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 目をあけると、眼前に奇妙な光の格子が見えた。歪んだ、琥珀色の影。見たことのない光の色だった。
 それが床に落ちた窓格子の模様だと気付くまでに一瞬かかった。愕然と床に起き上がり、ギンジャシャはさまよわせた視線の先に窓を見る。格子の向こうの空は赤黒く燃え、陽光のわずかな残りだけが地表すれすれの雲の向こうで蜂蜜色に重くかがやいていた。
 怖気がはしった。日が落ちている。ひとたび日が暮れれば、塔の扉は誰もあけることができない。たとえギンジャシャが戻らなくとも誰かが助けにくることもなければ、ギンジャシャが内側から扉をあけて出ていくこともできなかった。もっとも夜でなくとも、塔から出てこない者を誰ひとり救いにこないことだけは確かだったが。
 呆然と膝で座りこんでいたが、ギンジャシャは格子にむなしく吊るされた枷を眺め、ため息をついた。のろのろとした視線で部屋を見回し、奥の壁にもたれかかるように立つ大きな影を見て息を呑む。
 魔物は、かすかに首を傾けて、奇妙なほど人間らしい仕種でギンジャシャを見返した。虜囚の間にのびた黒髪はそうして立っていても床につくほどに長い。長くさし入る夕映えは彼の立つ場所までとどかなかったが、絨毯にはねた光が、黒髪を絹のようにうっすら照らしていた。
 黒い下衣をまとったまま、上半身は相変わらず裸で、長い腕を胸の前で組んでいた。肌の白さに思わずギンジャシャの視線がとまる。ほとんど青みをおびたほどに白い、それは月光のように暗く澄んだ白さであった。傷ひとつない、なめらかで美しい肌から目を離せずに見つめていると、魔物が低い声で笑った。人間の笑いとはちがうが、空気がざわめいて気配がつたわってくる。骨までぞくりとした。
 目を見ると魅入られる。視線を低く保ったまま、ギンジャシャは疲れきった声を出した。
「そこで何をしているんだ」
 聞いてから、ひどく間の抜けた質問だと思った。夜の訪れを待っていたのだろう。枷を外したということは塔の呪縛を抜けたということであり、魔物は自由に逃げていける。
 だが返事は、意外なものだった。
「お前が目をさますのを待っていた」
「‥‥‥」
 ギンジャシャは重い手を自分の胸にあて、鉛でも呑んだように感触のにぶい腹にあてた。疲労してはいたが、苦痛は残っていない。体をえぐられるような冷たさも失せ、体の内も外も自分が無傷で、欠けのないことに驚いた。あれだけの術を連鎖的に発動させた筈なのに、返しの痕がない。左手を見たが、手のひらにある紋様も裂けていなかった。
 動いた拍子に、膝が床に落ちている皮袋にふれた。それが自分が持ってきた水袋であると気づいてギンジャシャはまばたきする。腰の後ろに下げてきたものだ。拾いあげたが、中はもうほとんど空だった。
 誰かに頭を支えられ、与えられる水をむさぼるように飮み干した記憶がかすかによぎった。だが、魔物が彼に水を飮ませたとでも言うのだろうか。理屈にあわない。声音がふるえた。
「‥‥何で、殺さない」
 どうやってかはわからないが、暴走しかかった術をとめたのも、その後でギンジャシャを塔の呪法から守ったのも魔物のしたことだろう。そうして彼を救い、水を飮ませ、殺しもせず、喰いもしない理由がわからなかった。その向こうにはひどく恐ろしいものがあるような気がして、這いのぼる恐怖に叫び出してしまいそうになる。
 魔物が首を動かしたのが、黒髪の揺れる動きでわかった。陽光の最後の色があっというまに褪せ、絨毯のこまかな模様が暗がりに呑まれていくのを、ギンジャシャは絶望的に見つめた。ひとすじの光だけが格子の影の向こうに残り、みるまに消えていく。
 暗がりがしのびよりつつあった。
「私がここにとらえられてすぐ、その罠を仕掛けた法術屋が、まだ子供だったお前をつれてきた。人というのはすぐ大きくなるな」
 奇妙に感心したような声であった。ギンジャシャは顔をあげて魔物の表情を見たい気持ちにかられるが、じっと足元に視線を落とし、驚きをこらえた。あれはもう10年も昔、ギンジャシャは12の子供だった。ギンジャシャの師匠は己がとらえた魔物を弟子のギンジャシャに見せ、いずれこの塔の封じがギンジャシャの仕事となるのだと告げた。自分をつつむ塔の闇の濃密と魔物の姿がただひたすらに恐ろしく、師匠が説くような誇らしさなど一片も感じなかったことだけは覚えている。
 魔物がまた身じろいだ。
「あの時お前は言ったのだ。私が可哀想だとな。そしてあの男に手ひどく殴られた。ここで」
「‥‥あの時は、何もわかっていなかっただけだ」
 遠い記憶が押しよせてきて、ギンジャシャは身ぶるいした。師匠の折檻は数日つづき、ギンジャシャが起き上がれなくなると、塔の一番下に放りこんで奥の柱に彼の手足をつないだ。最低限の守りはかけられていたが、闇の中、彼の魂にむらがろうとする無数の術と死霊──生ける魂の一片でもすすり、むしり取ろうとするあの生々しい感触は、今でもギンジャシャを苦しめる。彼は、二度と師に逆らわなかった。
 あの時は本当に何もわかっていなかった。彼らの城が、そしてこの国が、こうして魔物をとらえては吸い出した力を使って繁栄しているのだということも。もう長い間、この塔が人間のために使われていないことも。気づいた時にはもう、城と塔のために仕えるしかギンジャシャに道は残っていなかった。もし否と言えば、ギンジャシャがこの塔の囚人となるだけのことだ。
 魔物の声がふいにとぎすまされ、それは絶対の力をもって部屋中にひびきわたった。
「そうだな。今でもわかっていないだろう、お前たちは。自分が何をとらえたのか」
 心臓にじかに刺し入ってくるようなするどい言葉に、打たれたように顔をあげていた。魔物の目とまっすぐに視線があった瞬間、己のあやまちに気づいたが、すでに息を呑みこむことすらできなかった。
 枷につながれていた時にその黒い目を見たことはある筈なのに、今ギンジャシャを見つめるのは、まるでその時とは異なる目であった。深い漆黒の奥に嵐のような力が渦巻いてかがやき、稲妻のような光を奥に呑んだその目は、ギンジャシャを見ているようでもあったが、世界のすべてを見ているようでもある。圧倒的な力の存在に全身が痺れた。まなざしひとつで自分の内側がすべて魔物の力に満たされて、身動きひとつできなくなっていた。
