2. 導きの聖剣

 その町に足を踏み入れた瞬間、ヴァリスは異変に気付いた。街道の横に立っている町の境界石を通りすぎたところで、数人の男達がいきなり襲いかかってきたのだ。
「ちっ」
 舌打ちしながら身をかがめて棍棒を頭上にやりすごし、彼は足下から拾いあげた石を宙に打った。
「わっ」
 大声をあげて、木の影にいた少年が弓を取り落とす。ヴァリスは左手でつかんだ砂を宙にばらまいた。短剣を持った男の顔にまともに砂がぶつかり、目に入ったのか、その場にうずくまる。
 ──あと二人。
 最初の棍棒男が大声をはりあげてとびかかってくるのを軽々とよけ、ヴァリスは男のみぞおちに靴先を叩き込んだ。どう見ても素人なので剣を抜くのはためらわれたのだが、相手の動きが思ったより遅かったので予定していたよりいい場所に蹴りが入ってしまい、男がさっき食べたらしい昼飯が宙に舞う。
(人を襲う直前に腹いっぱい食うなよ)
 またも舌打ち。最後の一人はうろうろと、細目の棍棒をすりこぎのように両手で握りしめて右往左往している。いや、よく見るとそれはまちがいなくすりこぎだ。どういうつもりか、頭の上には小さな鍋を逆さにしてかぶっていた。
 ヴァリスは手の埃を払いながら、男をにらんだ。
「町の領界内で追い剥ぎたぁ、境界石の下に埋められたいか?」
「いや‥‥その」
「どうしたよ、かかってこいよ」
 ずん、とわざと大きな足音をたててつめよってやる。上背も体格もあるヴァリスの勢いに色を失って、相手は鍋をかぶったままその場に土下座した。すりこぎを目の前にうやうやしくかかげながら、土に額をすりつけんばかりにする。
「ようこそっ、ようこそおいでくださいました! この聖剣に恐れをなさなかった勇者さまはあなたさまがはじめてでございます。お待ちしておりました!」
 その声は喜色に満ち満ちていた。ヴァリスは天を仰ぐ。
 ──あいつめ。


「この森の中に、今はうち捨てられた古い砦がございましてな。そこに怪物が巣喰ったのが25年ほど前のことでございました」
「にじゅうごねん、ねぇ」
 角の杯に注がれた山羊乳の酒をがぶのみしながら、ヴァリスは口のはじでおうむ返しの相づちを打った。25年。前回は「200年」とかだったが、ヴァリスに「数が多けりゃいいってもんじゃねぇよ」とののしられてから少し期間を短くしたらしい。意外と単純。そういうところは妙に飲み込みがいいというか、柔軟なのだが。
「それからずっと、お待ちしておりました。あの兜と聖剣を持った者に、恐れず立ち向かう勇者を!」
 時代がかった大仰な仕種で振られた手の先には、鍋をかぶってすりこぎを持った男がにまにま笑って座っていた。
 一瞬おいて、ヴァリスは「はぁ」と気の抜けた返事をした。天井をあおぐ。部屋の中央のかまどで鉤から吊るされた肉が焼け、炎に滴る油の煙がもうもうと上にたちこめていた。
 無礼な反応を気にした様子もなく、長老は熱心にヴァリスにつめよる。
「これまで数多の旅人に挑んで参りましたが、誰もがあの恐ろしい剣と兜を見ると逃げていってしまうのです。あれを恐れぬ者こそ、怪物を倒せる勇者にございます!」
「‥‥参考までにうかがいたいんだが」
 酒を飲んで、ヴァリスはぷはっと息を吐いた。少なくともこの酒は悪くない。そばに膝をついた娘がすぐさま杯に酒を満たした。
「それは誰が保証したんだ?」
「10年前にこの地をおとずれた徳の高い賢者さまが申された言葉です」
 誇り高く、にこやかに、老人はこたえた。
 10年前。やけに数字のキリがいい。手を抜いたな、とヴァリスは思った。
「その10年前とやらに、あの──兜と剣」
 鍋とすりこぎと言いそうになって、うっかり舌を噛んだ。
「それもそいつからもらったんだな?」
「お分かりですか!」
 喜色満面にうなずいて、長老はずずいっとヴァリスににじりより、酒杯ごと彼の手を両手でつつんだ。
