昼の三番鐘が重々しい音を引きながら消えていく。イーツェンはオゼルクの客間に入ると、南向きにひろびろととられた窓と浮き彫りの施された天井画にちらっと目をやってから、奥へつづく扉を叩いた。
「お入り」
 扉の向こうからおだやかな声がする。イーツェンが肩ごしに振り向くと、シゼは廊下につながる扉のそばに立って表情のない目でイーツェンを見つめていた。
 シゼ、と唇で音もなく名を呼ぶ。何の反応もなかった。イーツェンは息を吸って扉へ向き直り、引きあけて中へ入った。
「昼食会はどうだった?」
 オゼルクは私室の奥の机で書類を見ながら、顔も上げずにそう言った。執務室は別棟にあるのだが、彼はたまに仕事をここでしている。この部屋も客間に劣らず広いが、オゼルクの趣味なのか装飾は少ない。当人もさして身を飾ることなく、黒ずくめを好んでまとっていた。壁際に据えられた腰高の棚の扉に精密な植物の絵が描かれたタイルがはめこまれているのが、唯一の華麗な色合いだった。
「おいしいものを頂きましたよ」
 そうイーツェンが答えると、オゼルクがちらっと見てクスと笑った。
「お前は相変わらず可愛いな」
 答えようがなく、イーツェンは何か口の中で自分でもよくわからないことをつぶやいて窓の外を見た。この部屋からは内庭が見下ろせる。丁寧に手の入った庭園をかこむ木々は春先の陽に淡い緑に光り、風がとおりすぎるとまるで海の波が散るように光が砕けた。
 その間をゆっくりと動いている人の頭が見えた。庭園の一部を改装するためにそこを掘り返しているらしい。緑の中、巨大な鉤爪で無残にむしられたような茶色の土肌を見下ろしていると、ふいに横にオゼルクの気配が立ち、体に腕を回して引き寄せられていた。
「会いたかったよ、イーツェン」
 熱い息が耳元から顎の下へ這い、舌で肌をなめ上げられて体がびくりと震えた。嫌悪なのか快感なのか、イーツェンには自分の体の奥で波を打ったものが何なのかわからない。その二つはもう彼にとってほとんど区別がつかないものになっていた。
 体の奥で何かがよじれ、熱を帯びはじめる。頭のどこかがしんと冷たく痺れてまともにものを考えられなくなってきているのがわかった。声を出そうとしたが、顎をぐいとつかまれて唇を重ねられた。
 オゼルクの舌ははっきりとした意志をもってイーツェンの唇を押しひらき、口腔に入ってゆっくりとなぶりはじめる。はじめは舌先をふれあわせて遊ぶように磨り動かし、次第に強く舌をこねるようにもてあそぶ。熱を持った舌で口蓋をなめまわされ、歯茎の裏を執拗に擦り上げられて、イーツェンの膝から力が抜けた。
「ん‥‥ふぅ‥‥」
 オゼルクの指が首の後ろをなぞってイーツェンの黒髪の中へすべりこむ。体ごと強く抱かれ、崩れるようにオゼルクに抱きついていた。でなければ床に崩れる。膝を鎖でつながれていてはどちらかしか道はなかった。
 唇が離れる。唾液が口元をつたうのを感じながらイーツェンは荒い息をつき、何も考えまいとした。どうせすぐに何も考えられなくなる。
「お前は、私に会いたくないという顔をしている」
 耳元で囁かれたイーツェンが目を見開くと、オゼルクがひっそりと喉の奥で笑った。
「かまわないよ、イーツェン。お前は私が嫌いだ。お前は、この城の全員が嫌いだ。そして、そうやって人を嫌う自分を嫌っている」
「‥‥‥」
 腰を抱くようにかかえられ、寝椅子ほどの大きさもあるソファへつれていかれると、たっぷりと襞をとった上掛けの上にイーツェンは抗わず体を倒した。頬をオゼルクの指がなぞる。指が口元に近づくと、唇を開いてその指をなめた。