 ──ちがう。
 戦慄とともに、ギンジャシャは悟る。これはあの時の魔物ではない。あまりにも力がちがいすぎる。これは、人が相手にすることもできないような強大な魔物であった。人のたどりつけない闇の奥に君臨し、人の世とは交わることのない世界の支配者たち。どうしてそんなものがここにいるのか、まるでわからなかった。
「10年、か」
 魔物がゆっくりと口を動かす。声は耳を通してというよりも、まなざしを通してギンジャシャの中にじかにひびきわたっているようだった。
「人の暦にしてもいささか長かったが、悪くない眠りだった」
「‥‥眠り‥‥?」
「たまにはな。人の言う眠りではないが、我らも眠ることがある。ここですごすことにしたのは戯れのようなものだが」
 ゆったりとした動きで歩き出す、その動きと裏腹に、魔物の姿はあっというまにギンジャシャの目の前にあった。膝をついて座りこんだまま、ただギンジャシャは魔物を見上げてふるえるしかない。かがみこんだ魔物の手が喉元にかかったのを、どこか遠いもののように感じた。魔物のまなざしが身に満ちて、恐怖を心で感じる余裕がなかった。
「人をそのまま呪法の器とするとは、面妖な仕掛けを考えるものだ。人間というのは色々な細工が好きなのだな」
 指の冷たい感触が喉をすべった。闇の気配にちりちりと産毛が逆立つ。魔物の存在とその力が肌にふれて、ギンジャシャの体の内に刻みこまれた術がざわつくのがわかった。長い時間をかけて血肉に溶けこんだ術のすべてが一度にうごめき出す、その異様な感覚に、ギンジャシャはほとんど絞り出すような呻きをあげる。
 魔物の唇のはじがくいっと吊り上がった。それは酷薄だが、美しい笑みだった。闇を周囲にまとい、人のものではない高貴さをたたえた白い貌を、その目の奥に燃えるような飢えを、ギンジャシャはただ凝視する。その場に崩れてしまいたかったが、首にかかる強靭な指がそれを許さない。
「私をな、哀れんだ人間などお前だけだ。この10年、お前はずっと哀れみつづけた。己が何ものと対峙しているのかも知らずに」
「‥‥‥」
 何か言おうとしたが、声など出なかった。首にかかった指が喉にくいこむ。そのまま腕の一払いで、ギンジャシャの体はかるがると宙にとんでいた。
 背中から寝台に叩きつけられ、肺の息が奇妙な音をたてて口からこぼれる。かつて高貴な囚人が使ったのであろう、まだやわらかな敷布の襞の上に起きようともがいた体を、のしかかってきた魔物にやすやすと抑えつけられた。
「あの男がお前を呪法の器として作ったのだな」
 師匠のことを言っているのだろう。ギンジャシャは体の力を抜き、無気力にうなずいた。4年前に心臓の発作で死ぬまで師匠がこの塔の番をし、この魔物から種族の秘密を聞き出そうと無数の手を尽くした。陽光に焼き苦しめるため窓を作ったのも、師匠だ。その一方で、幼い時からギンジャシャを塔の封じ手として厳しく鍛えた。呪法をひとつひとつ体に仕込み、それに耐えるすべを叩きこんだ。
 魔物はギンジャシャの上にかがみこんでじっと彼の顔を見ていたが、ゆっくりと唇をかぶせ、味わうようにギンジャシャの唇をなぶった。ギンジャシャが顔をそむけようとして両腕を押し出しながらもがくと、魔物は体を起こして、長い黒髪を首の後ろで片手にかるく束ねた。ひょいと爪が動き、すっぱりと髪を断ち切る。
 断たれた黒髪がするすると動いて、まるで生きたロープのようにギンジャシャの手首へ這いのぼった。あっというまに髪に両腕をくくられたギンジャシャはもがいたが、魔物があっさりと彼の体を寝台の中央に据え直し、腕をそのまま寝台の頭側の飾り桟にくくりつけてしまう。手にくいこむ痛みはなかったが、ぬめるような感触に手首を拘束されて、まるで動かすことができなかった。魔物がギンジャシャの体をまたいで座ったせいで、寝台に全身が抑えつけられている。
 魔物の手がギンジャシャの帯をほどき、帯にからんでいる鎖をやすやすと引きちぎった。長衣の前を左右にひらき、その下にまとった胴着の脇紐をほどく。胴着の下にすべりこんだ手が薄い亜麻布の長袖の前をひらきはじめ、ギンジャシャは頭を左右に振った。
「よ、せ」
 ボタンはあっというまに外されて、服は大きく左右にひらかれた。裸の胸に指先がふれて、悲鳴がこぼれる。
 いたぶるつもりなのだろう。ギンジャシャに傲慢な言葉の報いを与え、己の飢えを満たす。魔物の目にはつめたい飢えが満ちていて、わずかにそのまなざしがかすめただけでギンジャシャは魂に直接牙をつきたてられているような恐怖を感じた。すべてをむさぼられる。命も、魂も。そしてそれをとめるすべはない。もうギンジャシャは魔物の獲物でしかなかった。
 死よりも悪いことが、この世にはある。死よりも救いのないことが。
 魔物が覆いかぶさってきた時、ギンジャシャの中で何かが砕けた。悲鳴は長くつづいたが、やがてふつりと途絶え、夜闇がたちこめる部屋には濡れたような音だけがひびいた。かぼそい、絞り出すような快楽の呻きがまざりはじめるまで、それほど時間はかからなかった。


 ぬちゃぬちゃと体を這っていく舌を、いつしか冷たいとは感じなくなっていた。肌がなじんだのか、それともギンジャシャの感覚がおかしくなったのだろうか。唇で首すじを吸いたてられ、舌で弄うように耳のうしろまでなぞられると肌の内側にぞろりと炎がともったようで、喘ぎまじりの息をこぼさずにはいられなかった。
「いやだ──」
 首をねじって顔を左右にそむける。魔物の顔が首すじに埋まり、やわらかな肌に牙の感触がふれた。牙に押されて、肌がわずかに沈む。ギンジャシャは息を呑んだ。
 魔物は顔をあげて、ギンジャシャを真上からのぞきこんだ。濡れた唇を歪めて笑う。ギンジャシャに傷をつけた様子はなかった。
「お前の恐怖がつたわってくる」
「もう、やめてくれ」
 誇りも何もなく、ギンジャシャは哀願した。もし魔物の前に跪けばいいのならば、今すぐにでも膝をついてとりすがっただろうが、両腕をくくられている。
「たのむ。どこへでも逃げていいから‥‥」
「お前の許しが必要だとでも?」