「あなたならあの怪物を倒せる筈! あれを倒し、我等の苦難の月日を終わらせ、さらわれていった娘たちを取り戻してください!」
 部屋中の人間が彼と長老を取り巻き、その場に伏して額を床にすりつける。ヴァリスはぐるっと目を回し、また天井を向いた。梁の中を鼠が駆け抜けていく、その細い尻尾がちらりと見えた。


「あはははははははは」
 鍋をかぶり、すりこぎを持ったヴァリスを見た瞬間、古い友人は指をさして笑いだした。
「似合う、似合う! なんて鍋の似合う男なんだ、お前は! ははははは!」
「‥‥殺す」
 ぼそっと、ヴァリスはつぶやき、右手のすりこぎを床に捨てると背中に負った鞘から長剣を抜き放った。長老は、「聖剣を持っているのだからそんな鉄の剣など置いていきなされ」と言ったのだが、いくらなんでもすりこぎだけを手にして丸腰で歩く、というのははばかられた。この砦は森の中にあって、鬱蒼たる道中に獣が出ないとも限らないのだ。
 相手は、怯えた小動物のように目を大きくして、体をふるわせてみせた。
「しばらく会わないうちに、野蛮人になったなぁ。いいよ。斬れるもんなら斬ってみな」
「‥‥」
 芝居なのは重々承知だが、ヴァリスはむっつりと剣を戻し、頭にかぶったままだった鍋を取ると相手に差し出した。
「お前のだろう。返す」
「あの村のパン屋のだよ。かぶってればいい、似合うよ?」
「返す!」
「パン屋の娘がきていたと思うから、後で持って帰ってもらおうか」
 のんきにつぶやいて、友人は怒り狂う寸前のヴァリスの手からそれを受け取った。その言葉で、ヴァリスは村で聞いた──聞かされた、おだやかならない話を思い出す。
「お前、娘を大勢さらってきたそうじゃないか。何をした? どこにいる?」
「こっちだ」
 鍋を胸に両手でかかえ、ローブのはしを翻して、ほっそりとした姿はすべるように扉を──かつて扉があったであろう、崩れた壁の穴をくぐった。
 廊下にも壁や天井の落ちた瓦礫が積み上がり、陽の入るところには草が生え、陽の当たらないところには黴びが生えている。残った天井のすみからはからまった糸のような蜘蛛の巣が垂れて、かかった羽虫を大きな女郎蜘蛛がぐるぐる巻きにしているところだった。
 廃虚を歩き続ける友人の後に、ヴァリスが付かず離れずついていく。崩れて通れない廊下を幾度も迂回した先から、鈴を鳴らすような笑い声がきこえてきた時には、ヴァリスは蜘蛛の巣と埃だらけになっていた。外を歩いていたほうがよっぽどましだ。
 足をとめた友人が、柱の影からのぞいてみろと合図する。ヴァリスはひょいと顔を出して、広間──いや、広間らしきもの──をかろやかにかけまわる娘たちの姿を見た。
 村から「怪物にさらわれてきた」娘たちだろう。5人いた。なにやら草のつるや花で体を飾り付け、ぼろ布のようなものをひらひら振って、輪になって遊んでいる。
「舞踏会やってるらしいよ」
 と、友人がのほほんとした口調で説明した。床に点々と置いてある蝋燭をヴァリスが指さすと、にっこり笑って、
「シャンデリアのかわりだ。雰囲気出さないとね。術の効き目って、こういう小道具があるとわりとちがうんだよ」
「‥‥踊らせとくくらいなら、少し掃除させたらどうだ」
 娘たちが安全なのを見て、ほっとしたヴァリスは文句を言う。友人が娘をさらって悪さをしかけるような、いわゆる「悪人」でないのはわかっているが、どうも彼には人の常識が及ばないところがあって、そのとりとめのなさが時おりヴァリスを不安にした。
 友人は大仰な溜息をついた。
「最近の若い子って、わがままでねぇ。掃除は厭なんだってさ」
「お得意の幻術で脅したらどうだ」
「もう脅した。汚物まみれの城を見せてみたら、ちぢみあがったけど、絶対掃除はやらないって。かえって意固地にさせちゃったよ」
「‥‥なんでそんなもの見せたんだ」
「想像を絶するほど汚かったら、掃除したくなるかなと思って。母性本能にうったえかけようかと」
