嫌な予感はしていた。オギがうれしそうに道を走ってくるのを、宿の窓から見つけた時に。
大柄な体に似合わぬすばやさで通行人や物売りや水運びを右へ左へ避け、背負った大剣と手槍の革鞘と腰に下げた鉈やナイフを揺らし、肩まであるくせの強い金髪をたてがみのようになびかせて、男は遠目にもうれしそうに疾走している。
子供に行き当たりそうになったが、その上を身軽にとびこえた。
オギは、大半の男よりも頭一つ近く大きく、体もたくましい。それが猛烈ないきおいで走ってくるのだから、その迫力たるや、馬車馬が駆けてくるようなものだ。気がついた通行人は必死によけようとするが、オギの方が早い。ほこりを蹴立てながら人ごみをすばやくすりぬけ、たちまち宿の屋根の下へ駆けこんで消えた。
セイウェンは、窓敷居に座りこんだまま立てた膝に頬杖をつき、ミントの葉を噛みながら、少しのあいだ考えこんでいた。
オギは、右手に何か持っていたような気がする。それが何かを見定める時間はなかったが。
武器のたぐいではなさそうだ──オギは、武器が大好きだ。変わった武器を買いこんでは、乱暴に使い倒している。だが、この街の鍛冶屋にオギを誘惑するようなものはなかった筈だった。
袋や荷物のたぐいにも見えなかった。オギの手の先で、さっきのものはやけにひらひらしていたような印象がある。布か、紙か。
──紙?
セイウェンは眉をよせた。何か、前にもこんなことが──あったような気がする‥‥
それ以上考えるより、続き部屋の扉がいきおいよく開く方が早い。ほんの数秒で宿屋の階段を三階まで駆けのぼったくせに、オギの足音はほとんど聞こえなかった。
扉を乱暴に後ろ足でしめ、オギは部屋を大股に横切って、いきおいよくセイウェンのいる部屋へ入ってくる。
「セイウェン!」
「おかえり。一体──」
何の騒ぎ、とつづけようとしたセイウェンの前で、オギは右手に持ったものをひらりと振り回した。
「セイウェン、北だ、北に行こう!」
満面の笑みを浮かべ、灰色の目をきらきら光らせているオギを、セイウェンは見上げた。オギの右手に、長い巻物の一部が握られている。
やっと思い出した。前にもたしかに同じことがあった。
「‥‥オギ。また、地図を買わされたね?」
「買わされたんじゃない、買ったんだ」
「どこで」
「ガラキの盗賊市だ」
オギは胸をはって答えた。セイウェンが敷居に片手を置いたまま、ぽんと体を宙に一転させ、オギの前へ両足をそろえて着地する。
「盗賊市があるなんて言ってなかったじゃないか!」
「俺もさっき聞いたんだ。宿り木の酒場で、いっしょに酒を飲んでいた相手から」
セイウェンは、腕組みしてオギを見上げた。オギはうれしそうに説明を続ける。
「それで、ヤツが割り符を持っているって言うから、いっしょにつれてってもらってさ。公衆浴場の奥の個室で、取引をした」
「‥‥‥」
「ほら、見てみろ、水晶の牙のありかの地図だ!」
「‥‥‥」
オギは今にも踊りだしそうな足取りで、丸テーブルを部屋の中央へ引きずり出して据え、卓上に自分が握りしめていたぼろぼろの皮紙をのせた。
それは古びてあちこち穴が開いた皮紙で、四方はちぎれ、ちぢんで文字もかすれている。ほとんど灰色に退色した羊皮紙には、たしかに地図らしきもの──の一部──が描かれていて、奇妙な模様がひとつやけに目立つ位置にしるされている。
オギがそれを指さした。
「ここだ、ここ!」
「‥‥‥」
セイウェンはじっと地図を見下ろしていた。窓を背にしているので、赤みが強い褐色の目が、今はほとんど黒く見える。涼しげなその目をほそめた。
オギはうれしそうに説明を続けている。