 音楽的なほど深い声で笑って、魔物はふたたびギンジャシャの首に唇をよせた。そのままゆっくりと鎖骨の上をよぎり、肌に火照りを刻みながら、先刻までなぶっていた乳首を含む。とがりたった乳首を舌先でころがし、唇ではさんでしばらくなぶってから、ふいに歯先をたてた。痛みと快感が一本の線のようにするどく体を貫きとおって、ギンジャシャは頭をそらせ、苦しげな声をあげた。
 魔物のまとう闇の気配が肌からじかに体の奥まで沁み入って、闇にじわじわと喰われるような異様な感覚に、全身は熱をおびはじめていた。圧倒的な存在を前にして今にも心が崩れ、ただ情けを乞うことしかできなくなりそうだ。恐怖と惑乱に体も心もかき乱されながら、ギンジャシャはかすれた声で呻いた。
「いやだ‥‥」
「そうか?」
 冷たい、だがどこか燃えるように熱い指が、ギンジャシャの股間の屹立をつかんだ。すでに下帯も解かれ、剥き出しにされた下肢の間のそれは、はじめてふれられた時からもう固くそそりたっていた。そうして直接つかまれただけで愉悦が腰にたぎって、体の奥で大きなうねりが生まれはじめている。それに呑みこまれたらもう終わりだった。
「お前は散々魔物と寝てきただろう、ギンジャシャ。そうやって、呪法を体の奥に沁ませた」
「‥‥!」
 驚愕の表情で頭を上げたギンジャシャへ、余裕たっぷりの笑みがこたえた。
「私は、あの男がお前をどうやって育てたか知っている。お前に何をさせたか、あの男がお前に何をしたか。あの男の中は欲望でいっぱいでな。そういう者の心を剥くことはたやすいものなのさ」
「まさか‥‥」
 師匠が魔物の術に落ちていたということがあるだろうか? だがそう思った時、ひとつギンジャシャの意識の底から泡つぶのように浮きあがってきたことがあった。書庫の奥で書をひもときながら倒れて死ぬ直前、彼は、師匠の背にかぶさる黒い闇のようなものを見たのだ。
 死の気配だったのだろうかと、あの時は思った。だがあれは──もしかしたら、何かの術だったのだろうか。
「師匠を殺したのか‥‥?」
 かすれた声で問う。魔物の手がギンジャシャの屹立をゆるゆるとしごき出していて、声のふるえは恐怖のせいなのか快感のせいなのかわからなかった。
「仕掛けはした」
 先端のくびれを指の先で執拗に撫でられ、ギンジャシャは細い呻きをあげた。
 師匠は、呼び出した魔物にギンジャシャを犯させては、闇を体の中に飼う方法をギンジャシャに教えた。闇のものたちとの交合は暴力的で痛みとすれすれの愉悦に満ちていたが、師匠が死んでからギンジャシャはその快楽に手をのばしたことはない。欲望より嫌悪の方が勝っていた。
 だが、忘れたと思っていた快楽が今、くらべものにならない圧倒的な存在によって呼びさまされようとしていた。魔物の指や舌がふれた場所が目ざめていくのがわかる。体の奥にひそませている闇が、目の前の魔物を求めてうごめき出している。
 それを知っているのだろう。魔物の手はまたゆっくりとギンジャシャの体の上をさまよいはじめていた。至るところを撫で、そこにひそむものを呼びさます。記憶を、快楽を、そしてまだ知ったことのない深い闇の感触を。じわじわと全身が浸蝕されていく。執拗な欲望が指先にまでたぎり、今にも肌を内側からくいやぶってほとばしりそうだった。
 汗ばんだ体を左右にねじると、両腕にたわんだ服が肌に擦れて耳ざわりな音をたてた。
「何で、そんなことを‥‥」
「あの男の顔は見あきた」
 「眠って」いても、その程度のことはこの魔物にとっては何でもないことだったのだろう。あっさりと言って、魔物はギンジャシャの膝を大きく割った。
 内股を指がひんやりとすべり、きつく爪をたてる。つけ根近くにはしった強い痛みがそのまま刺激となって、ギンジャシャの牡をはじいた。咳こむような声をあげ、そり返ったギンジャシャの体が寝台へ沈む。荒い息をたてながら両足をとじようとしたが、再度やすやすと押しひらかされて、もう彼には抵抗する力がない。
 精は放っていなかったが、それとは別種の、異様な絶頂が体の深みを這い回りはじめていた。魔物の手が牡をつつみ、無造作にしごくだけで全身が痙攣するような愉悦がくり返し襲う。ギンジャシャは自分のたてる我を忘れた声が信じられなかった。
「あ、ああ‥‥や、ひうっ!」
 強い痛みに首がのけぞった。牡の根元にぎりりと何かがくいこんでいる。顔を上げ、くらんだまなざしで見ると、魔物は指に黒い髪を数本巻いていた。先刻切ったものがまだ残っていたのだろうか。そのうちの何本かで根元を緘されたのがわかって、背すじがぞっとした。痛みはほとんど一瞬で消え、しっかりと楔のつけ根を圧迫する感覚だけがそこにとどまる。それは手首のいましめと同じようにぬめぬめと、微細に動き、牡の根元を擦りたてて、そこにたえまない刺激を生んでいた。
「く‥‥あ、あ‥‥」
 揺れかかる腰を抑えこまれる。魔物は指に巻いた髪の残りに息を吹きかける仕種をすると、ギンジャシャの屹立をつかみ、先端にくっと指を添えた。愛撫とはちがう動きに身を固くした瞬間、先端に何かがちくりとふれた。ギンジャシャが総毛立った瞬間、そのままそれは、ゆっくりと牡の内側へ入りこんでいた。細くしなやかなものが牡の内側を這いすすみ、魔物の息吹をまといながら、そそりたった牡の内側へと押し入る。意志を持ったもののように、深いところまでずいと沈んでいく。
 悲鳴をあげようとしたが、奇妙な声しか喉からは上がらなかった。異様な熱が牡の根元にたぎり、はりつめた牡の内側をまるで生き物の舌のような生々しいものがぞろりと擦り上げている。細いくせに、入りこんだものはどうしてかギンジャシャの牡の中にぎっちりと満ちて、ふいにぐねりと動いた。
「ひあああっ」
 信じられないほど奥までその動きがつたわって、ギンジャシャはのたうった。腰を波打たせ、両手をいましめられて自由にならない体を左右にねじっては、法悦の叫びをたてる。体の外から与えられる快楽ではなく、体の内側に生まれる快楽はのがれようもない。肌にふれられただけで呼びさまされるのに、そんな深みまで入りこまれてはひとたまりもなかった。