 口の中へ二本の指が入りこみ、怠惰に動いた。舌をからめてなめながら、イーツェンはローブをまさぐりはじめたオゼルクの左手の感触に小さくあえいだ。布地のうごめきが肌を刺激する。オゼルクが微笑した。欲望というよりも、何かおもしろいものを愛でるような落ち着いた目が、いつでもイーツェンを怯えさせた。
「体は従順なくせに、まだどこかですべてを拒否している。呼べば素直にくるというのにね。ルディスは、お前を思い通りにできていると思っているようだよ。あれは思いの外に単純なところがある」
「‥‥体以外に、何かをお望みで?」
 唇に指を含んだまま、イーツェンはつぶやいた。オゼルクは無言のままイーツェンのローブの留め紐をあばき、裸の太腿へ指をすべらせながら少しの間イーツェンを見ていた。
 その指が下帯ごしにイーツェンの牡にふれ、愛撫をはじめる。手のひらをかぶせてしばらく揺らすように動かしていたが、ふっと息をつくとオゼルクは体を引いてイーツェンのローブを乱暴にひろげ、むきだしにした下肢に残る下帯をほどいた。膝を折り曲げてサンダルも脱がされ、枷のほかに下肢を覆うものはない。肌に赤く、一部は青みすら帯びて残る愛撫の痕を目にして、オゼルクの唇のはじに酷薄な笑みがちらっと走った。
 枷に渡された鎖のせいでイーツェンの両足は中途半端にしかひらかないが、脚をソファから床へむけておろすと、オゼルクは半ば勃ち上がっていたイーツェンのものを指でしごきあげ、床に膝をついてそれを口に含んだ。
「く‥‥ぁあ、あっ」
 慣れた舌の動きがイーツェンの腰の奥に直接的な熱を送り込んでくる。体の中で獣がうごめきはじめたようだった。たちまち反応を見せる肉体をとどめるすべはなく、イーツェンは肘掛けにのせた首をのけぞらせて快感の声をこぼした。濡れた先端を唇でねぶりながら、オゼルクの指が太腿の内側へすべりこむ。脚の間の鎖をもてあそび、指に巻いてイーツェンの肌へこすりつけた。ひんやりとした刺激に、イーツェンは短い声をあげてオゼルクの髪の間へ指をすべらせた。
 また太腿の内側をさすりあげられ、背骨からのぼる痺れるような快感が頭のどこかに火をともした。オゼルクの口の中でイーツェンの牡は限界まで硬くはりつめていた。脚をひらこうとしたが鎖にはばまれてどうにもならずに焦れた。いつもの前戯が、この先にある快感をはっきりと体の奥に呼び覚ましはじめる。
 欲望に体が先走りはじめ、ほしがろうとする肉体のあまりの性急さにイーツェンは自分でおどろいた。オゼルクに抱かれたのは一月前だ。その間、体がこの男を恋しがっていたのかと思うと、心底情けなかった。
「ルディスはお前を満足させてくれないだろう」
 そそりたつものを舌でねぶりながら、オゼルクが笑う。あたたかな息が吐きかけられる感触にイーツェンは身をよじった。舌先で敏感な先端をつつかれ、焦らされて喉の奥からくぐもった悲鳴をこぼす。
「あれは、そういうのが好きなのだ。子供の頃に犬を与えられた時にね、あれは、反抗的な犬を叱りつけるために餌を与えずに罰ばかり与えた。結局犬はあれになつかなかった。不器用な子供だったよ」
「あなただって‥‥似たような、ものだ、オゼ‥‥ル‥‥」
 言葉の後半は、オゼルクの口にいきなり呑み込まれて途切れた。ぬめぬめとした熱い粘膜につつまれて擦り上げられ、快感に頭の芯が白く溶けていた。もっと深くほしいとねだるように動く腰を抑え、オゼルクは顔をあげてイーツェンを見た。
「そう。だがお前はもっと悪い。人形でもないのに人形のふりをしている」