「ここからたどっていけば、必ず竜の道が見つかるはずだろ。ここがギルフェの街道だから、明日から北に発って、アリンデラの半島から北に向かう船に乗って──」
「オギ。これ、どんなふれこみで買った?」
「ん?」
オギは話の腰を折られてきょとんとしたが、セイウェンを見下ろし、にっこりして答えた。
「ラクェス第三王朝の末裔が、王都炎上の際に持って逃げた地図の写しの一部だそうだ。ほら、あの王朝は竜族の血を引くという伝説があって──」
「竜の財宝のありかを知っている、と。‥‥子供のおとぎ話じゃないか。そんな話、三才の子供くらいしか信じないよ」
セイウェンは溜息をつく。オギがムッとした。
「だって、お前、見ろ、これラクェスの印章だぞ。しかもこんなに古びてボロボロになった地図だ。盗賊が金持ちのお宝の中で見つけたって──」
「そんなに古い地図なら‥‥どうしてここに新王代の文字が入ってんの」
セイウェンは指先で羊皮紙の一部をはじいた。ラクェス第三王朝と言えば、300年以上前に滅亡したと言われる王朝だ。それなのに、地図には120年前に成立した新王代の文字が入っている。
オギが眉をよせて、地図をのぞきこんだ。
「そうなのか? この文字?」
「ここの字ね。新王代のキリエン王がその祝いのために文字をひとつふやした時の、新字。‥‥初歩だよ、イカサマ見抜く時の」
「イカサマ?」
「そ。多分、明礬で紙を傷めて、古びたように見せて、売りつける。やったことあるんだ、昔」
言いながらセイウェンは壁の鉤から袖なしの裾の長い上着を取って羽織り、放り出してあったサンダルを手早く履いた。ちらっとオギへ目をやる。すぐに後悔した。
オギは見るからにしょんぼりとして、いつもの陽気さはしぼんだように失せ、肩をおとして地図を見やる姿は指一本で倒れそうだった。
目をそらす。同時に、腹の底から煮えるような怒りをおぼえた。オギは、とにかく竜に関する話に弱い。蝶にとびつく猫のようなものだ。だますのは赤子の手をひねるようなものだったにちがいない。
(人の弱みを──)
「行こう、オギ。まだ奴ら、そこにいるかもしれないよ」
険のある声で言い放ち、セイウェンは腰の後ろの短剣と折りたたんだ革紐をたしかめて、扉からとびだした。二段抜かしで宿屋の階段を駆けおりる。一階、酒場兼用の食堂の、半分ほど席の埋まったテーブルの間を抜けて行く。
オギの気配がすぐうしろに追いついた。
肩ごしにセイウェンがたずねる。
「どこの風呂」
「円形浴場」
市内に大きい公衆浴場は三つある。うなずいて、セイウェンは表へとびだした。走り出す。頭をつつんだ薄青の布をなびかせ、機敏に人の間を抜けて速度をあげた。
後ろ姿を見送って、オギは一瞬感嘆の表情をうかべた。セイウェンは“舞い手”独特のしなやかな身ごなしで、風のように走り抜けていく。青年はオギを半分だけ振り向いて、澄んだ声で呼んだ。
「オギ!」
うなずいて、オギはセイウェンを追った。
この地方は地熱のせいか、熱泉が多い。それを引いた浴場もいくつかあって、裕福な人間の湯治場のような豪華な建物も多かった。噂によれば、街から離れた荘園の中に王族の別荘もあるらしい。
公衆浴場は、花崗岩の列柱がぐるりと円形にかこむ、見事な建物だった。壮麗というよりは剛健な印象だが、あちこちにほどこされた浮き彫りも美しい。もっとも、セイウェンは感心する余裕などなく、入り口に立っている雑役に二人分の入浴料を押し付け、中へ駆けこんだ。
オギも後へ続こうとしたが、とめられる。
「申し訳ありませんが、武器を‥‥」
「あ、そうか」