 魔物が彼の様子を見おろしている──肌にそのまなざしを感じたが、ギンジャシャの理性はとうにはじけとんでいた。いや、自分の狂態を見据える冷徹なまなざしすら刺激となって、まるで愛撫のように体を火照らせる。魔物の髪にまとわりつく闇の気配がギンジャシャの牡の中に入りこみ、犯すような動きをゆったりと続けていた。牡の根元をいましめた髪は時おりにぬるりと動いたが、緩むことも吐精を許すこともない。もし手が自由になっていれば自分で牡に愛撫を与えて絶頂を求めただろう。だが自分の体にふれることすら今の彼には許されていなかった。
 汗みどろの全身をよじり、いつしか淫らな哀願までも口走りながら、やがてギンジャシャはすすり泣いていた。異様な法悦の歓びとそのたえまなさが、彼をほとんど狂わせていた。
「ギンジャシャ」
 ふいに名前を呼ばれる。それだけで、深い闇が体をしみとおっていくような愉悦に呻きがこぼれた。声のひとつに全身が支配されるのがわかった。
 すすり泣く彼の頬を、長い指がなでる。その仕種はやさしい。
「足をひらけ」
 命令にすがりつくように膝をたて、足をひらいた。太腿の内側をすべるようになでる指が、焦れて腰をゆする彼の牡をつかんだ。恐れにも近い期待に全身が火照る。
 先端を舌先で舐めあげられて、ギンジャシャはさらに腰を上げようとしたが、強靭な手が彼の下肢をしっかりと寝台に抑えつけていた。牡の根元から先端までをゆっくりと舐めていく、舌はひやりとしていたが、その刺激すらギンジャシャの愉悦を増した。
 ぬるりと含まれた、と思うやほとんど間をおかず、魔物は深く顔を伏せてギンジャシャの牡を完全にその口にくわえこんでいた。口腔を使ってゆっくりと屹立全体を愛撫し、頭を引いてまた沈める。その間も牡の内側に入りこんだ髪はうねるようにうごめいて、内側と外側の愛撫にギンジャシャはのたうった。舌とはまたちがう、なめらかな口の粘膜がギンジャシャの牡をつつみ、強い魔物の気配が牡を通して彼の体の芯まで沁み入ってくる。つめたい、圧倒的な闇の力に押し流されながら、ギンジャシャは底のない快楽に溺れていた。
「あああっ──」
 口に含まれたまま、強く吸い上げられる。砕けるような快感のほとばしりに、ギンジャシャは全身を痙攣させて獣のような声をあげていた。押しよせる絶頂に目の前が幾度も眩む。声は引きつれて断続的な叫びとなり、体を絶頂が通り抜けるたびに淫らな動きで腰を動かし、魔物の口の中に牡を深くつき上げた。幾度も、幾度も。



 魔物はギンジャシャにしばらくその動きを許していたが、ぐったりとした体から力が抜けると、顔を上げた。ギンジャシャは茫然としたまなざしを天井へ向け、胸を上下させて大きな呼吸をくり返している。
 ギンジャシャの股間にはまだ力を保ったものがそそりたっていた。根元は依然としていましめられたまま、牡の内側では魔物の髪がうごめき、ギンジャシャをまだ絶頂に近い快楽で揺さぶりつづけていた。
 魔物がギンジャシャの腰をまたいで座り、体をかがめるようにして唇を重ねると、ギンジャシャは喘ぎながらも自ら口をあける。魔物の舌を受け入れて、もっと淫らなくちづけを求めた。口にあふれてきた唾液をすするように呑み干す。直接体に入りこんでくる闇の気配を迷いなく呑み干しながら、もっと深く体を支配されたくてたまらなかった。
 長年かけて体の深みに植えつけられた闇が、今やすべてこの魔物の前にひれ伏し、闇の存在を求めて狂いはじめている。これまでどんな異形のものにも与えられたことのない快楽と、灼けるような欲望。唇にふれられるだけで歓喜が全身にしみとおり、はりつめたままの牡を魔物の体に擦りつけた。
 自分が奈落の淵を踏みこえていることはぼんやりとわかっていたが、もうどうでもよかった。どうせここからは生きて出られまい。今はただ目の前の圧倒的な存在にすがりつくことしか考えられなかった。このまま喰われても、くびられてもいい。いつかはそんなことになるのではないかと、どこかでずっと思っていた。こんな呪わしい塔で、この呪法とともに生きるしかない者には、それがふさわしい末路だ。ならば、一度はすべてに満たされてみたかった。
 ずっと、この魔物を美しいと思っていたのだ。欲望はいつでもギンジャシャの中にあった。
 両腕がふいに自由になって、ギンジャシャは夢中で魔物の背に腕を回した。ひんやりとして人の温度を持たない、しなやかで強靭な体に手を這わせる。魔物が唇を離してギンジャシャの腕をほどくと、腕にからんだままだった服を抜き、床に放り出した。ギンジャシャも自分で服を脱ごうとしたが体に力が入らず、ほとんど魔物の手にまかせただけだ。
 覆うもののない裸身を見おろして、魔物は小さく唇のはじを持ち上げた。自分がまとっている下衣をうるさそうに一動作で取る。ギンジャシャは、目の前の裸体へ飢えたまなざしを向け、この世ならぬ美しさを目で呑みほすように夢中で見つめた。
「闇のものたちがお前を犯した時、お前の内側に無数の印をつけている。精を注ぎこむことによってな。それを足がかりにして、あの男は呪法を固着させたようだな。おかしな技だ。誰にでもできる技ではない」
 ギンジャシャは曖昧に首をゆすった。彼の師は、ギンジャシャにとっては育ての親に等しかったが、恐しい親でもあった。絶対の服従を要求し、反発も疑問もゆるさず、あらゆる手段でギンジャシャを折檻した。死んだ時には茫然としたが、悲しくなかったことだけは確かだ。
 魔物は指をのばし、ギンジャシャの乳首を指の間にはさんで強くつまみあげながら、愛撫のひとつひとつに全身を痙攣させるギンジャシャを見おろした。
「お前の体が、素質を持っていたのだな。‥‥人間は大抵、これほどの闇には耐えられない」
「あっ──」
 両の乳首を指にはさまれ、キリリと爪がくいこんでくる。ねじり切られるのではないかと言うほどに容赦のない、するどい痛みがギンジャシャの意識を貫いた。だが彼は痛みをねだるように甘い声をたて、魔物にすがる腕をのばした。苦痛に体と意識が一瞬覚醒したが、覚醒の分、押しよせてくる快楽をより深く味わっていた。ここまで押し上げられた今、苦痛すらもひとつの快感でしかない。
 魔物が胸元に顔をふせ、血のにじんだ乳首を舌の腹でなめあげる。ギンジャシャの血を味わいながら、その手がギンジャシャの牡をゆっくりとしごきあげた。牡の内側と根元ではまだ髪がうごめき、ギンジャシャを追いつめつづけている。
「普通は、もう気が狂う」
