【血よりも甘く.2】

 仕事上がりにシャンパンを開けて琥珀色の液体を満たしたグラスを鳴らし、二人は乾杯をかわす。儀式のようなものだ。今宵の終わりを告げるための。
 一気に飲み干して、サーペントは笑う。
「あの子を助けたいと思っただろう、エース」
「いや」
「本音?」
 サーペントは、エースの青い眸をのぞきこむようにとらえる。たずねる声は、まるで挑むようだった。
 エースは小さな微笑を口元にためた。上着をとりさって、シャツの襟元を軽く開けている。首に垂れたままのタイを指で取り、ソファの背へ投げた。
「あの子が逃亡して、まかりまちがってもう一度会うようなことがあれば、話をきくかもしれん。縁があればな。だが、俺はわざわざ鳥籠を開けてやるほど親切じゃない」
「ふーん」
 サーペントはまるで本気にしていないような返事をした。エースはシャンパンを飲み干し、グラスを毛足の深い絨毯へ落として、サーペントの腰へ両手を回す。ぐいと強く抱き寄せると、唇がふれるほど近くで囁いた。
「信じてないな」
「‥‥ほんとは気になってるくせに。お前は根っからのおせっかいだ」
 逆らいもせず引き寄せられて、サーペントはエースを凝視する。淡い色の瞳にやわらかな金髪がまばらな影をおとして、まなざしはひどく透明だったが、ふしぎに危険なものをはらんでいた。
 エースは一瞬だまる。あの少年のことが気にならないわけではないが、特にどうしようとも思わない。他人の運命に呼ばれてもいないのに首をつっこむ気はないし、興味はない。自分が言われるような「おせっかい」だとも思えない。──そんな「おせっかい」をしたのは、サーペントと出会った時だけだが、そのことを相棒がどう思っているのかはわからなかった。
 あの少年の運命を、気にしているのはサーペントの方だ。それはわかっていたが、そんなことを指摘すれば激怒されるのもわかっていた。ゆきずりの、すれちがっただけの他人のことなど、忘れるしかないのだと。そんな当たり前のことを今さら言ったところで、何の救いにもならない。言葉には何の意味も力もない、たぶん。
 回した腕にゆるやかな力をこめ、静かに囁いた。
「まだ怒ってるのか?」
「なに──」
「昼のことだよ。お前、わかってないだろう」
「何の話?」
 サーペントは笑みを浮かべて囁きかえすが、エースの肩にかかった両手に力がこもった。
 二人は顔を近づけて深いキスを交わす。味わうように、求めるように。互いの唇の熱をうつし、舌をからませて、今はまだゆるやかなぬくもりだけを分け合うように。長い、だがやわらかなキス。相手の体温を味わい、感触を味わって。
 唇を吸いながら、エースはサーペントの瞳をのぞきこむ。
 夕刻に、あの裸像が「メニュー」としてパーティに饗されるという話になって、サーペントは言ったのだ。

(カニバリズムみたいで素敵だねぇ?)
(悪趣味だな。人肉を食うなんて、真似ごとにもしたかない)
(エースって、雪山で遭難したとして、死んでも仲間の肉は食わないタイプ?)
(どうかな。生きるためなら食うこともあるかもしれないが、正直、わからんな)
(──じゃあ)

 サーペントがからかうように訊く。今にして思えば、それが一瞬の罠だった。

(そこで俺が死んでたら? 食う?)
(それこそ御免だな)

 あっさりとエースは言って、「ふぅん」とサーペントは呟き、それでそのまま話題は終わった。
 ──ように見えた。が。
 が、サーペントにとってあれが「不機嫌」のタネになったのだと、エースは悟っていた。まったく本当に、そんなことで気分をそこねるなんてどうかしている。そう思いながら、それでもわがままで自分勝手な恋人が愛しくて、背中へ回した手に力をこめた。シャンパンの香りが残る唇を強く味わう。
 ゆるやかに温度を高めながら、幾度もキスを交わした。サーペントの手からもシャンパングラスが落ち、こぼれる液体には見向きもせず、まぶたをとじて唇を受けとめる。エースのうなじへ回した手に力がこもった。サーペントは、エースの肌へしなやかな指を這わせる。くりかえされるキスはそのたびごとに熱を高め、深く、深く、むさぼるように。まるで長年離れていたように互いを求めあい、たしかめあう。
 エースは体の芯をのぼってくる昂揚にめまいを覚えた。熱の中に溺れそうになる。
 幾度目かの長いキスが透明な糸を引いてはなれる。サーペントの瞳の奥にある怜悧な光を見つめながら、強く囁いた。
「俺は、お前だから、食わないんだよ。‥‥お前がいない世界に生き残ったって、意味ないだろう、馬鹿」
「──」
 まばたきもせずにエースを見つめ返していたが、ふいにサーペントは獰猛な笑みを見せる。濡れた唇の間に白い歯が見えた。
「俺は、喰うよ。お前が死んだら。たぶん、骨まで。誰にも残してやらない」
 無言のまま、エースは強く唇を奪う。舌でサーペントの歯をわり、荒々しい情熱のままに口腔を舌でなぶった。両手はサーペントのまとった服を暴いていく。サーペントは唇の間から熱いあえぎを洩らし、エースのベルトへ手をのばした。ベルトを外してファスナーをおろし、長い指先がもどかしげにエースの欲望へからまる。硬く熱くたかぶる感触に、サーペントはつのる吐息をついた。指がたくみにそれをなぞりあげる。
 エースが喉の奥で呻いた。唇をはなし、強い欲望をおびた目でサーペントを見つめる。それ以上の言葉はなく、二人は寝室へ入るともつれるように互いを抱いてベッドへ倒れこんだ。


