耳元でレイヴァートの寝息がきこえた。規則正しくおだやかなそれへ耳を傾けながら、イユキアは静かにまどろんでいた。
重ねた胸と回した腕でレイヴァートの体の形を感じとる。盛り上がるように筋肉のついた体ではなく、無駄なく鍛え上げられて締まった体は、いつでもしなやかに動いた。胸から肩の筋肉が他にくらべて厚い。あてた頬に鼓動のリズムがつたわってきて、イユキアはまた眠りにおちそうになったが、目をあけてレイヴァートの顔を見上げた。
上半身を預けたまま眠ってしまったので、互いの胸があわさり、レイヴァートの左腕がイユキアの背中を抱いている。用心深くその腕を外し、イユキアは音をたてないようにしながら起き上がった。体の芯に慣れない感覚が残っている。かすかな痛みとこわばり。なじみのない違和感が生々しい記憶を呼び起こして、イユキアはたじろいだ。
自分の肌にゆっくりとふれる。眠りに落ちてからまだそれほど長くはたっていない。油燭の炎は弱々しく残り、ぼんやりとした薄明かりが愛撫の痕をてらした。肌に残ったレイヴァートの痕に指でふれながら、イユキアは左腕の内側をなぞった。どの痕もまだかすかに熱をおびている気がする。
目を伏せ、眠っているレイヴァートをちらりと見て、彼は小さな吐息をついた。
抱かれるのは嫌ではない。求められるのも。レイヴァートは寝台の上では貪欲な恋人だったが、無理を強いたことは一度もないし、常に優しかった。
はじめて肌を重ねてから季節が一つすぎ、それなのにどうにも自分の心がさだまらないのを、イユキアは自覚していた。こうしてそばにいても、時おりひどく不安になる。何がというわけでもなく、ただレイヴァートの存在が、彼を不安にさせた。
それでも身を重ねれば一時の熱に忘れ去り、レイヴァートの情熱に押し流されて我を失う。満たされ、与えられる快感をむさぼりながら、わけもわからずただ酔いしれる。イユキアにとってその刹那はあまりにも強烈だった。自分が丸ごと呑み込まれていくような激しさから醒めてみれば、やはり少しおそろしい。淫らな情欲に溺れている、心を平常に保つことすらできない、そんな自分がいとわしくもあった。
落ちてくる髪を左手でかきあげながら寝台についた右手へ身を傾け、イユキアはレイヴァートをのぞきこむ。レイヴァートの右の鎖骨の上部に赤い痕を見て、頬が熱くなるのをおぼえた。声を殺そうとしてそこを噛んだ──それをおぼえている。しまいには言われるままに声をあげて自分を貫くものを求め、腰をレイヴァートへ押しつけた。もっと満たされたいと、ただ強烈な欲望と快楽にあぶられて、理性などどこにも残っていなかった。
自分がどうなってしまうのか、イユキアにはわからない。溺れることを怖がりながら、快楽に流されている。こんなことがいつまで続くのだろう、と思った。いつまで溺れていられるのだろう。何の約束もしないまま、ただ会えば身を寄せ、身の内の空虚をうめあわせるように肌をむさぼる。それともそんなふうに求めてしまうのはイユキアだけで、レイヴァートの内側には空虚などないだろうか。
見つめていると、レイヴァートがふっと目をあけた。イユキアがのぞきこんでいるのに驚いた様子もなく、数回まばたきしてから微笑する。腕をのばして、イユキアの頬を指先でなぞった。
視線を外すことのできないイユキアへ、彼は低い声でたずねた。
「まだ怖いのか」
心臓がドクリと脈を打った。見抜かれている。イユキアは無言のままレイヴァートを見つめたが、レイヴァートの視線も声も指先もおだやかだった。
「イユキア」
やわらかに呼びながら、イユキアの額から髪をかきあげ、目元から頬骨をなぞる。見上げる目をほそめた。
「ああ‥‥本当に綺麗だな、お前の瞳は」
「──レイヴァート‥‥」
「ん?」
怠惰な指先に銀髪をからめてもてあそびながら、レイヴァートはイユキアを見つめていた。何を言おうとしたのか自分でもわかりかねて、イユキアはしばらく口ごもっていたが、やがて目を伏せると小さな声でたずねた。