 もう狂っているのではないかと、魔物の背に腕ですがりつきながらギンシャシャは思った。そうでないなら、このまま狂わせてほしかった。人の体温を持たない魔物の体を抱きしめ、荒い息をついて快楽に耐える。自分ではもうどうすることもできない。このままどこまでも蹂躙して、むさぼりつくしてほしかった。
「ギンジャシャ」
 名を胸元で囁かれると、全身がぞわりと反応した。
「‥‥お願い、だ」
 喘ぎながら、やっとのことでその一言だけを口にする。魔物が唇をなめながらギンジャシャをのぞきこむと、ひどく人間くさい表情で小首をかしげた。思わずギンジャシャは手をのばして魔物の美しい顔を指でなで、自分の顔をよせながら、動かない魔物に無防備なくちづけを与えた。
「あなたが、ほしい」
 くちづけの合間に、かすれた声で囁く。魔物は唇をゆるくひらいたままギンジャシャの好きにさせていたが、その言葉を聞くとギンジャシャの首に手をかけ、寝台へ叩きつけるように倒した。獰猛な目がギンジャシャの真上から貫くように射る。凄まじい力が渦巻くまなざしにただ圧倒されながら、ギンジャシャは逆らわずにその力が自分を呑みこんでいくのにまかせた。闇を受け入れ、体も魂も無防備にさし出す。
 かぶさってきた荒々しいくちづけに、ギンジャシャは自ら応じた。舌を絡め、どこまでも深く入りこんでくるくちづけを受け入れる。唇を強く噛まれて痛みとともに血の味があふれ出し、魔物はギンジャシャの口腔から唾液と入り混じった血をすすりあげた。
 ギンジャシャはのばした手で魔物の下肢を探り、牡に指を絡めてしごく。半ば勃ちあがっていたそれはたちまちにギンジャシャの手の中で固く屹立したが、肌はひんやりとしたままだった。息吹の通っていないこの肉体で魔物が快楽を感じるのかどうか、ギンジャシャはおぼろげに疑問を感じる。だが反応に愉しみながら、手の奉仕をつづけた。
 魔物は長い時間ギンジャシャの唇をすすっていたが、やがて顔を上げると、ギンジャシャの右手を自分の口元に引きよせた。人差し指と中指を口に含み、長い舌を絡めるように何度もねっとりとなめ上げる。指の間を舐め、指の腹を舌先でなぞり、深く含んでしゃぶる。その舌の動きにあわせるようにギンジャシャの牡の中に埋まったままの髪が執拗にうごめき、まるで牡の内側を舌で愛撫されているような愉悦に、ギンジャシャはすすり泣いて身悶えた。
 ギンジャシャの指から、魔物の唇に唾液の糸が引く。魔物はギンジャシャの目をまなざしひとつでとらえたまま、尊大に命じた。
「自分で慣らせ」
 声も出せないままうなずき、ギンジャシャは膝をついて寝台に起き上がった。ひろげた足の間に魔物の唾液で濡れた指をのばす。黒い瞳を見つめながら、ゆっくりと自分の後ろの窄まりをさぐった。魔物が、まるで彼を傷つけまいというような気づかいを見せたことにも驚き、一瞬、幸福ですらあった。滑稽なことだとわかっていたが。
 かつて、闇のものとの交合の前には、師が道具まで用いてギンジャシャの体をひろげておいた。深く傷つけられれば命にかかわるためであって、ギンジャシャのことを思いやってではない。やがて彼はその行為をギンジャシャ自身にさせて、己は見物するようになった。
 その時と同じように、見つめられながら自ら行う行為ではあったが、全身が火照るほどの昂揚があった。快楽に体をゆすりあげながら、ギンジャシャは奥の窄みへ自分の指をさし入れる。魔物の唾液は充分にギンジャシャの指を濡らしていて、1本目の指をゆっくりと呑みこませながら、彼は口をあけて喘いだ。
「ひ、あ、あ‥‥」
 たった1本の指が入りこんだだけなのに、待ちかねたように彼の体はそれを呑みこんで、屹立した牡のごとく指を強く締めつけていた。うねり出す快楽に応じたかのように、牡の中にもぐりこんでいる魔物の髪がゆるやかに動き、敏感なところを擦り上げる。深くさし入れた指を動かしながら、ギンジャシャは左手で自分の屹立をつかみ、荒々しくしごきはじめた。さらなる快感を求めているのか、快感の放出を求めているのか自分でもよくわからなかった。
 その手の上に魔物の手が重ねられ、ゆっくりと動かされる。ギンジャシャの指の上から冷たい指を絡めるようにして牡へ愛撫をくわえながら、魔物のひんやりとした唇がギンジャシャの顎から耳へ、唇の脇へとすべった。その仕種は、ほとんどやさしい。
 2本目の指をふやして、ギンジャシャは奥へと指をすすめ、きつい箇所を慣らした。牡へくわえられる幾重もの愛撫と、肌をすべっていく唇、自分の指が深いところをえぐる愉悦。たまらずに、目の前にある魔物の青白い首すじに顔を埋めてはがむしゃらなくちづけをくり返す。温度をもたない肌を幾度も愛撫していると、ほんのりとギンジャシャの熱がうつって、まるで魔物の肌が彼の愛撫で息づきはじめたかのようだった。
 ギンジャシャの牡を愛撫していた魔物の右手が動き、奥を慣らすギンジャシャの右手首をつかんだ。息を呑んで動きをとめた瞬間、長い指がギンジャシャの指の上から奥へねじりこまれる。
「ひうっ」
 温度をもたない、骨ばった指が、ギンジャシャの指がすでに満たした場所へ入りこみ、きつい圧迫感にギンジャシャは崩れかかった。だが魔物の左腕がギンジャシャの背をしっかりと抱きとめ、彼の首すじを舌で愛撫しながら、指を根元まで突き入れる。抱きしめられた体ごと容赦なく揺さぶられて、ギンジャシャは途切れ途切れの声をあげ、自分を抱く強靭な体へ左手でしがみついた。
 己の指だけでは届かない場所まで、長い指がさぐっていく。温度も気配も人間のものではない──それどころか生きるものの指ですらない。強い闇の力をまとった指が肉襞を擦りあげ、ギンジャシャの深みをつめたい温度で犯す。異様な感触に全身がわなないた。
 もう一度えぐるように動かされて、ギンジャシャは激しくのぼりつめていた。絶頂だけが体の内側で渦巻いて、またも出口はない。荒々しい声をたてて痙攣する体をしっかりと抱きこまれ、指でさらに奥を責められながら行き場のない快楽に翻弄される。しがみついた背中に爪をたて、かすれきった声で救いを求める哀願をこぼすと、首すじに笑う息がかかった。
 魔物の獰猛な笑いが周囲の空気をゆさぶり、ギンジャシャの体をゆさぶる。ずるりと指が抜かれ、同時にギンジャシャ自身の指も抜けて、ギンジャシャは悲鳴に似た呻きをあげた。