短剣程度の持ち込みは大目に見られているが、大剣と手槍を背負ったまま中へ入ることは出来ない。さっき来た時は、あらかじめ預かり屋を使って武器を預けておいたが、今回は仕方ない。オギは不承不承ながら全部革帯ごと外し、騒々しい音をたてながら雑役の腕にどさりと置いた。雑役はそれなりに体格のいい男だったが、重さにぐらりとよろめきかかる。
「あとで一本たりとも減ってたら、お前の指をその数もらうからな」
顔を近づけて脅しを吐くオギを、廊下の奥からセイウェンがするどく呼んだ。
「オギ!」
奥へ走りこもうとするセイウェンに追いつき、オギは腕を引いた。
「そっちじゃない。こっちだ」
円形の浴場をぐるりとかこむ柱廊を走り抜ける。浴場は、大小の湯船がいくつもつらなった大部屋のほかに、個室風呂や蒸し風呂、冷水風呂などが別の区画に仕切られている。風呂に入るほか、軽食などをつまみつつカードや話に興じる人々も多く、広い柱廊の片側にはずらりと石のベンチがならび、サンダルをはいた軽装の人々が思い思いの体勢で座ったり寝ころんだりしていた。
目もくれずにそのそばを駆け抜けて、二人は渡り廊下を抜ける。また入口へ立ちはだかる雑役にセイウェンは苛々しながら通行料──ここはかなりいい値段がする──を渡し、部屋札をひったくって奥の棟へ走りこんだ。
その一棟は個室のならびになっていて、それぞれの部屋の入口に重いカーテンがおとされている。空き室のカーテンはからげて上げられ、ゆったりとした浴槽付きの内部が見えた。廊下に規則的にならんだ窓から澄んだ陽射しがさしこんで、雰囲気はからっと明るい。入り口の柱にはそれぞれちがう記号が彫られ、床には四角い石のタイルがしきつめられていた。
「どこ──」
言いかかったセイウェンの唇に指をあて、オギは黙るよう指示する。先に立って、足音をたてずに歩き出し、オギは一番奥の部屋のカーテンをぐいと片手でからげた。
「お」
と、口元に笑みをうかべる。愛嬌のある笑顔だったが、ぎらっと光る目は獲物を見つけた猛禽類の目つきだった。
「あ」
と、凍りついたのは、やせた男だ。必死に動こうとしたが手足がテーブルにしばりつけられていて動けない。ガタガタとテーブルが揺れ、床を叩いて音をたてた。
「ふーん」
セイウェンが目をほそめて、オギのうしろから部屋へ入る。背後でカーテンをおとした。奥の壁には灯りとりの窓が開いているが、窓の位置が高い上に日の方向と逆なので、カーテンをおとした室内はぼんやりと暗い。壁の穴から油燭を取り、手際よく炎をつけた。壁の穴へ木の部屋札を置いて、男とオギへ向き直る。
「オギ、そいつ?」
「酒場で会ったヤツだ」
オギはおもしろそうにうなずくと、部屋をゆっくりと横切り、奥の浴槽に腰をおろした。低い浴槽にはうすい湯気をたてる湯が半ばまで入っている。
ひらいた膝に両肘をのせ、呑気な様子で頬杖をついた。
セイウェンは油燭を壁の鉤にかけると、男へ歩み寄ってにらみおろした。
「仲間はどこだ?」
「‥‥見りゃわかるだろ」
男は、投げやりに言った。ひっくり返したテーブルの手にひろげた両手首をくくられ、両足は膝のところでしばられている。顔はひどく腫れ上がって、口元が血で汚れていた。声がくぐもっているのは、口の中を切ったためらしい。
「今ごろは街の外だろうよ‥‥くそっ」
「はじめからだますつもりでオギに声をかけたな? 盗賊市なんか嘘だろう?」
問いつめるセイウェンを見上げて、頬をゆがめて笑みをうかべ、男はうなずいた。
「オギにはじめから目をつけてたのか?」
「まあな。街で竜の情報を探してるのを見かけてさ‥‥」
「だからだましたのか!?」
「だまされるヤツが悪い──」
セイウェンは片手をふりあげ、拳の裏で男の顔をなぐりつけた。頬に血をのぼらせて、どなる。
「だます方が悪いに決まってる! オギにあやまれ!」
「やめとけ、セイウェン」