 その前に生理的嫌悪感をかきたてていては世話がない。ヴァリスは歩き出した友人の後ろ姿を見ながら、口の中でそっと溜息を殺した。この、端正で年齢不詳の姿を持った友人は、とんでもないほど巨大な力をかざして平然と人の心を操るくせに、女心にとんとうとい。いや──おそらく、男心‥‥にも。
「まあ、若様!」
 娘のひとりが踊りの輪から外れて、満面の笑顔で友人に駆け寄った。友人が手に持った鍋を差し出すと、目をきらきらと光らせて、胸の前で両手を握りしめる。
「その冠を私に?」
「ええ。どうぞ」
 ひょいと鍋を娘に渡した。ほかの娘たちも集まってきて、「まあ!」とか「なんて美しい!」「これは翡翠ね!」などとうっとりと鉄の鍋を見つめている。
 娘はうれしそうに鍋をかぶろうとしたが、重みで首が少しぐらついた。
「‥‥若様、これ、重ーい」
「あなたにはまだ重いようですね。それは、ご両親のところに持って帰って贈り物になさい。私からです」
「まあ!」
「ずるーい!」
「えっ、もう帰るの?」
 甲高い声が交錯し、娘の一人が靴の先で蝋燭の一つを蹴った。ヴァリスは一瞬、娘の服の裾に火がうつるのではないかとひやりとしたが、友人がそっと数歩動いて、倒れた蝋燭を足の下に踏み消した。
「帰りたくないですか?」
「こんなきれいなところ、帰りたいわけないじゃない」
 壁の絵はすべて崩れ、漆喰の下から石や木組みがむき出しになった埃だらけの広間で、5人の娘たちは熱狂的にうなずいた。
「父さんと母さんもここにくればいいんだわ! みんなで踊りましょうよ」
「ええ、今度ご招待いたしますが、今はひとまずご両親にそれぞれ贈り物を持っていってさしあげなさい」
 おだやかな声で言いながら、友人が何かを一人ずつに渡す仕種をする。どう見ても手には何もないのだが、娘たちはそのたびごとにきゃっきゃと声をはずませ、幸せそうな笑顔で礼を言い、粗末なスカートのひだを持ち上げて淑女のように腰をかがめた。
 全員で手を取りあい、蝶番の外れた扉から出ていく娘たちを、ヴァリスは無言で見送る。娘たちの様子から、「何か」が彼女たちを先導しているのが見て取れた。見目のいい青年でも護衛についているのだろうが、あいにくとヴァリスには見えない。もっとも、友人の幻術ならば獣にも通じる筈だから、彼女たちの帰路は安全だった。
 彼女たちの足音が消えると、友人がにっこり笑って彼を振り返った。


 子供のようにあけっぴろげな笑顔に呆気にとられたヴァリスへ、友人は両腕をひろげて駆け寄ってきた。一瞬だけ、こいつのこういうところが可愛いな、とヴァリスは思う。
「ほんとに久しぶり!」
「ええいやめんか、うっとうしい!」
 抱きついてくる腕を引きはがし、なおもへばりついてくる体を自分からひっぺがしながら、ヴァリスは声を荒立てた。
「お前、もうこういうの、やめろよな!」
「やだ」
 耳元でそう囁いて、友人は二歩ほどの距離で背をのばして立った。ひっついているよりはいいが、ヴァリスの快適距離には少し近すぎる。その距離から、彼はヴァリスの目をのぞきこむように見つめた。いつも口元にある笑みは拭ったように消え、その顔は真剣だった。
「でもやっぱりまた失敗した。やっぱり、お前には俺の術が通じない。砦に入ればいけると思ったのにな。今回、結構がんばったんだけどねぇ」
「術がかかったらどうする気だよ」
「決まってる。あーんなことやこーんなことだ」
 ヴァリスは大きなため息をつくと、ぐしゃぐしゃと髪をかきまわした。
「なぁ。いい加減、ほんとにこーゆーの、やめないか?」
 彼の表情を見て、友人は少し不安げな目をした。
「鍋かぶるの、そんなに厭だったのか?」
「ちがう。だから──そうじゃない。わからないのか? お前は、どうしていつもいつも人を自分の思い通りにあやつろうとばっかりするんだ」