 背を抱かれたまま寝台に倒され、腰をかかえこまれた。体の奥にひどく切迫した飢えがふくらみ、彼は全身で魔物の存在を乞う。
 固い牡がギンジャシャにふれ、窄みをぐいとひろげながら、彼を貫きはじめた。それまでの愛撫とはくらべものにならない異様なざわめきが体の奥に乱れて、ギンジャシャは頭を左右に振った。汗に濡れた髪が頬にはりつき、口の中にまで入りこむ。吐き出すこともできずに口を限界まであけて、息苦しい胸を上下させながら必死で呼吸をくり返した。
 濃密な闇が体の内に満ちてくる。人ではない存在が彼をすみずみまで満たしていく。凄まじい圧力だった。ギンジャシャの魂がすみに押しやられ、小さく押しつぶされてしまいそうだ。だが快楽に溺れた体に牡を熱く締めつけ、ギンジャシャは我を忘れて相手の腰に足を絡めながら、もっと深くとねだった。もっと深く、深く。どれほど苦しくてもかまわないほどの快感だった。
 奥へ、深く。ひえきった魔物の体はどこまでも入りこんでくる。異様なほど深く。ギンジャシャの体を満たし、すべてを奪いつくすように満ちてくるものを、ギンジャシャはただ受け入れた。壊れそうなほど、体が、いやギンジャシャの存在そのものがきしむ。これまで経験した闇の魔物との交合などまるで比べものにならない、圧倒的な──ほとんど絶対的な、逆らいがたい異形の力が彼の内に充溢し、体だけでなく彼の存在そのものを犯していた。
「あ、あっ!」
 体の中の至るところで火花のような快感がはじけた。もうどれが絶頂なのかわからないほど幾重にものぼりつめながら、想像したことのないほど強大な闇に犯される苦しさに、ギンジャシャの目から涙がつたいおちた。もうとうに彼は限界をこえていたが、容赦なく体をゆさぶられるとまた深い愉悦に叩きこまれ、甘い声がかすれた喉からこぼれた。
 つながっているのが体なのか、それとも魔物の存在に己の魂そのものを貫かれているのか、もうわからなかった。両方、なのだろう。魂に受ける快楽と、体が感じる快楽と。人の意識はそれを別々に区別することができない。ただ倍の痛みと倍の快楽を一度に味わうだけだ。
 ずるりと、体の奥で魔物の牡が動いた。融けあっていたものが引きはがされるような異様な感覚に、また全身がわななく。わずかな動きだけでまた限界をこえ、ギンジャシャはのたうった。魔物の牡が引かれていくにつれ、体の、そして魂の深いところに空洞のようなうつろができる。だがそこには濃密な闇の気配が満ち、魔物の感触がべったりと残って、ギンジャシャに深々としるしをつけていた。
 そこにもう一度、魔物の体が満ちてくる。その動きはゆっくりだった。自分の存在が焼印のようにしるされたギンジャシャの体を、魔物は楽しむように時間をかけて深くえぐり、その一瞬ずつでギンジャシャは完全に彼に支配されていた。体も、魂も。
「まだ、耐えるか」
 耳元で笑うような声が囁いた。ギンジャシャは目をとじる。喘ぐ唇にやわらかなくちづけが落ちて、同じほどにやわらかな声がまた囁いた。
「お前の奥には、この塔の呪法につながる術が仕込まれている。取り除くことはできないが、わずかな時間なら封じてやれる。しっかりつかまれ」
 気のふれそうな快楽に酔いしれているというのに、その声はまっすぐにギンジャシャの意識の中央へとひびく。何を言われたのかはっきりとは理解できなかったが、ギンジャシャは命じられるまま自分にのしかかる体にしっかりと抱きつき直し、魔物はギンジャシャの唇にくちづけた。
 くちづけがひんやりとした波のように全身にしみ通る。その瞬間、肉体の奥で何かが砕け、まるで自分をとらえていた呪縛がほどけたかのように世界がしんと澄みわたった。ギンジャシャは目をみひらく。
 何もかもが鮮やかだった。夜の闇の色も、彼を見つめる魔物の目のひかりも、肌にふれる塔の空気の感触、背中にあたる敷布の襞、鼻腔をくすぐる汗の匂い、むっと自分の体からたちのぼる欲望に濡れた匂い──それまで感じていたものがすべて、想像もできないほどの鮮やかさでもってギンジャシャへせまる。感覚のすみずみまで瑞々しいものがあふれてきて、ギンジャシャは喘いだ。
 体と心の深いところに喰いこんでいた巨大な呪法が霧散し、抑えこまれていた五感がとめどなく解放されていく。曇っていた世界が無数の色をまとい、かがやきをおびた。
 常に重くのしかかっていた塔の圧力が失せている。はじめて、ギンジャシャは、自分こそが塔の呪法にとらわれていたことを知った。彼もまた塔の囚人だったのだ。
「見えるか」
「‥‥‥」
 言葉などないまま、ギンジャシャは魔物の問いにかすかにうなずいた。何が見えるというのではないが、すべてが見えてくる。彼の目からは覆われていた世界が。それまでの自分が盲いていたかのように、すべてが見えていた。すべてを感じていた。
 魔物のわずかな動きを、恐しいほど生々しく感じていた。自分の中にある命が脈打って、魔物の与える暗い快楽のひとつひとつをむさぼろうとしているのがわかる。締めつける体の奥にある、己の淫らな動きを感じる。それにこたえるような圧倒的な存在も。そこから生まれてくる快感の凄まじさも。
 感覚がばらばらになってどこまでも拡散してしまいそうで、自分を抱く体へ必死にしがみつくと、強烈な力で抱き返され、彼は我を忘れて長い呻き声をあげた。
 ギンジャシャの体を抱きこんだまま、魔物が彼の牡を手につつみ、指でゆるやかに撫でた。牡の根元を締めつけていた圧力が失せ、ギンジャシャは魔物の指にうながされるままゆっくりと絶頂に逹する。そり返った牡から精液がほとばしり、魔物のひんやりとした体に抱かれていた肌に、とびちった自分の精液がひどく熱く感じられた。
「あ、あっ──」
 容赦のない腰の動きに揺さぶられながら、ほとんど一瞬でまた押し上げられる。とても一度では吐き出しきれないほどの快楽の火照りが体の中に満ちていて、それは貪欲に、もっと深い解放を求めていた。牡の内側にもぐりこんだままの魔物の髪は、あふれ出す精液をさらに吸い上げるような刺激を牡の中から与え、擦りあげてくる。そのたびに目の前がくらんだ。