 そうさせているのは自分たちなのに、勝手なことを言うものだ。だがそんなことも今はどうでもよくなって、イーツェンは熱い愛撫をねだって膝を揺らす。さらに深く呑み込まれ、オゼルクの熱い口蓋でぬめる先端を擦られてかすれた悲鳴をあげた。途端に根元をぐっと握られ、喉から細い息を吐く。
「ひぅっ」
 しばらく指でおさえたまま唾液の濡れた音をからめ、イーツェンの息が完全に荒くかすれてから、オゼルクは顔をあげた。紅潮してひくつく先端をちろちろとなめながら、イーツェンの反応をいちいち確かめるようにして笑う。
「随分と急くな。男が欲しいか?」
「‥‥欲しいですよ」
 イーツェンはかすれた声で答えて、自分を見つめるオゼルクの視線を受けとめた。この一年で彼は平気でそういう言葉を口にするようになっていた。それが一番安全だと身にしみて悟っていたからだ。だがほんの一年前までは、そんなことを自分が言えるとは思っていなかった。
「あなたが欲しい」
「可愛いことを言うね。お前は嘘も可愛い」
 体をかぶせるようにイーツェンの上にかがみこみ、オゼルクはイーツェンの唇を吸った。その間も指がイーツェンの牡をつつんでじれったい愛撫をくわえている。イーツェンは唇を開いてオゼルクの舌を受け入れ、流れ込んでくる唾液を呑んだ。
 濡れた唇をオゼルクの指が這う。間近にイーツェンの目をのぞきこみながら、彼は体の奥に直接響くような低い声で囁いた。
「シゼが好きか、イーツェン?」
「‥‥まさか」
 一瞬、頭では何を言われたのかわからなかったが、体が反応した。オゼルクの手の中でイーツェンの牡がびくりと動いていた。オゼルクがそれを強く握りこみ、圧迫の苦痛に悲鳴をあげるイーツェンを見つめる。
「シゼと寝たか」
「‥‥まさかっ‥‥」
 昨夜のことをシゼが報告したのだろうか。疑念が心臓をしめつけ、イーツェンの息があがった。味方だとシゼは言った。言ったはずだ。あれは嘘だったのか?
(そんなはずはない──)
 そんなはずは。
 イーツェンは腕をのばしてオゼルクの首へ回し、頬を無理にうごかして小さな微笑をかたちづくった。
「オゼルク。念のために申し上げておくが、私は抱いてくれる男がいなくても一人で眠れる。傭兵あがりの男に体をくれてやる必要がどこに?」
「傭兵というよりも、あれは、奴隷あがりだぞ」
「へぇ。そうですか」
 興味のないふりをして、腕に力をこめ、オゼルクにくちづけをねだった。シゼの話などしたくなかった。脚で誘おうにも脚鎖が邪魔で足をひらけない。体を押し付けながらオゼルクの腰帯に手を回し、上着の腰をしめる編み革の帯をたどたどしい手でほどきはじめた。
 オゼルクはイーツェンの頬から唇の横へ舌先を這わせながら、抑えたままの声で囁いた。
「お前に剣の稽古をつけてもいいかどうか、侍従長に相談を持ちかけてきたそうだ。体で味方に付けたか?」
「‥‥‥」
 ぼんやりと宙を見つめ、イーツェンは数回まばたきした。快感と不安に乱れる頭の中をとりまとめようとするが、オゼルクの手が怠惰にイーツェンの牡を愛撫している状態ではそれはひどく難しかった。追いつめもせず、逃がしもせず、ゆるゆるとしごかれているとどうにかなりそうに焦れてくる。
「ん‥‥ああ‥‥それは多分‥‥私が少し、運動不足で食事が減ってきたので」
 説明しようとしながら言っている内容がばかばかしくなって、イーツェンは頭を後ろにのけぞらせて甲高い声で笑い出した。眉をしかめて見下ろすオゼルクを見上げ、正面から自分でも驚くほど強気な笑みを投げる。
「運動くらいさせてください。歩いているだけじゃ馬鹿になってしまう」
「運動は散々しているだろう。裸で」
 からかう声に、無言で目をほそめて見せた。オゼルクはあからさまな媚びは嫌う。どうなろうとかまわない、という顔で見上げていると、相手は少し息をついて身を起こした。