オギが立ち上がった。もう一度ふりあげたセイウェンの手首をつかむ。セイウェンは少し逆らったが、息をついて肩の力を抜いた。
オギはセイウェンの頭をぽんぽんと叩き、後ろへ押しやると、笑みを浮かべて男を見下した。
「それで、仲間に裏切られたのか? ザマぁないな」
「‥‥あんたのせいだよ」
男が血の色のまじる唾を床に吐きだし、オギの笑顔をにらみつけた。
「あんたなんかつれてったから‥‥皆が俺のこと怒って‥‥」
セイウェンが眉をひそめた。オギを見やるが、オギはにやにやしたまま腕組みしている。セイウェンは、男へ顔をもどした。
「どういうこと?」
「‥‥‥」
「あのさ」
ふと、気がついたように言った。
「オギ、あの地図にいくら払った?」
オギはまだにやにやしている。その顔を見つめて、セイウェンは男へ視線をもどし、それからもう一度オギを見た。
「オギ‥‥」
「これっぽっちも払いやしなかったよ、こいつは。だから俺が奴らに袋叩きさ」
男が乱暴な口調で吐き捨てた。セイウェンが目を大きくする。オギが愉快そうにうなずいた。何故かいばったように、
「俺が、いくらも持ち歩いているわけなかろう」
「‥‥だって、じゃあ‥‥」
セイウェンは口ごもってから、オギを見上げた。
「タダでもらってきたってことか?」
「ひとまず借りたんだ」
「ふざけるな!」
しゃあしゃあと言うオギに、男がわめいた。膝で縛られた両足をばたつかせる。テーブルがガタガタと音を鳴らした。
「強奪したんだろうが!」
「役に立ったら金は払うと言った。後で」
オギは、真面目な口調で言った。それが本気だと、セイウェンだけは知っている。オギはあまり善人ではないが、人をだますことは滅多にない。自分を誤魔化すことに興味がないのだ。
ものの、ふざけた言い分であることは、どうひいき目に聞いても確かだった。
「‥‥結局」
セイウェンは額に手をあてる。抑えたような声で言った。
「金払ってないんだな、オギ?」
「金の問題じゃない。俺は、あの地図で旅に出るのをほんとにすごく楽しみにしてたんだからな。ものっすごくがっかりした」
「‥‥‥」
「お前と一緒に行こうと思ってたのに‥‥」
その落胆を思い出してしまったらしく、大男は床を向いてしょんぼりしていた。
めまいをおぼえて、セイウェンはオギと、テーブルへしばりつけられた男を見くらべていたが、やがて、体から全部吐きだすような大きな溜息をついた。
「なぁんだ‥‥」
「?」
オギはよくわかっていない顔で小首をかしげたが、身をかがめると両手をテーブルにかけた。肩と腕に力をこめ、軽々と男ごとテーブルを持ち上げる。男が悲鳴をあげるのを意に介さず、料理をのせた盆をはこぶように男をのせたテーブルを浴槽へはこんだ。ひょいと逆さまにして、男を下にぶらさげたテーブルを浴槽へつっこむ。
「わぁっ」
男の悲鳴が途中で途切れた。顔が湯の中へ入ったのだ。下半身は浴槽の外へはみだしているが、湯の中へ斜めに入ったテーブルが彼の上半身をおさえつけている。
湯の量はさほどでもない。男はじたばたと必死にもがき、縛りつけられた両手で必死にテーブルの脚にしがみつき、首をそらして顔をもちあげた。どうにか頭が湯面の上へ出る。
「ぶはっ、何、しやがっ」
オギが上からテーブルを踏みつけた。テーブルがかたむき、男の顔が湯の中へ押しつけられる。しばらくそうしていたが、男の動きが弱くなってくるのを見て、セイウェンが青ざめた。
「オギ、だめだってば! オギ!」
「わかったよ」
オギが息をつき、足をはなす。セイウェンがぐったりした男の足をひっぱって体をテーブルごと浴槽の外へ出そうとするが、テーブルの脚がひっかかってどうにもならない。