 魔物の荒々しい突き上げに、その場所だけでなく魔物の存在に満たされた全身が揺らぎ、解放された感覚のすみずみまで、新たな愉悦が次々と満ちてくる。無数の性感をえぐられるような快楽にとめどない声をたてながら、ギンジャシャは与えられるすべてをむさぼった。
 ギンジャシャを責めたてながら魔物が口をひらき、ギンジャシャの首すじに牙を深々とつきたてた。
 貫きとおった牙の痛みが全身を深く貫きとおし、ギンジャシャをはげしく揺さぶる。ギンジャシャの口からほとばしった悲鳴は快楽に甘く濡れていた。抱きこまれた腰を突き上げられ、痛みと愉悦に満たされながら、首すじに顔をうずめた魔物の頭を抱き、ギンジャシャは永遠につづくような絶頂の中で意識を失っていた。


 天井にたゆたうわずかな光で、また昼が訪れているのだとわかった。まばたきをくり返しながら目をあけたが、指先までも気怠く、動かすことができない。どちらにしても動きたくなどなかった。
 体中に魔物の感触がある。肌にうっすらともう1枚の肌が重なって、快楽の火照りをそこに残しているかのようだった。体の内にも、外にも。今この瞬間も抱かれているようなものだった。
 それは、体だけでなくギンジャシャの魂にくいこんだ快楽の記憶であり、魔物のしるしだ。この体が、魂が誰のものか、誰が支配しているのか、ギンジャシャにはっきりと思い知らせるように。
 何かがすぐそばで動いていた。胸につめたいものがふれ、頭をごろりと横に倒したギンジャシャは、彼の胸元にかがみこんでいる魔物の姿を見る。目ざめているのを知っているのか、魔物もギンジャシャを見ていた。美しい唇からのびた牙の先端がギンジャシャの左胸の上にくいこんで、ちりりと焦げるような痛みがはしった。
 ギンジャシャがじっと見つめる前で牙はゆっくりと肌にくいこみ、するどい痛みと熱い刺激が、心臓の真上から骨の芯まで沁みこんでくる。これほど疲れていなければ、牙が自分の肌を喰いやぶって肉に沈みこむ感覚だけでギンジャシャは達してしまったかもしれなかった。
 半開きの唇からかすれた喘ぎをこぼしながら、ギンジャシャは魔物が彼の心臓に牙をたてる姿を見つめていた。自分の体の中に牙があることが、つめたい感触ではっきりとわかる。
 牙のくいこんだ傷から、魔物は彼の中にある何かをすすり出していた。舌がぴちゃぴちゃと肌の上でたてる、少し淫らな音を聞きながら、ギンジャシャは痛みと快感の中でぼんやりと微笑した。何を喰われているのだろう。血か、精気か、それとも魂そのものか。何でもよかった。どれほどむさぼられてもかまわない。このままここで肉を喰われて骨になるとしても、ギンジャシャがこの圧倒的な存在に何かを与えられるということだけで満足だった。
 どれほどの時間がたったのかわからなかったが、やがて魔物は顔をあげ、見つめているギンジャシャに唇をよせてやわらかなくちづけをした。
「人の魂が歓びでかがやくのを知っているか? お前の光は美しい、ギンジャシャ。だからこそ闇がお前を好んだのだろうな」
 くちづけの合間に囁かれた声は、肌がぞくりとするほどやさしかった。ギンジャシャは目をとじて自分を弄う舌を受け入れていたが、唇が離れると、かすれ声ですがった。
「殺してくれ‥‥残らず喰ってくれ」
「それが望みならたやすいことだ」
 かるく睫毛を動かしてそう答え、魔物は起き上がると、ギンジャシャに手を貸して彼を寝台に助け起こした。格子の向こうからあふれ出すような陽光が部屋の半ばまでさしこんでいる。その光などまったく苦にしない様子で黒髪をかきあげ、優雅に微笑した。
「だが私は人を喰うのは好まん。お前のためならやってもいいが」
 また深いくちづけ。今度はギンジャシャが求め、魔物は応じて深くむさぼった。
 荒い息をつきながら魔物の肩に頬をよせ、抱きついて、ギンジャシャはふいにこみあげてきた涙をこらえた。また以前のように、体の奥底に塔の呪詛と呪縛が根を張っているのを感じた。昨夜の解放は一瞬のことだ。その鮮やかな記憶が夢かと思うほど、今の彼の体はあまりにも重かった。
 この魔物でさえ外せないほど深く、塔の呪縛が彼をとらえている。塔の呪法の一部となるようにギンジャシャは育てられ、生まれた時から封じのための呪法を体の奥に練りこまれた。もはや呪法は彼と同化していて、自分ではまるでその区別がつかない。魔物がああして見せてくれなければ、深く自分を縛りつけているものに気づくこともなかっただろう。
 自分もまたこの塔の囚人なのだと、今となっては悟っていた。いや、もはや彼だけが囚人なのだ。この塔から離れては生きていけない──塔は彼を逃がすまい。死ぬまでこの街とこの城で塔の呪法に仕え、死んでからは呪法に喰われて、この闇の中で永遠に魂をむさぼられる。
 そんなことに耐えられる気がしなかった。塔の闇にうごめく無数の魂の中で、いったいどれだけが囚人のものであり、どれだけがギンジャシャのような術の贄だったのだろう。
 魔物は両腕をギンジャシャの背に回し、すっぽりと彼の体を抱きこんだ。陶酔の吐息をこぼして身を預けるギンジャシャを強く抱き、耳元にくちづける。
「自由になりたくないか、ギンジャシャ」
「‥‥呪縛は外れない。あなたにも、外せなかった」
「外せば、お前が死ぬからな。この塔を壊して術を粉々にしてやってもいいが、やはりお前は死ぬ」
 静かな魔物の声は、考え深いひびきを帯びていた。
「方法がひとつある。鍵を探せ、ギンジャシャ」
「鍵‥‥?」
「術の鍵だ。誰か、生きている人間がこの術の鍵となっている。あの男かと思っていたのだが、あれだけではなかったようでな」
 ギンジャシャの師匠のことだろう。ギンジャシャははっとして言葉をはさもうとしたが、魔物はなめらかにつづけた。
「別に術を持つ者がいる。その人間を見つけてここにつれてこい、私がそいつに術を返してやる。それで呪縛を外せる」
 ギンジャシャは息を呑んだ。まるで魔物は、まだ自分がこの塔に残るかのように話している。
「逃げないのか?」
「逃げる?」
「あなたはもう、自由で‥‥」
「もともとそうだ。今、棲み家を変えるような不都合はないが」
 ふいに笑いがこみあげてきて、ギンジャシャは魔物の首すじに顔をうずめながら首を振った。魔物をとらえたと信じていたのは人間の方だけで、魔物は一度たりとも「とらわれた」ことなどないのだった。人間たちが周囲で右往左往している様を眺めて、彼なりの眠りをむさぼりながら、魔物は結構楽しんでいたのかもしれない。