「剣は、考えものだぞ、イーツェン」
 まったく、本当に。しかしシゼは「運動」というとほかのことを思いつかなかったのだろう。今さらながら不器用な男だと思いながら、イーツェンはほどいた帯を床へ放り投げた。
「何でもいいんです。何なら風呂の水を運んでもいいし、あなたの部屋の雑巾をかけて回ってもいい。ここで裸で踊る以外のことができればね」
「ふぅん」
 その言葉におもしろそうに少し笑って、オゼルクは立ち上がった。どうやら機嫌は取り結べたようだと、イーツェンはほっとする。従兄弟のルディスの方が気性が荒くイーツェンを痛めつけるようなことまでしたが、イーツェンはオゼルクの方が怖かった。何を考えているのか、そしてイーツェンに何を求めているのかよくわからない時がある。単なる肉体だけでも、服従でもない。とは言え、時に彼がからかうような響きで口にするように、イーツェンと心の関係を結びたがっているとは思えなかった。
 ソファに崩れたイーツェンを見やって、動くなと手で命じ、オゼルクは扉をひらいて客間で待つシゼを呼び入れた。シゼは半裸の姿をさらしているイーツェンを見ても顔色一つ変えず、オゼルクが命じるとうなずいて鍵の輪を取り出した。
 イーツェンはオゼルクの唾液で濡れ光る自分の屹立の前にシゼがひざまずくのを、怠惰な表情でながめた。淫売、と自分に呟く。もはや体をひらくことに抵抗もなくなってしまった。快楽を待ち望んでさえいる。今ここで、オゼルクがやめるかどうかを問えば、自分が続きを請うことをイーツェンはよくわかっていた。
 シゼの手が鍵を持ち、イーツェンの太腿を巻く枷の外側にふれる。彼の指がしっとりと汗ばんだ肌にふれることはない。それを求めてはいけないのだと思いながら、イーツェンは己を拘束から解き放つ鍵が動くのを見つめていた。
 カチリ、と肌にふれるほどの距離で音がする。左の鍵を外し、シゼは右の鍵へ移った。またカチリと、肌が鳴って、イーツェンは体の奥をゆさぶる陶酔に目をとじた。解放されていく。この感覚を味わいたいがために体をさしだしているような錯覚すらおきそうな、深い快感だった。
「イーツェン」
 オゼルクの声が低く呼ぶ。まちがえようのない命令の響きに息を吐きだし、イーツェンは己の手で左右の革枷を外してシゼにそれを渡した。枷が外れたところで自由などない。すべては錯覚だ。それでも解放は甘かった。
 シゼは枷を鎖で吊って腰にひっかけ、オゼルクに一礼して出ていこうとしたが、オゼルクが呼び止めた。
「シゼ。そこに立っていろ」
「な──」
 茫然と声を出したのはイーツェンだった。シゼは顔色も変えず、イーツェンをちらりとも見ずに、示された部屋の角へ立つ。イーツェンの横たわるソファの背もたれ側の位置だった。
 すがるように見上げたイーツェンへ、オゼルクは小首をかしげてみせた。
「どうした?」
「‥‥あなたは──」
 怒りと恐れに声がふるえる。だがオゼルクの目に見下ろされたイーツェンはそれ以上何も言えなくなっていた。言ったところでオゼルクは聞くまい。それだけは確かだった。だがどうすればいいのかわからない。喉まで心臓がせりあがったような気がした。
 冷ややかにイーツェンを見やったまま、オゼルクはひょいと形のよいあごをしゃくった。
「立て。自分で脱げ」
「‥‥‥」
 声の中の凍るような響きに身をすくませながらも、イーツェンは立ち上がった。ローブの胸ボタンを外す指が思いもかけずにふるえる。シゼに見られているということも、オゼルクがいきなりひどく冷酷な顔を見せはじめたことも、彼の頭を混乱させていた。
