゼルクの残した蹂躙の痕がはっきりと刻まれている。イーツェンは、布を取って石鹸の泡をたてるシゼの手の動きをじっと目で追った。
「動かないで」
そう言うとシゼは泡をつけた布でイーツェンの肌にふれ、ほとんど無造作に洗いはじめた。布がイーツェンの胸を拭い、腹を拭い、ためらいもなく脚の間を拭うと、少し丁寧な手つきで太腿の内側を洗った。
シゼの顔にも水の滴がとび、服はイーツェンとの抱擁で濡れている。イーツェンはぼんやりとシゼの頭を見下ろしていたが、彼が膝をついてイーツェンの足を洗っているのを見ると、ふいにくすっと笑った。
驚いた様子で、シゼが顔をあげる。イーツェンは首を振った。
「いや。‥‥お前は、馬や犬もこうやって洗うのだろうなと思って。物を洗うみたいな手つきだ」
シゼが微笑を返し、立ち上がるとイーツェンの肩を叩いた。
「後ろを向いて」
おとなしく従って、イーツェンは壁に手をつき、裸の背をシゼに向けた。肌をつたう水も、布と石鹸の感触も心地よく、体が確かにきれいになっていくような気がした。シゼの手つきは確かで、迷いがなく、自分が裸身をさらしていることをイーツェンにほとんど意識させなかった。
首すじから背中へと布がイーツェンの肌にふれ、汗と、オゼルクの匂いを洗い流していく。腰から尻を同じ無造作な手つきで洗い、彼は手をとめた。
「ほかに、どこか?」
イーツェンが首をふると、その場にしゃがませ、水をかけて石鹸を洗い流した。手際がきれいで、使う水の量も少ない。効率よく全身をすみずみまで洗いおとすと、イーツェンを立たせ、棚から取ってきた大きな布で濡れた体を拭った。
イーツェンは何か言おうとしたが、いきなりの強い疲労が全身を浸した。気を張っていたのがゆるんだためか、ほとんどその場に立っているのがやっとだ。ぼんやりとシゼの顔を見ると、シゼがうなずき、布でイーツェンの髪の滴を払った。
腕を引かれて寝台までつれていかれた時には、半ばまぶたが下がった状態だった。シゼは手早く寝台をととのえてイーツェンを寝かせ、裸の体を薄い毛布でつつんだ。
「眠って」
身をかがめてイーツェンの耳元へ低い声で囁き、シゼは離れた。イーツェンはまだ何か言おうとしていたが、毛布の上からやさしい手で胸元をかるく叩かれ、言葉はそのままにぶい意識の向こうへとすべりおちた。