 凶暴なほどの手で互いの衣服をはぎとり、あばいた肌の熱を重ねる。幾度もくりかえして、まだ欲しい。そんな己がサーペントにはふしぎだった。エースを求めることも、エースに求められることも、肌を合わせることも、慣れるほどの回数くりかえして。それなのに、こうしてふれる肌の温度と官能を求めて、重ねた身は灼けるようだった。
 もっと欲しいと。体の奥へ感じたいと。
(──もし、お前が死んだら)
 男の唇と指先が、熱くなった躰を愛撫する。ふれられる場所がふえるたびに躰の深くが反応し、とろけるような愉悦がひろがった。サーペントはあえぎながら、エースの背へ手を回し、知っている彼の敏感なラインへ指先をすべらせる。背骨にそって爪をたてると、寄せた体にはしる確かな反応に、自分の体も熱くなった。感じるだけでなく、感じさせたい。この熱も甘さも一瞬のはかなさも何もかも、体を重ねる男にも味わって欲しくて、夢中になった。こんなふうにほかの誰かを欲しいと思うことはない。こんなふうに──
(‥‥喰うよ)
 きっと、今も。喰い尽くすように、エースが欲しい。体の中へ取りこんで一つになりたい。
 エースの舌に乳首を強くころがされ、サーペントは甘くはじけるような快感に高いあえぎを洩らした。エースは熱い舌を胸元へすべらせ、たっぷりとなめ上げてから、のけぞる喉元へ濡れたキスをおとす。耳朶を濡らし、かるく噛んだ。
 全身の肌を愛されながら、じんとしびれるような、重くて熱い快感がサーペントの体を支配していく。体の中心に何か得体のしれないうねりが高まって、こらえきれず、サーペントはしなやかな脚をエースの腰へからめて男の首を抱いた。波打つ金の髪へ指をさしいれ、かき乱す。今、ここで。喰い尽くせてしまえたらどんなに楽だろう。永遠に自分のものにできるなら。誰にも、二度とふれさせはしないのに。
 エースの舌は胸を這い、しなやかな腹部を唇で愛しては、時おり強く吸った。上気した肌に花びらを散らしたような痕が浮く。体の奥を直接吸われたように痺れ、サーペントが淫らな言葉を洩らしながらエースの首すじへ爪をたてた。
 唾液と汗にぬめる肌を巧みな指が焦らすように這い、腰骨のラインをさぐっておりながら、腿の裏へすべりこんだ。膝を立てさせる。
 エースの手が、欲望に硬くなったサーペントのそれをつつみこんだ。ゆっくりと指先を這わせると、サーペントが短い切れ切れの呻きをもらした。先端から蜜が数滴盛り上がり、茎にからんで滴ってゆく。エースはそのぬめりを舌の腹でなめとった。
「‥‥んっ‥‥」
 サーペントがゆるく腰をよじる。誘う響きが声にも肌にもにじんだ。だが熱い茎から手をはなし、エースは立てた腿の内側へ唇をすべらせた。脚のつけねから膝の横まで、しなやかなラインに添ってたっぷりと唾液を塗りこめるように愛撫をくりかえす。同時に、ふくらはぎから足首まで、指でくりかえし肌をなぶった。
 左脚への濃厚な愛撫を終えると、右脚も同じように時間をかけて愛した。内側の肌へ歯を立てると、サーペントの体を甘い痙攣が走り抜け、サーペントが呻くように囁いた。
「‥‥喰ってもいいよ」
「‥‥馬鹿」
「ん──」
 くすくすとサーペントが笑い出す。蜜をこぼす茎をエースが爪ではじくと、声をあげて身をそらせた。艶のあるシーツに淡い金髪を乱して大きくあえぐ彼を、脚の間から眺め、エースは指先で太腿の内側をそっと撫で上げる。濡れた膚からは強い汗の匂いがたちのぼって、彼を強烈に誘う。溺れていく、ギリギリにはりつめた自分がわかる。乱れる躰を己のものにして、何一つへだてるものもなく、すべてを取り去って一つになりたいと。
 ベッドサイドからジェルの瓶を取り、透明な液体を手のひらへ垂らした。頭をシーツへ倒したサーペントへ見せつけるように、濡れた音をたててジェルを指先にからめ、その手を脚の間へのばす。欲望のままに開かれた脚の奥、小さな窄まりの外へたっぷりとなすりつけた。
 指先に力をこめる。襞はぬるりと指を呑みこんだ。
「はっ‥‥あ──」
 侵入に、サーペントが長い息をこぼした。熱い中をたしかめるように、エースはゆっくりと指を沈める。過敏なポイントをわざをさけて、沈め、引き戻すと、大きなうねりがサーペントの体をはしりぬけた。幾度か単調に動きをくりかえしてから指をふやし、さらに深くサーペントの内側を求めていく。ジェルが指に絡みつき、ひどく淫猥な音をたてた。ぬめる指に満たされ、引かれて、白い肌が快楽に大きく波うつ。指先は体の中を優しく撫でるように愛撫し、熱い内襞をほぐした。
「‥‥んっ、エース‥‥っ」
 くりかえす、単調でソフトな動きにこらえきれず、サーペントは苦しげな声をあげた。下肢にはりつめた熱がたえがたく、体の奥で渦を巻く快楽ばかりがふくれあがる。
「おねがっ‥‥ああっ!」
 指が内襞を強くこすりあげた。目の前が白くスパークするような灼熱に、サーペントの体がそりあがる。強くしめつけた指を感じてもう一度快感が身の内をはしった。指はえぐるように敏感な場所をさぐり、サーペントはまた乱れた声をたてる。  同時に、熱いものがサーペントのそれをつつんだ。猛る茎をエースの口が含んでいる。はりつめたそれを舌とあごにこすりあげられ、濡れた音をたてる指に体の奥を責められて、サーペントはすすり泣くようなあえぎを洩らした。髪を乱して頭を左右にふり、淫らな言葉をくちばしった。何もかもが快楽の大波にさらわれていく。
「ああッ、んっ、‥‥あ‥‥っ、もっとっ‥‥」
 エースがサーペントのものをより深く呑みこんだ。舌でぞろりと茎の裏をなぞりあげ、同時に指がぐるりと内側をかき乱す。サーペントが高い声を放った。腰の芯を何かでつよくはじかれたようだった。
 一気にのぼりつめかかった時、愛撫がふっとやんだ。エースはサーペントのものから唇を放し、指を引き抜く。
「あ‥‥っ」
 サーペントがあえいだ。こらえきれない快楽に乱れた表情で、苦しげにエースを見上げる。上気した目じりが濡れていた。全身が汗に湿り、愛撫の名残りを散らした肌が息をつくごとに大きく波打った。  頭をふって、切ない声をあげる。
「エース──」
 無言で手をのばし、エースはサーペントの手首を取るとサーペント自身のものへ導いた。サーペントは一瞬眉をよせたが、指をそえてうながすと、声をこらえるようにして、白い指に自分自身をつかんだ。快楽のままにつよい愛撫をくわえはじめ、あえぎを洩らす。その様に、エースは小さな笑みを浮かべた。
「素直だな。‥‥可愛い」
 そう言ったエースを一瞬にらむようにしたが、サーペントのまなざしはすぐに愉悦に溶けた。快楽に流され、立てた膝を揺らしながら腰を泳がせ、あられもない手で自分を追いつめていく。エースはじっと乱れる様を見つめた。
「‥‥はぁっ‥‥ああっ、ん‥‥っ」
 声が高くなり、艶がにじんだ。甘い悲鳴を聞きながら、エースはのばした指先でサーペントの躰のラインをゆっくりとなぞる。胸元から脇腹へ、そして脚の内側へ。肌へ小さく爪を立てた瞬間、サーペントが腰をつよくよじり、自分の欲望へ指をからめたまま、ほとばしるような声をあげて達していた。