「サーエ様のお加減はどうですか?」
レイヴァートが笑い出した。珍しく声をたてて笑いながら軽くあごをそらし、胸をふるわせる。腕をさらにのばしてイユキアの髪に指をさしいれ、笑いながら髪をかき乱した。
「ごまかすのが下手にもほどがあるぞ、イユキア」
「そんな──」
「サーエは元気だ。昨日も言った」
腕をイユキアの背へ回し、引きよせる。自分の上へ崩れてきたイユキアの体を受けとめ、抱きしめて、レイヴァートは耳元へ囁いた。
「何か言おうとしなくていい。何も言わなくていい」
「‥‥‥」
抱きしめられ、レイヴァートの肩に顔を伏せて、イユキアは目をとじる。裸の背中を優しい手でなでられると、昨夜の激しさとはちがうおだやかな快感がひろがって、なにもかもを忘れてしまいそうだった。
レイヴァートが長い溜息をついた。
「ずっとこうしていられればいいんだがな。お前がどうしているかとか、どこかに行ってしまわないかとか、不安にならずにすむ」
「──」
イユキアは頭をもちあげ、目を見開くようにしてレイヴァートの顔を見つめた。何か言おうとしたが、結局言葉が見つからない。
無言のまま顔をよせ、ゆっくりと唇を重ねた。レイヴァートは指でイユキアの髪を乱しながら、くちづけを受ける。
唇を押しつけあうようにしながら舌をからませ、しばらく怠惰に甘いくちづけを味わってから、イユキアが頭をそらせて大きな息をついた。微笑をたたえたレイヴァートの目をのぞきこむ。
「‥‥ほかに行き場などありませんよ」
かすれた声で囁いた。レイヴァートはイユキアを強く引き寄せて背中を抱きしめ、もう片手でゆっくりと髪をなでつづける。
肌をあわせ、そうして髪を愛撫されていると、理由のない不安がとけるように消えていくのを感じる。イユキアは唇から長い吐息をついた。レイヴァートはどうなのだろう、と思う。彼の中にそんな不安があることすら、イユキアは知らなかった。
息に湿った唇をレイヴァートの肌にあてた。しばらく唇を動かして首すじをなぞっていたが、イユキアはかるく口をあけて舌を這わせはじめた。ふっと緊張を見せる肌に唾液をからめ、愛撫をかさねる。
レイヴァートが小さく呻き、イユキアの肩をつかんだ。
「イユキア。駄目だ──」
「‥‥抱いて下さい」
左足を動かしてレイヴァートの足の間へ入れ、太腿と腰をレイヴァートへ押し付ける。擦るように腰を動かすと、レイヴァートのものが硬くたちあがってくるのがはっきりとわかって、イユキアは動きを強めた。自分のものも硬くみなぎり、体の芯でいきなり高まった欲望の強烈さにあえいでいた。
「お願い‥‥」
背中をぐいとレイヴァートに抱かれ、体を返された。寝台にあおのいたイユキアを荒々しいほどの動作で組みしき、レイヴァートが唇を重ねる。もつれた毛布を足で押しやり、イユキアは背をしならせて激しいくちづけを受け入れた。レイヴァートの背中へ求める腕を回しながら、脚を開く。
(溺れてみようか──)
せめてこの一瞬、この刹那。夜明けまで、せめて、醒めるその瞬間までは。何も考えず、ただ重なる肌の熱に溺れて。もう行き場はどこにもない。この館の奥で見る夢の一つくらい、甘いものがあってもいいのかもしれない。
与えられる快感をむさぼりながら、イユキアはレイヴァートの肌にはしる反応を、回した腕にたしかめる。自分の内の空虚や不安だけではなく、レイヴァートの内にある不安も埋めたかった。彼の内に自分の熱を刻みたかった。そんなことができるなら。
「レイ──」
甘い声をあげるイユキアの奥を、レイヴァートの動きが深くゆっくりと突き上げる。乱れた息に、溺れているのが自分だけではないのがわかった。不安を感じているのも。離れがたいのも。
満たされて、イユキアは快感にあえぐ。レイヴァートの指が頬をなぞり、濡れた目尻を拭った。低い声で名を呼ばれ、イユキアは呻いたがもう答えることもできずに、そのままレイヴァートの熱に溺れていた。