 この長い年月ずっと、塔に捕われていたのはギンジャシャの方であり、ギンジャシャだけだった。何ひとつ気づかぬまま、魔物を捕えていると信じながら。自分が滑稽だった。
「鍵を、どうやって探せばいい」
「その方法はお前が見つけ出せ。私のやり方は人間には使えないからな」
「だけどどうやって‥‥」
「だから、人間のやり方は人間が探せ。お前も法術とやらを学んでいるだろう」
 そうは言っても、ギンジャシャ自身は術を体に入れて保つことばかりに必死で、術の本質を学ぶようなことはあまりしていなかった。そのことに、ギンジャシャは半ば呆然とする。塔のために仕え、塔の呪法を学びとりはしたが、自分の体の中に据えられた呪法の核の正体すら、一度たりとも考えたことなどなかった。
 塔の呪縛からはのがれたい。だが、そんなことが彼にできるだろうか。知識を溜め、術の正体をさぐり、それにつながる「鍵」を持つ者を探し出す──
「ギンジャシャ」
「‥‥わかった」
 自分を呼ぶその声に、一瞬で満たされる。やるかやらないかだけであって、この選択に中間はないのだとわかった。
 ギンジャシャがうなずくと、魔物は褒美を与えるように彼の唇をむさぼってから体を離した。全裸の体を優雅にのばし、獣のようにしなやかな足を放り出すように、寝台の柱へと気怠くよりかかる。
 獰猛で美しい動きに目をとられないようにしながら、ギンジャシャは床に落ちた自分の服を拾い上げた。やせた自分の体がみすぼらしく思えて、急いで服をまとおうとしたが、じっとまなざしで追われているのが肌のざわつきでわかって指が震えそうだった。愛撫を受けているかのように、肌がしっとりと汗を帯びる。体の深いところに充足感はあったが、それが今にも飢えにかわりそうで恐しくもあった。
 どうにか長衣の袖を通し、留め紐を結びあわせながらちらっと魔物の方を見る。闇の力が満ちあふれたその姿は美しいが、それが彼の正体ではあるまい。この美しさがまやかしかもしれないと思うと、少し残念だった。
「本当は、どんな姿なんだ?」
 おずおずとした問いに、魔物は薄い唇のはじをゆっくりと持ち上げた。
「そういうものはない。我らの棲む場所は人の棲む場所とは異なるのでな、もともとお前が思うようなはっきりとした形をとることはない。そのままではお前たちの世界にも入れんが、水に影をうつすようにして現れることができる。だが、こんなふうに人の目に見える殻をまとっておらねば、たとえ目の前にいてもお前に私は見えないだろう」
 魔物の話を聞きながら、ギンジャシャはぽかんと口をあけていた。まさか、これは魔物というより一種の神なのではないだろうか、という畏怖がよぎった。人の世界に棲まず、うつろな形をまとって人の前に降臨するものたち。圧倒的な力で時に人を支配し、殺し、救う存在。
 ギンジャシャの顔を眺めていたが、ふいに魔物は笑みを深くした。
「だが、本性に近い姿というものはある。そのうちお前をそれで抱いてやろう、ギンジャシャ。お前の魂が決して私を忘れないようにな」
 体の奥で生々しい欲望がねじれるのを感じ、ギンジャシャはかすれた呻きをこぼした。こらえきれず、手と膝で這うようにして寝台の上を近づいたギンジャシャを、魔物が両腕に抱きとった。長衣につつまれた体を抱かれているというのに、ほとんど素肌を愛撫されているような快感にギンジャシャは目をとじ、魔物の首すじに唇を這わせる。ひやりと熱をもたない肌を感じるだけで、奇妙なほど満たされた気持ちになって両腕を魔物の背に回した。
 罠に落ちたのかもしれない、と思う。塔よりも深々とした闇にとらわれてしまったのかもしれない。だが目の前にいる存在が何であろうとかまわなかった。たとえいつか喰われようとも、闇に呑まれようとも。
「‥‥あなたの望みは? 俺の魂か?」
 ならばさし出してもよかった。今、この瞬間に。
 ひんやりとした指先が、ギンジャシャの額をなでた。
「その解放だ。お前には見えないだろうが、お前の魂に黒い鎖がついているのはひどく兇々しい。私は好まん」
「‥‥‥」
 その言葉は本気のように聞こえた。もしかして、とギンジャシャは思う。魔物が彼の師匠を殺したのは、ギンジャシャの奥にある呪縛の「鍵」を解くためだったのだろうか。彼から術を外すために。だが師匠だけがギンジャシャの鍵ではなかった。
 顔をあげ、ギンジャシャは自分をのぞきこむ漆黒の瞳を見つめた。まなざしの向こうにひろがる無限の闇はおだやかで、それでいながらひどく獰猛なものをはらみ、塔の闇とはちがう恐しさでギンジャシャを見据えている。
 これは人ではない。いつかその本性を見せてギンジャシャのすべてを引き裂くかもしれない。塔の呪縛からのがれたとしても、また別の闇に落ちるだけなのかもしれない。
 魔物の手がギンジャシャの額にかかる髪をかきあげ、額に唇でふれた。
「もう戻れ。私をとらえているつもりの者たちのところへ。そして鍵を探せ。もしお前が自由になりたいと望むなら、な。そうでないならば、二度とここに姿を見せるな」
 ギンジャシャは長い時間、魔物を見つめていたが、やがて互いに抱擁をほどくと、静かな動作で立ち上がった。
 道はふたつ。どちらも闇へとつながっている。だがもう心は決まっていた。
 

 魔を封じる城として名高い城が、その奥に建つ封じの塔とともに瓦解したのは、それから12年という年月がたってからであった。何を封じていたのか最後まで謎とされたまま、人はただ、それが塔にひそむ死霊の報復であると噂した。
 そして、塔の呪法を一手に引き受け、半ば塔で暮らしていた闇の呪法師の姿も消えた。塔とともに四散したか、地割れに呑まれたか、その骸が見つかることはなかった。
 永劫に、この地上のどこにも。
 塔が崩れ落ちる直前、巨大な翼が塔の最上階から夜の空へとはばたいて消えていったのを見たと噂する者はいたが、信じる者はいなかった。だがそれが事実であったこと、その腕に人影が抱かれていたのを知る者はいない。それが骸であるのか生きていたのか、それを知る者もこの地上にはいなかった。

END

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