 ローブの襟から胸元の上飾りを脱ぎ、ソファの足置きにすばやくたたんでのせる。それから袖から腕を抜いてローブ本体を脱ぎ、同じように上から置いた。リンネルの肌着を頭から抜き、全裸になるとまっすぐにオゼルクへ向き直った。呼吸に動く胸にも腹部にも点々と、陰惨なほどの愛撫の痕が残っていたが、それを見やるオゼルクの顔には読み取れる表情がなかった。
 オゼルクも黒い上着を脱いで机の上へ放ると、ズボンの前をゆるめた。イーツェンは近づいて彼の前で膝を折り、指で男のものをさぐると、すでに硬さを帯びていたそれを引き出し、唇に含んだ。背後に立つシゼの存在を頭の中から追い出そうとしたが、ともすれば全身が羞恥でふるえそうだった。
 舌をからめ、丁寧に先端の形をなぞって、ゆっくりと指をそえて呑み込んでいく。オゼルクのそれは長く、全部を口におさめるのは難しい。舌の腹でねぶりながら指で裏筋をそっと愛撫した。塩と苦味の入り混じった味が口の中にひろがり、オゼルクの牡が口腔を押しあげるように勃ちあがってくる。それをゆるく吸い、顔を戻して先端だけを含むとさらに強く吸い上げた。
 髪をオゼルクの指がさぐり、首の後ろで結んだひもを取った。ぱらぱらと裸の背中に黒髪が落ちるのを感じて、イーツェンは用心深く喉をゆるめた。オゼルクが髪をぐいと一つかみ握る。次の瞬間、頭を固定して喉奥までつきこまれ、咳込むのを必死にこらえた。目のはじに涙がにじむ。
「ん、ふぅっ‥‥」
 くぐもった声を洩らしながら喉をひらき、歯が当たらないよう口をひらいて男のものを奥まで受け入れた。オゼルクは容赦ない動きでイーツェンの口を犯す。イーツェンは唇のはじから唾液がこぼれおちるのをどうすることもできず、荒く息を継ぎながら苦悶の時間がすぎるのを待った。早く達してくれればいいのにと思うが、口を行き来する肉塊に舌を絡めるのがやっとだった。
 耐えながら奉仕をつづけていると、オゼルクがイーツェンの髪をぐっとつかんだ。苦痛に身動きが取れなくなる。喉の奥に生ぬるいものがはじけ、口から鼻が生々しい匂いで満たされる。イーツェンは咳をこらえて精液を呑み込み、口の中で萎えたものに舌をからめてすべてを丁寧になめとった。
 それが終わると、やっとオゼルクはイーツェンの口を解放した。乱暴に髪をつかんだままソファへ押しやり、うつ伏せにして押し付ける。右足をソファの座面で折って左足を床へのばし、背もたれへ頭をのせ、イーツェンは涙でぼやけた視界にシゼの姿をまともにとらえていた。ほんの数歩。ソファから身を乗りだして手をのばせば、きっととどく。
 シゼはイーツェンを見ていた──見ざるを得ないのだ、とイーツェンは悟る。イーツェンの背後にはオゼルクがいる。シゼが目をそらしたり目蓋をとじたりすれば見るよう命じるだけのことだ。それがわかっていても、銅色の瞳に裸の自分を見つめられると息がつまって、イーツェンは心底怖じ気づいていた。羞恥よりも恐れが強い。このまなざしの前で痴態をさらして、正気でいられる自信がない。
 背中をオゼルクの手がすべり、肩口を吸われた。オゼルクは、ゆっくりとたてた歯をすべらせ、左の肩甲骨にそって愛撫をおとす。異様な疼きが肌の内側にうごめいて、イーツェンはソファの上掛けに顔を押しあて、布を噛んだ。
 首すじをゆるく吸われ、思わず呻いていた。
「ん、ぁ‥‥、あぁっ!」
 ぴしゃりと尻を平手で叩かれ、予期せぬ痛みに首がはねあがった。髪を後ろに引かれて弓のように背をしならせ、背もたれに手をついて限界まで体をのけぞらせた。引き絞るようにそりあがった体をどうしようもなく、シゼの目の前に裸身をさらし、荒い息だけが口からこぼれる。浮き上がった首のすじをオゼルクがもう一方の指で愛でるようになでた。