 荒い息をつきながら、サーペントは酔ったようなまなざしを天井へ漂わせている。
 その肌に散る白泥した粘液を、エースは舌で丁寧になめとった。肌へ、そして一度放出したサーペントの欲望に舌をからめ、熱い愛撫をくわえる。サーペントが体をふるわせ、熱い溜息をこぼした。
「‥‥ん‥‥ふぅっ、‥‥あ‥‥」
 欲望はすぐに硬さをとりもどし、エースの口の中でつよくはりつめた。しばらく舌をからめてから、エースは体を起こす。放出したものにまみれたサーペントの手を引き寄せ、指を一本ずつ丁寧になめあげた。
 指をエースの舌がねぶるたび、そこから体の奥へしびれるような波が寄せ、サーペントは呻いた。
「エース‥‥」
 指をはなし、エースはサーペントの上へ体を重ねて、サーペントの唇を求める。サーペントは夢中で応じた。長いキスにまみれた唇から唾液と白い体液がまじりあって筋をひき、サーペントの頬を汚した。幾度か深いキスを重ね、エースは熱くかすれた声をサーペントの耳元へ落とす。
「お前が欲しい」
「んっ‥‥」
 エースの手がサーペントの脚を抱え、ぐいと腰を持ち上げた。 熱いものが押し当てられるのを感じ、サーペントは甘い呻きを洩らした。
 肉の楔が襞の内側を擦りながらサーペントの体の深みを貫き、ゆっくり奥へとみなぎっていく。腰があまくしびれて、全身がかき乱されるような官能の波が滅茶苦茶に体をゆすった。狂おしいほどの悦楽に、腰がひとりでにくねる。淫らな動きに応え、エースは最奥まで一気に貫いた。
 サーペントの背がつよくしなる。叫ぶようなあえぎが濡れた唇からこぼれた。エースが力強い律動をくわえはじめ、サーペントが全身を振ってそのリズムを呑み込む。
「ああ‥‥っ、‥‥はぁっ‥‥!」
 深く、浅く、そしてまた深みへ。体の奥が熱いものに貫かれ、内側の性感をあますところなくえぐりあげられたかと思うと、みなぎったものは締めつける襞を擦って引いていく。うつろな大波が容赦のないリズムで下肢をなぶった。欲望のままに腰を振ると、ふたたび奥を深く貫かれ、サーペントは喉をのけぞらせて狂おしいほどの声をあげた。
「あ、ああっ、んっ‥‥あああっ」
 腰の角度を変えて強くうちつけ、エースはサーペントの膝をすくいあげた。サーペントの体はやわらかく折りまがっり、あられもなくさらけだされた体の奥を情熱的に突き上げる。深く貫いたまま腰をまわすと、サーペントの声と体が応え、彼をさらに深く呑みこんだ。指先で楔を愛撫すれば、甘い悲鳴をあげてサーペントが背をくねらせる。
 快楽の坩堝に何もかもが溶け、自分と相手以外の何も感じなくなる。つながった体にほとばしる快感が自分のものなのか相手のものなのかすら判然としない。濡れて上気した肌を求め、体深くの官能を燃やして、二人は強く体を結び合わせる。
 エースの動きが激しさを増し、サーペントがその背へ求める腕を回した。二人の息が荒くからみあい、互いを絶頂へ押し上げながら、高みを求める。
 サーペントが法悦の呻きをあげて達し、その快感が重ねた体をつらぬきとおって、くらむような熱い感覚にエースもすべてをときはなっていた。