 友人は目を細め、首をかしげた。優雅な仕種だ。いつも幻影をもう一枚の肌のようにまとっているこの友人の素顔を知っているのは、今ではほとんどヴァリスだけだった。「姿をころころ変える」彼は小さな頃から忌み嫌われ、恐れられ、他人の悪意から逃れようとさらに幻術を使い続けるという悪循環に陥ったまま、彼は大人になってしまった。
 子供のころから、ヴァリスだけはなぜか幻影にまどわされることなく、彼の素顔も泣き顔も見ていた。だがそれを知っていたのはヴァリスと友人だけだ。友人がヴァリスに口止めした。知られたらきっとお前も嫌われる、と。そして誰にもそのことを言わないと、必要以上に自分に親しげに接しないと、ヴァリスに誓わせた。大人になって、自分自身を自分の力で守れるまで。
 ──あんな誓い、破ってしまえばよかった。
 ヴァリスは胸の中で昔の自分を八つ裂きにする。誰に嫌われても、この友人をかばってそばにいるべきだった。彼を孤独にするべきではなかった。そうすれば、もっと──
「あ」
 友人が顔をしかめ、ヴァリスの鼻先に指をつきつけた。
「お前、また俺をかわいそうに思ってるな? 俺は幸せだよ。何でも思い通りになる。何でも手に入る」
「今どきの娘に掃除一つさせられないやつが?」
 そうは言ったが、友人の言葉後半が豪語でないことを、ヴァリスは知っている。掃除だって、本気でさせる気になればわけもないだろう。どんな幻影でも、どんな大勢にも見せられる。ほしいものを手に入れることなど、彼にはたやすい。
 たやすすぎるのだ、おそらく。そんなふうに手に入れることが、当然かつ唯一の手法になってしまうほど。ほかに、他人に対する接し方を思いつかないほど。だから彼は、馬鹿のひとつ覚えのように、その力を使ってヴァリスを手に入れようとしつづける。
 友人はほっそりした肩をすくめて、額にもつれた髪をかきあげた。その唇には美しいが悲しげな微笑があって、ヴァリスはそれをむなしい思いで眺める。淋しいのなら淋しいと言えばいいのだ。こんな方法で呼び寄せようとしないで。
 しみじみと、友人は首を振ってつぶやいた。
「俺が本当に掃除をさせられないのはお前だけだよ、ヴァリス。お前は俺の言うことなんか何も聞いてくれない。いつも怒ってばかりいるし」
「それはお前が、俺をあやつろうとするからだ」
「何が悪いよ。どうせ効かないんだからお前には関係ないだろ。あー、お前だけが思い通りにならない。俺、とってもがんばってるのにさ」
 やっぱりこいつはわかってない──
 ほかの人間をあやつってヴァリスを呼び寄せることと、ヴァリス本人をあやつろうとすることと、根本は同じなのだということが、どうしても彼には理解できない。他人の意志をかえりみず、ただ己のしたいようにだけふるまうことしか知らない男だ。
(‥‥いつになったら、お前はわかるんだろうな)
 投げやりに片足をぶらぶらさせている友人を眺めて、ヴァリスは胸の内だけでひっそりと呟く。あと何回、こんなことを繰り返すのだろう。いつになったら彼は、わかるのだろう。ヴァリスを手に入れることなど、術を使わずともただ一つの言葉だけで可能だと。
(俺がどれほどその言葉を、そして同じ言葉を返せる日を、待っているのか。‥‥わからないだろうな)
 ──それまでは。
 片手をのばして、ヴァリスは乱暴な仕種で友人のこめかみをこづく。遠い昔からかわらない、ぶっきらぼうな愛情のこもった手で。
「とりあえず、鍋はもうやめろ」
「じゃあ、次やってもいいんだな?」
 ぱあっと顔色が明るくなって、友人はにっこり笑う。こいつは永遠にこのままかもしれないなと思いながら、ヴァリスは日の光が大きくさしこんでくる天井を仰いだ。それでも、自分はつきあい続けるだろう。これまでずっとそうしてきたように。


[END]

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