「じつに壊れやすそうだ。それに美しい。危険なとりあわせだと思わないか、シゼ?」
 シゼの名を聞くと彼がそこにいることを、自分を見ていることを、体がさらに意識してしまう。イーツェンの上体を後ろへそらさせたまま、オゼルクの手はイーツェンの脇腹をかすめて胸の乳首へとのびた。つまむようにこねる指の間で乳首はふっくりと膨らみを持ち、硬い芯を持って快感を示しはじめる。
 イーツェンの喉から切れ切れの呻きをあげさせながら、オゼルクは返事のないシゼ相手に撫でるような声で話しかけた。
「一年半も世話をしていれば情もうつるか? 塔からとびおりた恋人が泣いているぞ」
 何の話だ、とイーツェンが気をそらせた瞬間、こねつぶすように乳首をつままれて、苦痛まじりの強烈な感覚が体の芯をはじいた。
「ひぅっ、あ、やあぁっ‥‥、んっ‥‥」
 髪をつかむ手がゆるみ、イーツェンの体をソファにつきたおしたが、顔を伏せることは許されなかった。あごがあがって背もたれに首を押し付けられ、イーツェンは顔をシゼからそむけようとしたが、もう一度尻を叩かれて甲高い悲鳴をあげた。ピィンと体の芯を何かが貫き通ったようだった。それが痛みなのかどうかもわからない。感覚が惑乱し、もう、何が快感で何が苦痛なのかわからない。肉体的にも、精神的にも。
 その混乱から逃れるように、イーツェンは考えることをやめ、与えられるものだけをむさぼりはじめていた。
「足をひらけ。もっと」
 鉄のような声で命じられ、のばしたままだった左足もソファにのせ、イーツェンは膝を座面についたまま両足を限界までひらいた。脚をいましめるものはもう外されて、思うさまひらく行為がイーツェンに羞恥と同時に圧倒的な解放感を与える。その行為がどれほどイーツェンの感覚を狂わせるのか、オゼルクはよく知っている筈だった。
「いい子だ」
 犬のように頭をなでられて、イーツェンは目をとじた。オゼルクの指はイーツェンの背中をさぐり、弱い場所をなぞりながら汗ばんだ肌をおりていく。右手をつかまれ、自分の乳首に押しつけられると、イーツェンはためらいなく自分の指で突起をいじってあえぎはじめた。オゼルクの望む通り望むままの姿をさらけだす打算と、シゼの目の前で乱れる背徳の官能と、どちらが自分を支配しているのかもう考えることもできない。
 欲望と嫌悪と。そのどちらもが体の最奥を灼いた。忌まわしいほどの快感を焦がれるほどに求めながら、体とも心ともちがうどこかがねじれておかしくなりそうだった。
 左の尻をつかまれて容赦なくぐいと押し拡げられ、奥を指にさぐられた。油に濡れた指が外側を押すように揉み、イーツェンは甘い呻きをあげる。内側へ指がすべりこんでくると、肌をふるわせてかすれた声であえいだ。
 オゼルクの長い指はすべるようにイーツェンの奥までもぐりこんだ。犯される感覚にイーツェンはソファの上掛けに指をくいこませる。内側を押し広げられる違和感、異物感すら快感として受けとめるほどに、行為になじんだ体だった。
 指がゆっくりと動き、柔襞を擦りながら愛撫しはじめる。オゼルクはこの行為が好きで、いつもイーツェンの体を慣らすという以上に時間をかけた。己の手でイーツェンが狂っていくのを見るのがおもしろいらしい。彼の指はルディスのものほど太くはなかったが長く、繊細に動いてイーツェンの奥襞を刺激し、焦らし、熱をもった粘膜をやわらかに押し広げた。逃げ場もなくイーツェンを追いつめ、追いこむ。