 眠っているサーペントを見下ろして、エースは煙草の煙を気だるく吐き出す。手をのばして乱れたサーペントの髪をかきあげると、サーペントはかすかに身じろいだが、目は開けなかった。
 ゆっくりとした呼吸にあわせて、サーペントの胸がやわらかに上下している。全身に散った愛撫の名残りを目にして、エースは小さな笑みをうかべ、床に落ちている毛布を拾って体を覆った。
 際限なく乱して、サーペントの中を自分だけで満たし、奪い尽くしてしまいたいと思う。せめて体を重ねた一瞬だけでも、サーペントを自分のものにしたいと。そういう強い、あさましいほどの欲望を、彼は充分自覚している。
(‥‥やっぱり、喰うかもな)
 ちらっと考えて、苦笑した。下らない「ごっこ遊び」だ。肉体を得るだけのことには、興味がない。そんな虚しいことは。
 だがサーペントにそれを言っても、「体以上のものなんてどうやったって手に入らない」と言われるだけのことだとわかっていた。そう、彼はそう言うだろう。だから「喰う」のだと。
 煙草の火を消し、二本目の煙草へ手をのばしかけた時、サーペントがふっとまぶたを上げた。ぼんやりとした陶酔が残る瞳でエースを見上げる。
 体を傾け、エースはそっと唇を重ねた。
 やわらかに唇を愛撫すると、サーペントはゆっくりと目をとじた。小さく口の中で「エース」と呟き、微笑のようなものを漂わせる。サーペントがゆるやかな眠りに落ちていくまで、エースは静かに見下ろしていた。
 それから「サーペント」と応えるように名前を囁き、次の煙草へ火をつけた。


 そう、彼はそう言うだろう‥‥

-END-