テーブルに手をかけて必死で引いているうちに、浴槽の中で激しく咳こむ声がした。意識がもどったらしい男が暴れだして、湯がはげしくしぶきをたてる。
ほっと息をついて、セイウェンはオギを見上げた。
「オギ、手伝って!」
「ほっとけよ」
「オギ!」
「‥‥‥」
オギはセイウェンを見おろしている。セイウェンは顔から肩にかけてすっかり濡れていた。頭の巻き布は留め針で髪に留められて、余った布が濡れて首すじにはりついている。その下から垂れおちた短い黒髪の先が、色の濃い肌に影のようにからんでいた。
セイウェンはきつい目でオギをにらむ。大きな目に強い険があった。
「オギっ」
「ん‥‥」
どうでもいいような返事をして、オギは身をかがめ、セイウェンの首すじに唇をうずめた。不意をつかれたセイウェンは一瞬凍りついてから、何か言おうとしたが、少ししてその喉から洩れたのは、小さな呻き声だった。つきはなそうとする手首をつかみ、オギはセイウェンを自分の腕の中へ引きずりよせる。頭の後ろへ手を回して逃げる動きを封じ、はげしく首すじから襟元へ唇をはわせた。
濡れた肌をなめあげる。セイウェンの体がはっきりとふるえるのを、満足げに抱きしめ、愛撫をかさねた。
「セイウェン──」
「ばっ、なっ、だめっ」
あまり意味がとれない言葉を吐きちらして、セイウェンはあばれる。
「なんでこんなとこでっ、馬鹿!」
「‥‥‥」
オギの口がセイウェンの唇をとらえた。何か言おうとしている唇を重ねた唇でむさぼり、舌で強く歯をなぞる。歯茎をねぶると、セイウェンが苦しげな息を洩らして口を開けた。入りこんだ舌でオギは荒々しくセイウェンを味わう。セイウェンの口は、さっきまで噛んでいたミントの香りがした。
逃げようとする舌をとらえて吸い、強くからめて、上あごを擦る。幾度か深く舌を這わせると、セイウェンの体から抵抗しようとする力が抜けた。オギは小さく笑って、くちづけを弱める。やわらかい舌で口腔を丁寧になぞりあげると、セイウェンの方からオギにしがみつくようにして、唇を押しつけ、もっと強いくちづけをねだった。
オギが体を離す。セイウェンが不満そうな呻きを洩らすのを見下ろし、頬を指でなでた。
笑って囁く。
「忘れてないか?」
途端、ガタガタと浴槽内でテーブルが揺れ、セイウェンが真っ赤になった。あわててテーブルへ手をかけて男をひきずりあげようと、また格闘をはじめる。それを制して、オギは短剣を引き抜き、男の左手をしばっている縄を切った。
男が左手を浴槽内につき、体を持ち上げようとする。だが右手がまだしばられているのでうまくいかない。右手の縄をとこうとしたが、途端に体勢をくずして顔が湯の下へ入った。仕方なく、また左手を浴槽の底につき、顔を湯から持ち上げる。咳込んだ。
「がんばれ」
オギはひややかな声でそう言うと、セイウェンの体に腕を回し、ひょいと荷物のように肩の上へかつぎあげた。セイウェンがあわてた声を上げる。
「オギっ」
「いいから、いいから」
そう言った声はひどく陽気なものにもどっていた。油燭が置いてあった壁の穴から部屋札を取り、廊下へ出る。明るい日がさす中を大股に歩き、部屋札にしるされた記号の下がった部屋へ歩み入った。今までいた部屋とは3つ離れている。
中のつくりはほとんど変わらない。奥に浴槽があり、湯がおだやかな湯気をたてている。小さなテーブルと、リネンに覆われた壁際の長椅子。本来なら湯女など呼んで体に油を塗り、ほぐしてもらうための場所だが、ほかの目的に使う者も多い。
「オギ‥‥」
「個室代を無駄にするのも勿体ないだろ」
後ろ手にカーテンをおろすと、うすぐらい部屋の中、オギはセイウェンを長椅子へ横たえ、そのまま体を上からかぶせた。