 快感からのがれようと思っても、はっきりとその指を締めつけているのは自分の体だった。奥まではいりこみ、かすかに揺らして刺激をあたえる。指がふやされると満たされる感覚が強まり、イーツェンは尻をゆすって甘い声をあげた。それを焦らして、オゼルクはまたイーツェンを追い上げる。蕩けて待ち望む性感に指がふれた瞬間、イーツェンは頭の芯がはじけるような快感に高い叫びをほとばしらせた。オゼルクが容赦なく責めはじめると我を失った声をたてながら全身で悶えた。
 イーツェンの体をイーツェンよりも知り尽くした指だった。思い通りに翻弄され、陥落する体をぼんやりと感じながら、イーツェンは絶望からのがれるようにただ快楽だけを追った。
 オゼルクの左手がイーツェンの前に回って蜜をあふれさせる牡を怠惰にもてあそびはじめると、圧倒的な快感のうねりに耐えきれず、彼は切れ切れに哀願した。
「やっ‥‥、いやっ! いかせて、おねが‥‥あぁぁっ!」
 一度は放出をゆるされ、獣のような声を上げてオゼルクの手の中へ精液をほとばしらせたが、後ろの指はその間もずっとうごめきつづけ、放出で敏感になった体をさらに容赦なく追いつめた。オゼルクの手が肌に吐精をなすりつける。口元をその手が這い、あえぐイーツェンの口の中に汚れた指を押し込んだ。音をたててしゃぶりながら、イーツェンは執拗な愛撫にまた高められていく。
 ただ追いつめていくだけではなく、時に引き、時に焦らす。体に隙を与えながら、予期せぬ時に予期せぬところを責める。そのたびに体は前より強い快感に翻弄された。指を後ろに抜き挿しされるだけで自分がすべての理性をかなぐり捨てて悶えるなど、一年前のイーツェンは考えたこともなかったが、今や体はオゼルクの指が命じるままに快楽の淵へ墜ちていく。
 汗と唾液にまみれた顔をソファに押し付け、すすり泣く声をこぼし、イーツェンは自分の手で自分のものをしごいた。解放されたい。オゼルクはその動きを少しだけ見のがしていたが、腕をぴしゃりと叩き、手首をつかむとソファの肘掛けをつかませた。イーツェンは熱をもてあます体をソファにこすりつけて動かしながら、呻いた。
「も‥‥ゆるして‥‥ん、あぁんっ‥‥」
「シゼに入れてもらうか?」
 耳元で囁かれた瞬間、シゼの存在を思い出した。体の芯がぞっと冷たくなって、イーツェンは奥に思いきりオゼルクの指を締めこんでいた。ひゅっと喉が快感に鳴って、彼はすすり泣く。ぼやけた視界の中にシゼの足元が見えた。
(シゼ──)
 昨日、シゼはイーツェンを抱かなかった。イーツェンがどれほど懇願しても彼はイーツェンを拒否するだろうと、イーツェンは心のどこかで悟っていた。だが今日は。
 オゼルクが命じれば、彼はイーツェンを抱くだろう。熱に蕩けた体をシゼに貫かれ、突き上げられることを考えただけで、イーツェンの口から快感の呻きがこぼれた。耐えられないほどの熱が沸き上がり、イーツェンはオゼルクの問いにうなずいてしまいそうになる。欲しい、と体が疼く。シゼが欲しい。
 イーツェンは必死で頭をもたげて、傭兵の視線を求める。シゼの目。自分を見ているはずの、銅色の目。もしそこに少しでも欲望が見えたなら、もし彼が少しでもイーツェンを求めているなら──
 たとえ体だけでも。それでもいい‥‥
 奥を曲げた指の関節がぐるりと回るようにえぐり、イーツェンの体が痙攣した。
「ひぅんっ!」
 口から唾液をこぼしてソファに顔ごとつっぷし、肌をふるわせて、イーツェンはかすれた声をしぼり出す。
「や‥‥オゼルク‥‥オゼルクのが、欲しい‥‥」
 頭がおかしくなる、と思った。こんなふうにシゼに抱かれたら自分のどこかが狂う。だがシゼの見ている前でオゼルクに抱かれても、きっとどこかが壊れるだろう。それはわかっていた。
「もっとはっきり言ってごらん」
 耳朶を唇が含み、笑った声が語りかける。低く淫靡で、愛しげな、まるで恋人に語りかけるような声。イーツェンは荒い息の下で切れ切れに言葉をつないだ。
「オゼルクのを‥‥入れて。‥‥突いて──」
「淫乱な子だよ」
 指が抜かれ、イーツェンに呻く間も与えず硬いものが体の奥へ打込まれた。あらかじめ油を塗っておいたのだろう、濡れた音をたててオゼルクの楔が奥まで一気に沈められ、圧倒的に満たされる快感にイーツェンの首がそりかえった。指でなぶられた熱い奥襞はほとんど抵抗なく男のものを受け入れ、きつく締め上げる。指のわずかな動きだけでも敏感に感じとるほどの体を、オゼルクは何の容赦もなく突き上げた。
「ああぁぁっ、くぁ‥‥んっ、ひぁあっ!」
 髪を振り乱し、腰を振って抜かれるものを追い求める。数度動いてから、オゼルクは性感を突き上げ、イーツェンの体の奥で何かがはじけとんだ。腰を振って求めながら肉のすみずみまで蹂躙され、支配される快感に全身が悶え狂う。誰が自分を犯しているのかなどどうでもよかった。男の硬いものが奥を貫くたびに蕩かされた柔襞が歓喜し、全身が灼ける。与えられるたびにさらに求め、ただイーツェンは声を上げて腰をゆすった。頭の芯まで快感に灼けていた。もっと欲しい。もっと。淫らな言葉でねだりながら、焦らされると狂ったような声をあげて懇願を重ね、突き上げられると言葉も失ってすすり泣いた。
 濡れた音をたてながら腰をうちつけ、オゼルクはイーツェンの牡をこすりあげる。前後からの快感にイーツェンは叫びをたて、爪をソファにくいこませた。彼は気が付かないうちに本当に泣いていた。
「いやぁっ! も‥‥あぅん‥‥」
 快感に声が途切れ、尻をゆすってまた突き上げを呑み込む。
 奥に熱いものがほとばしる感覚に、イーツェンの体が痙攣した。オゼルクの手が牡を強くしごき、世界が白くくらんで彼のすべてを呑み込んだ。
 後ろからずるりと男のものが抜けていく、その感覚がわずかに意識を引き戻した。抜き取られると、体の奥に空洞が残ったようだった。まだ熱い。その熱をかかえこんだまま、イーツェンはソファに肩からくずれて身をふるわせた。
 オゼルクの声が聞こえる。その声は快楽の名残りか、少しかすれていた。
「愉しんだか?」
 ぼんやりと、イーツェンはそれが自分へ向けられた言葉ではないのに気付く。シゼ。シゼがそこにまだいることを心のどこかが思い出し、彼は子供のように小さく身を丸めた。まだ快感にぼやけた頭に正常な思考は戻っていない。正気に戻りたくなかった。
 シゼは何も答えず、一瞬あってからオゼルクがつづけた。
「気をつけろ、イーツェン。この男に抱かれて、前に塔からとびおりたやつがいる」
「ん‥‥」
 言葉の意味を考えることもできず、イーツェンは何か言おうとしたが、髪をつかまれて顔を上げさせられた。のぞきこんでくるオゼルクを、彼は焦点のあわない眸で見あげる。
「な‥‥に、オゼルク‥‥?」
 媚びるような従順な声でつぶやいたイーツェンを見下ろしていたが、オゼルクは唇のはじを歪め、イーツェンに唇を重ねて激しいくちづけをむさぼる。イーツェンがほとんど無意識に、だが熱烈にオゼルクの舌を求めるのをしばらくそのままにしておいてから、イーツェンの体をソファへ突き放した。
 机へ歩み寄り、そこに置いてあった上着を取り上げると、オゼルクは乱れた着衣を手早くととのえる。イーツェンへもはや一顧だに与えず背を向け、扉を開けた。
「汗を流してくる。半刻で戻る」
 扉は、彼の後ろ姿を呑み込んで音を立ててしまった。